2011年12月20日火曜日

すなおになること


ひきつづき、自分の解体整理中です。
妊娠期というのは、過去の記憶や感情と向き合い整理する時期
とはよく言ったものだなぁと、またまた思うのですが。。

これまでも、何年もかけてやってきた作業を
さらに丁寧に、やさしくそっと、でも深くまでやっているような感覚。

じぶんにすなおになること。

じぶんの心(潜在意識)に耳を傾けること。
それをじぶんの身体を通してうけとること。

ただそれを繰り返しながら、シンプルになること
透明になっていくことを練習しているような気がします。


つい、何かがあると反応して、色んな状態がやってくるのだけれど
それも含めて、そこから何を受け取ることができるのかな?
と興味をもちながら、シンプルに居ることを選択しつづけることが
意識の洗濯でもあるのかな、とも思ったりしています。
意識のこと、感情や心のことをするにしても
やっぱり身体があってはじめてホッとできるものでもあり
どちらも無視することはできない大切な存在です。
起こっている出来事や体験することをゆるす、ということをできずに
それらに抵抗して、居場所をなくしたり、責めたりするのが
わたしにとってのかつての強い習慣だったのを
少しずつ今は手放してもいいんだな、と切り替えている段階です。

このことは、細かい筋肉の収縮ともかかわっているので
だんだん過度なコントロールを手放していくほどに
じつはバランスや本当の手ごたえは戻ってきてくれたりして
そこのところのせめぎあいが起こるとき
意識と身体で丁々発止の葛藤が起こって面白いのだと思います。
(アレクサンダーのいう、決定的瞬間というのはこのことかと・・・)

今起こっていることをゆるすこと
本当に深くじぶんに根を下ろすこと
このふたつは同じなのかもしれないなと思うと
「安堵」というのはそんなとき起こるのかもしれない
とハッとさせられています。

本当に必要なことが起こってくるために大切なのは
そんなところと、それをすなおに信頼することなのだなと感じています。

うまくことばにできないままに
今日は書いてアップしてみます。

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2011年12月4日日曜日

じぶんへのおくりもの

すっかり寒くなって、しばらく安静の時間を過ごしていました。
寒くなってくると、体が冷えたり、太陽に当たることが少なくなったりして
気持ちが冷え込んじゃったり、暗くなりがちになってしまうのだけれど
そういう状態とどうやってつきあっていけるのかなぁと
どうやらしばらく観察する時間になっていたようです。

天体(星のめぐり)の影響なのか、天候の影響なのか
しばらくお天気が荒れ模様のあいだ、わたしも荒れ模様でした。

体調も気分も重くて、不安定で、バランスをくずしまくり。
そうやって、そのとき苦しくて仕方ない時期を経て、あとになると
苦しいってどういうことかわかるための時間だったか
なんて色々気がついたりして、ほほうとなるのですね。。
苦しいとき、苦しいのを否定しちゃったりするし
自分やできごと、周りのひとや環境を否定しちゃったりする。
そこから始まり荒れはじめて、自暴自棄になっちゃって
すなおになんてとてもなれなくて、まわりに当たっちゃったり
思うようにコミュニケーションできなかったり。

そういうときって、身も心も冷え冷えとして
小さく縮こまって固まっちゃっていたりすることが多くて。

だからこそ、お風呂にゆっくり入って温まったり
温かい大好きな飲み物をゆっくり好きな場所で飲んでみたり
体を温めるといわれている食べ物を食べたり
心が温まる音楽や好きなものに触れてひたってみたり
足をやさしくマッサージしてぽかぽかにしてあげたり。

そうやってやっているうちに、ちょっとゆるんできて
あ、ちょっとちがう考え方や見方をしてみようかな
って気が向いてきて、だんだん持ち直してきたりする。

それまで、自分の好きなことを自分のペースでやることを
自分にそっとゆるしてあげていてもいいのかな、と思っています。

いつも自分が自分にたくさんの荷物を背負わせてしまっているほど
疲れていたり、体力気力が消耗しているかもしれない。
そんなときは、誰かのケアなんてできないときはできなくていいんだ
って自分にゆるしてあげるって大事なのかもしれません。
(わたしだけのはなしかもしれませんが・・・。)

そうやって、ちょっとずつ回復してきて、気が向いてきたら
新しい小さな遊びをほんの少しずつためしてみる。

わたしが今日やってみたのは、小さなうれしいことをかぞえてみる。
たとえば、今日は晴れて洗濯できた、とか
お通じがあった(笑)とか、ベランダにいちごがなった、とか。

それと、これから、できたらわくわくするだろうなと思うことを
いつ実現できるかどうかとか、ほんとにできるかとか抜きにして
ただいっこずつあげて、散らかしながら並べてみるとか。

それから、これまでにできてうれしかったことをあげてみたり
その写真をならべてみたり、どこかにアップして人にみてもらったり。

そういうことをこつこつしてると、案外こまかいポイントがたまって
わぁ、こんなにわたし元気にいい調子になってる~
なんていう風に居られているかもしれません。
(今日のわたしがまさにそう・・・。)

なんだかそうやって過ごしてみていると
自分が自分と居心地いい所からなにごともはじめること
その土台をじっくりつくってあげるプロセスを自分にゆるすこと
それ自体が、自分へのおくりものなのかな、と思い浮かびました。

みんなそれぞれにぴんとくること、しっくりくること
そのときのテーマやタイミングなどちがうので
参考にする必要はまったくないと思うのだけれど
もしだれかの役に立つところがあれば
それはそれで、なんだかわたしのなかにも小さな明かりがともるようで
ありがたいことだなぁと感じます。

だれかのために、というよりは
今日そのことに気がついた自分へのメモとして
なんとなく書いておきたかったのでした。

ほっておくと、自分のあらさがしをして自分を責める過去の習慣に
ただ、そうしなくてもいいんだよ、ちがう寄り添い方もできるよ
って知らせてあげたくて。

シェアをうけとってくださった、みなさまにありがとうございました。

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(ただ今、休業中です↑)

2011年11月25日金曜日

ありがとうの日


いろんな人に助けてもらっていて、ありがたいこのごろ。

なかなか​素直に受け取れないこともあったりして
ごめんなさいと思ってしまうことも、まだまだあったりするけど
それも含めて経験させてもらえたことに感謝。。

素直に甘える
お願いする
信頼する
感謝する

その循環ができてきたときに、初めて
まわりと調和して、流れはじめて
自分がほっとゆるむのかもしれないなぁって思った。


今まですなおになれなかったこと、ごめんなさい。
そうして、今あらためて、ありがとう。


そういえば、今日は新月で
アメリカはサンクスギビングだ。
(にほんでいったら、昨日ってことだけど・・・。)

ありがとう、って言える相手がいること
ありがとう、って思える自分でいられること
どちらにも感謝の本日です。。


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2011年10月30日日曜日

I love you:) をいうために



みんな生まれて、今ここに存在してるのは
I love you:) をいうためなんじゃないか

という気がしています。


バシャールが言うには
人間本来の姿は「愛の状態でいること」だそう。

それって、存在そのもの自体が
I love you:)
って自分自身にもまわりにも表現してることかも
って思ったのでした。


赤ちゃんと母乳の話とか、色んな生き物の子育ての話とか
身体のしくみとか、いろんなこと読んだり聴いたりしてて
食べ物が血や肉や骨をつくり、意識とも相互に影響しあってるなら
その存在の発するバイブレーションが
生命の機能や環境に影響するのも
それは当然なのに、目を瞑ってたな、って気づいた。

赤ちゃんがお母さんのお腹にやってくるのも
赤ちゃんからの I love you:) だし
そもそも、その起こりも父母となる男女が
 I love you:) を表現しあったからだし
自分も少なくともたくさんの先祖たちの
色んな I love you:) の結果生まれてきてる。

ってことは、じつはわたしたちの細胞って
無数の I love you:) からできてるんじゃん!
という圧倒的にびっくり仰天な事実に気がついた。

もちろん、途中のだれかが悲しい結果として
生まれ育った歴史もあったかもしれないけど
少なくともそれは先祖全員ではないはずで
やらかしちゃったり色々あったにせよ
よろこびとともに生命をさずかった
ということが多いのだろうと勝手に憶測してる。
だとしたら、どれだけのよろこびや気持ちよさや I love you:) が
わたしの生命の中に注がれてきたのだろうと思う。

これまでの哀しい歴史や想いも
そのよろこびや I love you:) の中で溶かして
わたしの中で消化/昇華していかれたら。

何より次の世代、後の世代へは I love you:) だけを伝えたいから。
うまくいってなかったことは消化して、昇華して
新たな可能性につなげていけたら。

何がどうあるとしても、希望やよろこびとともに居たい。
そうは言っても、実際に子育てしたら
こらー!とかやってるかもしれない(笑)。

でも、そんなときもいつも I love you:) を伝えていられたらいいな。
愛する相手にも、自分にも、出来事にも。

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2011年10月29日土曜日

絶賛工事中



なぜにこんなにも書く!な今なのだけど、やっぱり書いています。

たぶん、子ども生まれて来る前の自分一人のうちに
なるべく自分をクリアにしておきたいのが大きいんだろな。 。
なんて、わからないけれど!

というわけで、自分の内側で自分の意識を絶賛工事中です。


さっき、YouTubeでバシャールの「愛の状態でいること」について
説明してるのを見て、ほんとだなぁって思った。

何か理由があって、そのためにそれをするのではなく
そうあるからそうするだけ、という完結性!

期待も目的も理由もいらない。
ただそうする、という選択!

なんてシンプル!

愛されたいから愛するのでもなく
愛したいから愛するのでもなく
ただ愛の状態でいるだけ、という。

それが本来の姿とも。


うーむとうなったよ。
すばらしくシンプルすぎて完璧な説明。
それ以上でも、それ以下でもない、ただの真実。


そういえばいつも、大きな未知の変化がやって来たり
夢が叶っちゃうときって、そこにふっとおさまる自分がいたな。

それまで抵抗してたことをやめて、手放して
自分の居心地を整えて味わい知る時間を満喫して
あ~、しあわせだな、ありがたいな、心地いいな…
ってホッとくつろいでたら
流れのほうから贈りものを運んで来てくれる!

それまでの自分のハッピーエンドであり
新しい自分に出会う冒険のはじまりでもあって。

そうして今度は、新しい世界の渦にのまれて
迷子になったり、混乱したりしながら
手さぐりのなかで新しい居場所を見つけて
また新たに居心地を整えていく。

そのプロセスの精度を、だんだん心地よいものにしていくこと。
そうやって、バランスすることを知り
遊べるようになっていくのかもしれないな。

それについて、もっと自分に自由さをゆるしてもいいんだろな。

こうでなければならないとか、ああすべきとか
そういうのもみんないったん手放して
新しい目で見て始めることができるかもしれない。

そうそう、誰かの目で見るとか、誰かの考え方でどうするかとかも
ほんとは必要なかったり、役にたたないかもしれない。

少なくとも、もしもそれが自分を苦しめるものになっているなら
いったん手放してみてもいいことかもしれないし
一度その実験をしてから見極めてみたらよいことかもしれない。

何がいいか悪いかのかわりに
今の自分にこれは役に立つか立たないか
見直してあげることが、自由へのカギだったりする。

そんな風にして、自分をどんどん解体して
出て来たものを楽しんでいかれたら、きっと愉しい!

そして、その先、いったいどこに行っちゃうんだろう(笑)!!

子どもみたいにすなおに、無邪気に
どんどん変わってくことに興味をもっていたいな、と思います。

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くるしみはどこから来るの



安静期間で大人しく過ごしているため
日記をたくさん書いているこのごろです。
え~!まだ書くの~!書きすぎだよ~!
という自分のなかのケンケンごうごうの声にも負けずに
そうよ!とあっけらかんとまた書き出してる自分。

そうかい、そうかい、お腹空いたよ、は身体の声。
でも、胃が疲れてるから、ちょっと食べるの休んでみたら?は、頭の声。

こうして書くと、これだけのことでも、自分のなかにどれだけたくさんの声があるか。

自分がどの声を聴くのか、聴きたいのか、聴きたくないのか
それぞれわかっておくのは大切なんだなって気がしてる。
同時に、そのとき自分のなかにどんな声が存在してるのか
ありのままに知っていてあげるのも大切なこと。

そこにそれ(触れたくないこととか)がある、というだけで
以前はもう「ダメ!」「絶対ムリ!」って即全否定。
存在することすら否定して、よく見もせずジャッジして避けてた。

でも、それが、頭の声から始まったものなのか
身体の声から始まったものなのか、というのでも
きっとまったくようすの違うもの。
まずは、どうなってるかすら、知りもしてない。。

よく知らないのに、よく知らないからこそ
そうやって反応しちゃってた、なんてこともある。
だからきっと、いったん出会ってみるって大事なことだったりもする。

自分を大切にすることってどういうこと?
どうしたらこの苦しさから解放されるの?
っていうのが、わたしの子どもの頃からの疑問だった。

それがこんなに時間をかけてずっと取り組む自分のテーマになるとは。

そうしてわかったこと、まだまだわからないこと、色々あって
でも、気づいてみたら、確実にどんどん楽になってる。
苦しさから解放されてきてる、っていってもいいかも。

ふりかえれば、ずっと楽に生きやすくなってるのに
問題に見えるものにフォーカスしちゃうと
いつでも自分を苦しみの渦中にどぼんと浸らせてしまう。

そのことに気がつけると、溺れてたのが浅瀬だった!なんて気楽になったり
もしくは、わたしってなんてダメなんだ~!って自己嫌悪してみたり
色々なそのときの自分がどうあるかで全然ちがってしまう。

じゃあ、苦しみはどこから来るのかな~、ってぼんやり思ってみたら
どっかから来るんじゃなくて、自分でくっつけちゃってたのか!
と気がついて、ふむふむうなってしまった。

やって来るのはどんなことも、じつはただの出来事で
そこに自分がどんな考えや思いを持ち込むか
どんな風に見るのか、だけなんだなぁって。

その思いが、良かれ悪しかれ、結果として
受け取る感情や感じ方、見えて来るものに反映されて
その後の行動や言葉や思考、信念に影響しちゃう。

そして、それはすべて、自分の未来をつくっちゃってる要素になってる。
自分の未来に責任を持つって、そういうことか!
って、また改めてショックを受ける。

今この瞬間、わたしは何を選び、何を望むのか。
無意識で自動的に習慣のパターンに巻きこまれているのと
それに気がついて、自分に目覚めて見守り、ガイドしてるのとでは
なんとまったくちがう質であり、差の大きなことか。。

何度でも繰り返し忘れては、思い出す。
ショックがないと、変わっていくために歩めない。

くるしみはどこからくるのか?
それは見ないふりしてた自分の過去のパターンから。

痛いけど、めんどくさいけど、触りたくないけど
そこをしっかりお手入れできたら、見違える。
だから自分のお掃除クリーニングするんだよね。。

やる前は気が重い。
でも、やり終えたら、とことん気持ちいい!

気持ちよさのご褒美と、気持ちの重いまんまと
どちらを選ぶか?

未来はえらべる!ってほんとだな。。


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2011年10月28日金曜日

大人への階段?? いのちの階段?


さっき、ふと気がついたこと。

わたしには少し前まで(今もまだ名残があるかな…)
自分の生命なんだから、どうしようとわたしの勝手でしょ!
と、やさぐれた思いが大きく深く染みついてた。


あ、でも、それってほんとの生命の真実とはちがうな、って気づいて
じゃあ何だろう?って聞いてみた。

わたしの生命は、わたしの勝手になるものじゃなくて
わたしの責任とともにあるものなんだ、って。

そのことに、うっすらと夜明けの光のように出会って
じわりじわりとハッとさせられているところ。
そういえば、ずっと前に恩師のキャシーから
大人とは、自分の選択の責任をひきうけるということよ
って教えてもらったことがあった。。


わたしはこれまで、どんな風に自分の生命を扱ってきたのだろう
自分の生命をいったいどんなものだと思ってきていたんだろう
って思って、今までの何かが抜けていっている。

なにかが変わっていくここからのはじまり。
いったい何だろう。。

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思いつくままに書く


今朝はひんやりしてる。
ちょっと椅子に座ってるだけでお尻が冷えてしまうから
朝ごはん軽く食べて生姜湯飲んだら、布団にまたすべりこむ。

だんだん自分のからだが、赤ちゃんのベッド仕様から
赤ちゃんのごはん仕様に変わっていくんだなぁっていうのが興味深い。

女性のからだは面白くて、やさしく強くうつくしい。
なんてよくできてるんだろうって感嘆してしまう。
自分も女性なのに、まじまじと未知に触れるように観察してしまう。
女性のからだに生まれたのは、それを観察体験するためなんじゃないかと思うほど
わたしは自分をふくめ、女性の神秘性にわくわくする。

同様に、男性のからだも未知ですばらしい。
ちゃんと女性と和合できるようにできていることも
女性とはまったくちがう生理や機能が働くようになってることも
かたちや質のちがいもなんてよくできているのだろうと感心する。

からだって本当にアートだなって思う。
文句なく、すばらしい。

それなのに、どうしてそのことをいつも忘れて
自分を大切にすることや、からだと一緒に居ることを
置き去りにしたり、自分から取り上げてしまうのだろう。

もっと味わい、自分のからだを受けいれることを体験したい。
自分全体が溶け合うほどのよろこびはないから。

そこからものごとをはじめられたときの
あの圧倒的な鮮やかさで世界を生きたい
自分の生を生きたい。

からだに宿り、自分が生まれたのは
何よりもそのためなんじゃないかと感じる。

もっと深く、もっと純粋に、そう生きられたら。

わたしがわたしであることの理由のひとつは
そんなところにある気がしてる。


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2011年10月25日火曜日

色々あるね


妊娠してから、妊婦本ちょこちょこ読んだり、話を聞いていて
妊娠するとホルモンバランスの変化が激しいから
感情や思考も体調も揺れますよ、とか
過去の記憶や感情と向き合うことになりますよ、とか
あったけど、そうなのか~ っていうくらいでした。

のだけれど、やっぱり色々でてくるものだなーと。

自分もそうなのだけど、夫とかお互いの親や家族も
みんなそれぞれに、新しい生命が生まれてくるのに影響を受けて
そわそわしだしたり、元気になったり、背負い込んだり。

そうやって、色んな自分が出てきてはびっくりしたり
途方に暮れたり、力がでたり、つかれちゃったりしながら
それぞれに、宿題みたいなものを消化してるのだろうか、なんて思うのです。

ついつい、そんなお互いのプロセスの渦中に出会うと
回ってる駒同士がぶつかり合うみたいに弾きあって火花散らしちゃったり
遠くまで弾き飛ばしちゃったり、飛ばされちゃったり
ムキーーー!ってなることもあったりするのだけれど
自分も相手も今は激動のプロセスにいるんだ、とわかって見られたら
そうして、それをお互い経過するのに必要なプロセスをゆるせたら
もう少し回る速度もゆるやかに落ちついてきて
止まってゆく駒同士が隣に寄り添うみたいに
だんだん自然に仲良く居られるようになるのかもしれない。

色々きつくなっちゃうときがあることも、そんな自分も相手も
そうなっちゃってぶつかりあっちゃった過去のできごともみんな
離すもんか!と握りしめては、コントロールしようとするのをふとやめて
ただそっとやさしく見つめなおして、向き合いなおせたら。

まだその段階にないことも、もうそうなれていることも
同じようにとなりにあることをゆるせたら。

ただそう思うだけで、呼吸もゆっくりに
筋肉の張りもやわらかに、ホッとくつろいでくる。

そんな速度ややわらかさから、もういちど触れてみよう。
なんどでも、なんどでも。


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2011年10月13日木曜日

何かをどうしてもやめられないとき


カラダとなかよく きもちよくSudio Saltia*の オカナオです。

さきほど、お休みのご案内を載せたばかりですが
書けるときにちょこっとずつだけでも。。

過日、何人かの方から同様のテーマで質問がありました。

「何かをどうしてもやめられないとき、どうしたらいいでしょうか」
「思う通りにいかないとき、自分をどう扱ってあげたらいいでしょうか」

それぞれに細かい内容は違うものの
自分と対象との関係性に関してのテーマ
としてみると共通です。

わたしの書くことは、今のわたしの考えなだけで
わたし以外の人にとってのこたえとなるものかはわかりませんし
明日になれば、わたしにとっても変化しているかもしれません。

そのくらいのつもりで読んでもらえたらなぁと思います。


何かをやめられないとき、というのはわたしにもあります。
過去の自分を振り返ると、特にいろいろ出てきます。
その中から、今は脱したものを振り返ってみましょうか。

では、その例のひとつとして、パズルゲームをあげてみます。
(ゲームを、それぞれのやめられないものにあてはめてみてください。)

わたしは以前、パズルゲームが大好きで
始めたら最後、よほど気をつけていないと
暇さえあればずっとパズルゲームをしている
という状態に陥っていたことがあります(笑)。

朝起きたら、眠気覚ましにゲーム。
電車に乗ったらゲーム。
待ち時間はもちろんゲーム。
料理の合間にもゲーム。
ご飯を食べ終わったらゲーム。
お風呂あがったらゲーム。
眠くなるまでゲーム。
でも、眠くならないからゲーム。
眠くならなくて、気持ち悪くなるまでゲーム。

そんな有様で、今思うと、よくそんなにやってたなー
と笑ってしまうくらい、はまりこんでいました。

じゃあ、やめようと思っていないの?意志の力は?
というと、やっぱり自分の中にはあるわけですね。

ほんとはもっと有効に時間を使いたいのに。
ゲームするよりも、もっと大切なことをしたいのに。
自分が気持ち悪くなるほどゲームなんてしたくないのに。
ゲームおもしろいけど、ほんとはどこかでうんざりしてるのに。

と、~なのに・・・ のオンパレード!

自分がなんでそれをやってるのか。
ほんとはどうしたいのか。
今、どんな状況で、それを自分はどう感じてるのか。

ただジャッジしないで観察できるようになってから
こういう状態から抜け出しやすくなりました。

というわけで、この状態になって卒業できたのは
アレクサンダーの先生になってからの話で
つい最近のことだったのですね。


でも、そのおかげで、とてもよいことがわかりました。

それは、自分の状況がどうなっているか観察するのにも
自分が本当はどうしたいと思っているのか知るときも
自分がその状況に関してどう感じているのか気づくときも
その状況でも、ただ「そうかー、そうなのかー」と観察すること。

つまりは、観察することに、批判を一切はさまないで見ること。
ただありのままに見て、ありのままにうけとって
自分がほんとうはどうしたいか、ということにYESを言うこと。
そして、それにYESを言うことを自分に許してあげること。


わたしたちはどこかで、認められていない、とか
自分は許されていない、とか
自分で自分に判定を下してしまいがちだったりします。

そうして、自分を押しやってしまうことが
状況をありのままに見てあげられないこと
また、そこから生じるあきらめや自暴自棄さなど
自分を大切にしてあげられない状況を生み出します。

そのことに気づいたら、ふと立ち止まって
ただ、少しだけ自分にちょうどよい距離をもって
しずかにそっと自分を見つめてあげてください。


自分を罰する必要も、押しこめる必要もありません。
ただ、そうしてしまってきた過去の自分のやり方をゆるしてください。
それは、あなた本来の姿ではなくて
その時はそうするよりほかの方法を知らなかっただけなのだと
ただ、そのことを知って、ゆるしてあげてください。

あなた本体は、もっと深く、ずっと揺らぎないところにあります。
わたしたちはいつも、そんな自分自身を忘れてしまいます。
だから、ふと立ち止まって、自分を見つめる必要があるのですね。

だから、ゲームはわたし、わたしはゲーム
という同化状態に本当はならなくてもいいのです。

今はただ、そういう状態の自分が自分ではないこと。
それは自分の選択してきた古いパターンであること。
それは、これから自分が意識的に選択すれば変えられること。

それらを知っていてください。

まずはそこから、あせらずにじっくりと。

時間のかかる自分を、自分のプロセスを
そっと見守ることをゆるしてあげましょう。

今日はここまで。。。



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お知らせ


カラダとなかよく きもちよくSudio Saltia*の オカナオです。

ただ今、体調が安定しないため自宅安静となっており
東京、大分でのレッスンやワークショップを
急きょお休みさせていただきます。

ブログ更新も今しばしできないことをどうぞおゆるしください。

みなさまも、季節の変わり目ですので
どうぞお体あたたかく大切になさってください。。
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2011年9月22日木曜日

秋の夜長に...


カラダとなかよく きもちよくSudio Saltia*の オカナオです。

大きな台風や大雨に翻弄される夏の終わりでしたが
みなさんそれぞれにいかがお過ごしですか?

各地でそれぞれに色々な体験をなさったと思いますし
各地のみなさんのご無事を願わずには居られません。

ここ大分では、台風が去ってから、すっかり秋に。
日差しがあると暑いのに、日が落ちると肌寒いです。

こんな時期は、体が季節の変化にまいってしまうので
あたたかいお風呂に入ったり、温かいものを口にするよう
なるべく心がけながら、体と対話をしてみます。

毎日やることがあって忙しいと、体はいつも後回し。
それがつづくと、がまんしていた体が悲鳴をあげてしまいます。

だから、ふっと目線を上げてみたり
体のそれぞれの場所が今どこにあるかに気づき直したり
ほっと呼吸をゆるめてゆっくりにしてみたり
そんな工夫をしてみます。

体に意識をかたむけたり、体と対話をすることを
体の問題にフォーカスすることばかりにしてしまうのではなく
体のここちよさや気持ちよさを味わったり
やさしく見守り、面白がることにしていかれたら。

日々の暮らしの中で、そんな視点を自分に取り入れて
自分の体と仲良くなって、慈しむことができたらな
と思う秋の夜長です。

以下、開催中止になりました。(2011.10/7)
『気持ちよく踊るための ボディマップとアレクサンダーテクニーク』
10/1、10/22、11/19、12/3、12/17 土曜日13:00~17:00
ワークショップ参加者募集中
http://www.saltia.jp/workshop.htm#tokyo


『 wish シェアリング』 ワークショップ参加者募集中
9/29、10/19、11/2、11/16、11/30、12/14 水曜日19:00~21:00
http://www.saltia.jp/space.htm#ws

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2011年9月12日月曜日

このごろ


自分とつながるSudio Saltia*の オカナオです。



このところ、あんまりにも時間の流れが速くて
密度が濃くて、おどろきます。

その少し前は、すごく暑いせいもあってなのか
眠くて、だるくてしかたがなくて。

少し風が秋らしくなってきたせいか、
動ける時間やできることがずいぶん増えました。


この半年ほどの間に、日本ではもちろん
地球のどこかで驚くようなことがあって

今までのようにのん気にはしていられない
何も考えずには生きられない

そんな世の中に変化してきて
少しずつ慣れて落ち着いてきたひともいれば
まだなんだかざわざわしていたり
ショックの中にいるひともきっといると思います。


ただひとつ思うのは
それぞれのなかに、それぞれの時間をかけて
じっくりと経過させるものがあって
今それぞれが、それとともにいてもいいのだと
ゆるされているんだなぁと感じることです。


どうにかしなきゃいけない!と動いて
今が忙しいエネルギッシュなひともいれば

今はまだ、どうにも考えられないし
まだとても動けない・・・というひともいれば

何かしたいけれど、でも今は集中しなければ
やらなければいけないことがあるというひともいれば

みんなそれぞれにちがうけれど
それぞれに一生懸命に生きているんだな
と思えると

わたしには、自分が今ここで自分でいることと
その空間と時間を与えられている
と、自分にゆるしてみることができるような気がするのです。


つい、周りを見渡すと、深刻になりすぎて
力みが入ってしまう自分がまだいるのですが

そうやって習慣的に背負ってしまったものに気づいて
いったんそっとやさしくおろして、しずかになって

その内側に在るやわらかな生命のリズムに触れなおすことで
すこし呼吸が深くゆるやかになったり
筋肉の緊張がほっとやさしくなるような気がします。


急いだほうがいいこともたくさんあるけれど、
自分の許容量を壊してまで急がせなくてもいい。


そんなことに気づくたびに
呼吸も歩みも思考のリズムも
すこしゆっくりにしてみる。

そうしてふとまわりを見渡して
体といっしょにいると見えてくるものや
感じられてくるものとともに

お腹の底からぐーんと足を伸ばして
大地を感じて歩んでいきたいなと思います。



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2011年8月20日土曜日

カメ ⇔ ガメラ

自分とつながるSudio Saltia*の オカナオです。

しばらくPC酔いして、見られない、触れない、という時期がつづいて
2ヶ月半ほど何も書けないでいましたが、ようやく復活。。

夏の蒸し暑さと気圧の不安定さに参ってしまう わたしには
熱を発するPC作業も、体にも、夏休みが必要だったようです。


さて、今日はブログを再開するきっかけとなった
眼からウロコな新たな発見、体験について書きたいと思います。


今日のこの再開のきっかけ、じつは「怒り」のエネルギーなのですが
何度体験してもほんとうに、純粋な「怒り」のもつチカラって
すごく創造的で爆発的にパワフルで、まさに蒸気そのもの!

水が蒸気になるときに約1700~1800倍になると言われていますが
(気圧によってもその倍率が変わると言われていますが)
人間も、「何かしてやるぞ!」と活動的になるときって
「怒り」だったり「ショック」だったりの負荷(ストレス)が
平常時の意識や体の状態やパターンに揺さぶりをかけて
アドレナリンや色んなホルモンを誘発させ
今までのパターンを大きく飛び出すことで能力を爆発させて
火事場の馬鹿力だったり、瞬発力や天才的能力を発揮させるんですね。

そんなわけで、今日はひさびさにびっくりして
純粋な「怒り」のエネルギーに感電したようになって
ふだんカメのようだったのが、ガメラのように「うおー!」となり
そのついでなのか、気づきと発見の連鎖。

そんなわけで、こりゃ、書かなきゃやってられんわい!と
ブログ再開にいたったわけです(笑)。


まぁ、そこまではもういいとして、じゃあなんで怒ったのか。

それは、自分でもわかっていて何度も反省したり嫌悪してるけど
なかなか変化(傍目から見て)できなかったり、改善できてない痛いところを
「お前、全然わかってねーだろー」としつこくつつかれたから!
(うぎゃー!いや~ん!苦笑)

で、これをふだんは、「なんでそんなこと言うの!ひどい!きー!!」
って怒って、相手のせいにして反発してるのが今までのパターン。
(それを相手にぶつけるにしろ、自分ひとりでイライラするにしろ。)

今回はそれが、「あー、来たな。わたしが自分や他人にやってきたことだ~」
って瞬時に思って、でも自分でそれが意識にのぼっては自覚できていなくて
まずは自分が怒ってることを表現して「むむむっ」とお互い距離を置いて
頭を冷やして、起こった出来事を観察する時間をとりました。


それで、一人になって、まず湧きあがってくる感情をそのままにして
何が起こってるのかな?と自分の中や観察したことをゆっくりながめて
そのまま何かしようとしないで放置しておいたら
「あ、なんだ、そういうことなのか」ってわかってくることがやってきて
そしたら意識(思考)はだんだん落ち着いてくるんだけれど
体と感情はまだ何となく落ち着かないまま。

なぜなら、ほんとは認めたくなくて、許せないで来た自分の一面を
相手からずばーん!どうだ!ってやられることで見せられたから。

つまりは、相手を許せない!って思うこと、イコール
自分の中にあるそういう一面を許せない!っていうこと。
(逆もまたその通り・・・ひえ~~!)

そういうことを読んで知ってはいたけれど
久々に血が逆流するんじゃないか、という怒りとショックで
こんな風に体験させられるのはキョーレツ。。

それで、もうこんなことあんまり繰り返したくないよー
とばかりに、宿題を仕方なくやる子どものように
「相手の見せてくれたのは自分の姿、相手を許すことは自分を許すこと」
と思ってはみるんだけれど、何かが引っかかる。


それでまた、場所を変え、お気に入りの場所でお茶をしながら
心と体がまぁるく和らぐまで待ってみることにしました。

そうして、お茶をしながらゆっくり思いを文字にしてみたりしてみると
自分が問題だと思っていたことは、自分の外にあるんじゃなくて
自分の内側にあるんんだな、ということに気がついてきて
じゃあ、自分が見ていた相手への見方が違ってみてもいいのかもしれない
わたしはどうしたいんだろう?なにを大切にしたいんだろう?
という視点に移動できたら、ふっとゆるんで、チカラが抜けました。

問題を力づくで解決しようとする=自分の理想にこだわることから
まずはいったん、内側からゆるんでうけとめてみることへ。

変化というのは、本来は外側によってなされることではなくて
内側からみずから起こってくることでなされるものだと
はっとするほど鮮やかに気がつかされた瞬間でした。

そうすると、問題を解決しようとすることに使っていたエネルギーが
自分のねがいを創造する方向性へと向かっていくのがわかって
体と心が整って融和していくのを感じられてきて
ほわわとしあわせな気分になりました。

帰り道、歩きながらぼんやりと
そこに起こった出来事や問題は自分の外側にあるのではなく
自分のうちにあるもので、自分の臨み方がカギなんだ
ということに、「やっぱりな~。そうですか~」と降参。


そうしたら、またダメ押しで発見がもうひとつ。

相手にわかってもらいたい、相手はわかってくれているはず
しかも、それが当然の前提になっているという無意識の期待や思い込みが
問題となる出来事を引き起こしていたんだなっていうことに。

自分ですら、完璧に自分のことをわかってなんかいないというのに
相手に自分をわかってもらおう、わかっていてくれてるはず
なんて思うのは、なんと過大すぎる期待であったことか!(笑)

自分が自分のことがわかってないなら
相手がわたしのことをわかってくれてなくても、なんだ、いーじゃん!
ってフラットに思えたら、すーごく楽に。

もう起こった出来事を否定しないで、受け止めよう
と大人しく納得しました(汗)。
(そして、くたくた・・・。笑)


と、これを書いたら、ガメラもカメに戻れました。
やっぱり書いてエネルギーを放散することは大切ですね(笑)。

エネルギー(感情と爆発的体内反応など)の純化と意識のクリアリング
それに心身の統合の大切さ、改めて思い知らされました。

最後まで長いシェアを読んでくださり、感謝です☆


あー、つぎはホームページの更新だ~↓ ちいさくがんばります(汗)

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2011年5月31日火曜日

YES と NO と シンプル化

あたまをほぐすからだのレッスン
アレクサンダー・テクニークの Sudio Saltia* オカナオです。


先日、気づいたことをシェアさせていただきます^^


自分の中でのもやもやが、どうにも渦巻いてしまって
そこから出られない時期が少し前にありました。

思考が混乱すると、生命力も低下してしまうんですね。

自分で自分の本音が見えなくなってしまって
外側の意見ばかり聴いて判断していると
身体も感情もちゃんとサインを出してくれます。

今回わたしは、身体が動かない、何もできない!という
完全にバッテリー切れ状態になりました。



人間は生きものなんだけれど、ロボットみたいなんですね。
電気で動いているみたいに、わかりやすい。
内的抵抗が大きいとショートして、消耗や故障をしてしまう。

イヤだなと感じること、苦手なこと、本来の自分と離れてること
そういうことをするたびに、バッテリーはどんどん減っていく。

そのかわり、大好きなこと、ご機嫌になれちゃうこと、得意なことなど
自分にとって「快」が生み出されるたびに、バッテリーが増えていく。



じゃあ、好きなことだけやって
イヤなことみんなやめたらいいじゃない!

ほんとうは、そうなんです。
シンプルにそうした方がいい、断然。


でも、そしたら、なぜそれができないのか、というと
自分の頭の中の「常識」になってる『考え』が
自分がシンプルに生きるのを邪魔してしまうんですね。

つまりは、自分の人生やできごとを複雑化しちゃう。


だから、好きなことをする!自分の心に従って生きる!って決めても
自分の頭の中を大掃除しないことには、好きなことも苦行になっちゃう。

なぜなら、どんなときも頭の中で
「みんな苦労してるのに、わたしだけこんなことしてていいんだろうか」
「こんなことしてたら、他の人とうまくやっていけないに違いない」
「わたしばかり好きなことして幸せになったら、何て言われるだろう」
などなど、真面目で心やさしい人ほど自分を責めてしまうのですね。
(それはまさしく、わたしのことです。笑)

それで、周りの声、社会の声、常識だと思っているものに振り回されて
自分にとって大切なことや、何がYESで、何がNOなのか
自分の本音がわからなくなって混乱してしまう。

そうすると、身も心もちいさく縮こまっていってしまう。



そうすると、ここで感情と身体によるレスキュー出動です。

混乱した自分を助けようと
自分自身の本音を聴きやすいように
苦痛を通して警報を鳴らしてくれるんですね。

痛みや苦しさ、心身の病気や故障などを通して。

はじめは、小さく。
気づかなければ、どんどん大きく。


それで、本音と離れたところに迷走しそうになると
あなたの本音はここに居るんだよ、こっちだよ、気づいてよ!
とばかりに、我に帰るよう引き止めてくれます。

つまり、登校拒否とか出社拒否をはじめ
心身の不調は、自分の頭のすすめたがる方向性にNOを言ってくれる知恵。


そのメッセージを聴ける自分になることが、
気づきや悟りと言われるのかな、なんて思ってしまうくらい
本音にすなおになるって、ほんとうに腑に落ちる体感をともなう。

なぜなら、『常識』や『世間』を超えて感性をクリアになるほど
本音の自分の声を聴いて、寄り添うことが、すとんと簡単になるから。


わたしも、頭の「よかれ」と思う方向性と
本音の「YES」という方向性が離れてしまったがために
アクセルにブレーキを踏んだ状態でエンジン空回り⇒バッテリー切れ⇒エンスト
ということになりました。

だから、自分の中で感じていること総点検して
YESとNOとを整理して、どうしたいのかを調べています。


混乱しすぎて生命力が落ちてると、整理するのもままならないので
そのときは応急処置的に、自分に大好き三昧をさせてあげる。
(そのあたりについては、こちらをご参照ください。)


そうやって、生命力を取り戻したら
何を感じてるのかを手がかりに「YES」と「NO」の分別作業。

「こうしたらいけないんじゃないか」とか
自分内ジャッジ(外側の声に思えるものも含め)は置いておいて
周りにドン引きされても、反対されたり非難されても
自分にとってどうしようもなく「YES」なことは曲げる必要がなくて
まずそれを相手に伝える前に、自分が認めて受け入れてあげる。

だれかさんの期待に応えることが重要なことだと思ってきた人には
ちょっとばかり大変な作業になるかもしれませんが
(そういうわたしが、↑そうだったので、色んな助けを借りました)
自分の内側で感じていることを認めてあげるのにも
自分内検閲を相手の目でしてしまうことから解放してあげること。
(それがいちばん助けになる、大切な熟成プロセスだと感じています。)


そうやって、自分で自分の感じていることを認めてあげる
受け入れて居場所を与えてあげればあげるほど
駄々をこねてやっかいな気のしていたものが、すっと変わっていく。

化け物になっちゃっていたのが、もとの姿にもどっていく。
そうすると、そこで気づけたことが、自分を助けてくれる。

助けてくれると、本当に自分が統合された状態で表現できる。

「NO」を言うことが、何かを否定したり拒絶したりすることではなく
「NO」を言うときも、その向こうにある「YES」を伝えることになっていく。


わたしも、これについては、まだまだ探求を深めているところなので
「NO」を言うことが、否定や拒否になってしまっていることがあるなと感じます。

そんなときは、自分の感じていることにまだ混乱があって
よりそこを深く掘り下げていく必要があるときなのだなと思えるようになりました。

だから、誰がわるいのか、何がわるいのか、という
犯人探しをして、自分で自分をイヤな気分にしなくていいんだ!
と、ようやく気づけるようになりました。

これは、ほんとうに大きなおくりものです。



自分にすなおに生きるには
どれだけのカギをかけて締め出してるんだろう
そんな風に気づくのだけれど
気づけたからこそ、開けてあげられる。

だからこそ、わるものはどこにもいなくって
混乱と無知があっただけで、そこをお手入れしてあげたらいいだけのこと。


人のお世話を焼く前に、まず自分のお世話を大切に。

そうして、自分が快であること。

ピースフルで喜びと遊びに満ちて、自分の動きをはじめること。



シンプルでわくわくすること、に大きなYESを :)



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2011年5月30日月曜日

チャリティコンサート

あたまをほぐすからだのレッスン
アレクサンダー・テクニークの Sudio Saltia* オカナオです。


イタリア文化に楽しく触れるおしゃべりを交えながらの
南相馬市のためのチャリティコンサート@東京。

わたしは大分に居るため伺うことはできませんが
とても楽しそうで、飛んでいって聴きに行きたい。

お近くの方はぜひおいでください^^


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『ダニエラ・オージック PRESENTS 相馬市で家族を失った子供たちのためのチャリティーコンサート』

会場 
立正大学大崎キャンパス 石橋湛山記念講堂

日時 
6月14日(火)
1845開演(1815開場)

入場料金
2000円 

http://ameblo.jp/rinas-tohoku/


出演 

ダニエラ・オージック  司会
 
山村尚正Ten.
木住野佳子jazz pianist
作田麻美Sop.

矢崎裕加子Sop.
津金久子Sop.
福岡理美Sop.
斎藤真理香 piano
   
高橋健介 大谷雄一 沖澤直子 高安浩司  他


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音楽を通して、多くの方の心に温かい灯火がともりますように。



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2011年5月6日金曜日

靴下いないいないばぁ騒動

あたまをほぐすからだのレッスン
アレクサンダー・テクニークの Sudio Saltia* オカナオです。


久々のブログ更新となってしまいました。

とはいえ、ネタはたくさん。
書きたいことが追いつかない!


先日まで東京と札幌に行ってきました。

この数日、帰宅後の片付けや洗濯などの家事を
愉しみつつこなしていたのですが
今朝にかけてやらかしました!

靴下いないいないばぁ騒動を・・・。


札幌からの帰り道で
福岡での空港からバスまでの移動が大変かも
ということで、荷物を送ることに。

ちなみに、わたしはいつも大荷物で大移動です。。

というわけで、ご多分に漏れず
今回も大きなトランクぎゅうぎゅう詰め
もう一箱もおまけして二個口でゆうパックへ。


帰宅した二日後に受け取った荷物を
開いて整理してみたり、そのままにしたり
家事と並行して、ゆっくり片付けていたら
開けるの楽しみにしてた未開封の絹の靴下たちがない??

あれれ?あるはずなんだけどな?
それだけないって、どういうことかな??
わたし、入れ忘れたのかな??
あれれれれ??

と、頭はハテナマークでいっぱいに。

その傍らから
「もしかして、とられちゃったんじゃないの~?」
という疑いの声が・・・。

いやいや、そんなことはないでしょう
だって、他の買ったばかりのものは何もなくなってないし
靴下だけなくなるってことはないはず。。

「いや~、それはどうかな~?」

という脳内やりとり。


もうここで、わたしの中のハテナマークは
疑念マークになってしまって
どこかにみつかるはず・・・という視点は
なくなって見つからない!という疑いの視点に。

すっかり脳内では、ゆうパック盗難事件になっちゃってるorz


もうそうなったら、「ない!ない!ない!」の大騒動。

夫はまだ札幌滞在中だったので
家にはわたし&猫のみつさんだけ。

ひとりで大騒ぎして、ツイッターでも「みつからない~」とつぶやく。


すっかり疑念とショックでいっぱいになりつつ
そんなことない、きっと何かの間違いだ、という良心もありつつ
今朝になり、片づけを再開したら・・・

なななーんと、ありました。。。。

洋服と一緒にパッキングしたたたんだ布バッグの中にしっかりと・・・。


見つかって、安堵と同時にやっちまった!感がいっぱい。。
あ~、またないない騒動してしまった。。

靴下にしてみれば、いないいないばぁ。

でも、わたしにしたら、大騒動。
夫が居て巻き込んでいたら、かなりの呆れ顔のはず。

いつもこうやって、わたしは人を巻き込んで
小さなことを問題にして何かのせいにして大騒ぎしていたんだなぁと
自分の身につけてきた悪癖にしっかり気づかされました。


もしかして、これがアレルギーってことなのかも
とか思ったりして、ふむふむ納得。

そして、やらかしてしまった自分に対して、以前なら
墓穴を掘ったんだから生き埋めされなさいよ!とばかりに
自分をとことんまで責めたてては、打ちひしがれていたな
ということに気づいて
あ~、わたしも成長したもんだ、という発見まで。

そう気がついたら、それを言いか悪いかで自分内裁判&処刑したり
そのことから生じる感情に全エネルギーを注がなくていいのだと
やっとわかったんだなぁ、わたし!と、はっ&ほっとしました。


自分の中で色々な感情を生じさせて
あぁでもない、こうでもないってしてることって
家庭内のもめごとや痴話げんかみたいなものだなって
気がついたら、あ~、なるほどなって。

それが、自分内暴力やDVになってたら
そういうことがおこっているのだとまず認めてあげて
どんな誤解がそこにあるかよく見てあげることが大切で。。

習慣化されたパターンを繰り返す必要がないことや
それを責めたりさげすむ必要もなくて
ただ、それをやめていくための温かな励ましと見守り
そして、自分で気づけることと違う選択をできると気づくこと。

だた、それをシンプルにくりかえすだけで
本当は物事がずっとらくにできるようになる。


ずっとずっとそういう風に居られるようになりたくて
でもなれなくて、ずいぶん苦しい思いもしてきてたけれど
今はそれが全く別次元のようにも感じられる。

ずいぶん遠い道のりをやってきたんだなぁ、わたし。
と、ひと騒動した自分を忘れて、すっかり感心するのでした。



今日の学び。
自己嫌悪するかわりに、自己充足できるようにもなれる。

そのプロセスから生まれる苦しみは
ご褒美をおいしく味わい満喫するための演出:)



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2011年3月26日土曜日

原発反対の署名

あたまをほぐすからだのレッスン
アレクサンダー・テクニークの Sudio Saltia* オカナオです。


おともだちのayamintさんchocooさん
原発反対の署名や運動のことについて日記で知らせてくれてる。
(おふたりとも、ありがとう!)

それで、署名や意見送付などしてみた、
ネットでも原発反対のために何かできるのなら
できることをなるべくしたい。

今までは気になっていたけれど
何をしていいのかぼんやりしていたし
そこまでの危機感を全く持っていなかった(反省)。

それが、今回、こんな事故が起きてしまってはじめて
自分がその事故に無自覚的に加担してたことに気付いた。

今さらであっても、同じ人として、福島の人や
何らかのかたちで原発にまきこまれ搾取さている人を
そのままにしておいてはいけないと目が覚めた。

NOを表現しないのは、原発に賛成してるのと同じ
そう推進派のひとたちからは見なされることにも
気がついて、深く自分を反省した。

だから、自分が思っている、感じていることを行動に。
表現することで世の中が変わるのなら
これからいくらでもしていこう。



わたしが原発反対のためにしたのは、以下。



静岡県庁が、今、
<東北地方太平洋沖地震に関する意見等>を求めています。
https://www2.pref.shizuoka.jp/all/ikenteigen.nsf/touroku
静岡県民だけではなく、多くの人が「東海地震と浜岡原発」に関して、意見を送っていただけるよう、お願いします。
chocooさんの日記より引用)





30年近く住民の反対運動で建設を阻止してきた
山口県上関原発の建設反対署名ページ
http://www.antinuke.net/kaminoseki/# 
まだ作業を進めているようです。
http://ameblo.jp/nijinokayaker/entry-10834639429.html

「みつばちの羽音と地球の回転」http://888earth.net/index.html
見た人も多いかなとおもいます。

日本は自然エネルギーが豊富なので、
方向転換のチャンスですよね。
ayamintさんの日記から引用)





STOP原発!SAVE福島!(福島の原発STOPの署名)
http://www.shomei.tv/project-1730.html




たぶん、まだ調べれば、他の原発停止の署名や運動など
できることが出てくるかもしれません。

もしも、他に情報をおもちのかたがいらしたら
どうぞお知らせください。

わたしも、また分かり次第、アップしていきます。


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身からでることば

あたまをほぐすからだのレッスン
アレクサンダー・テクニークの Sudio Saltia* オカナオです。

なぜだかいつの間にか
ついこの間まで、ずっと
文章を書けなくなっていた。

自分の中で、ことばが
ことばを生み出すからだとのつながりが
ちぎれてしまっていたような
こんがらがっていたような
そんな気がする。

ここ数日、ぽつりぽつりと
日記を書き始めていた。

そうする気はなかったのだけれど
なぜかなんとなく、書き始めた。

書く気はのらないけど
書かざるを得ない何かがあって
なんとなく書いてみた。

書くという動作が
少しずつからだに戻ってきたら
だんだんと自分のことばの感覚も
自分のからだにもどってきた。

わたしのことばは
身からでたことば。

そうでないことばは
わたしのことばではない
だれかのことば、よそごとのことば。

身からでたことばじゃないと
書くことがむずかしい。
書かれたことばはむずかしい。

頭で書くのはかんたんだけど
それじゃなにも伝わらない。

伝わらないことを
わたしはしたいのではない。

わたしは伝わっていく何かを
ことばを、からだを
この身を通してしたいのだ。


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2011年3月25日金曜日

すなおにあること

あたまをほぐすからだのレッスン
アレクサンダー・テクニークの Sudio Saltia* オカナオです。


何にもしたくない とか

何かをしたくてたまらない とか

何にも言われたくない とか

何か言ってほしい とか


ただそういう想いをもつこと そのものが

わがままなことだ と自分を責める自分が居たけど

そんなことはなくて

ただ すなおに 感じたままに自分が居てもいいのだと

なんとなくすこし わかってきた気がする



あるがまま 感じたままの自分を ゆるす

その過程のすべてが 今のわたしには とても必要



加工してしまわない

切り刻んで 継ぎ接ぎして ごまかさない

つじつまを無理やり合わせない

ただ あるがままをすなおに

自分にゆるしてあげること


すべては そこから


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2011年3月15日火曜日

被爆から体を防御する​食べ物

あたまをほぐすからだのレッスン
アレクサンダー・テクニークの Sudio Saltia* オカナオです。

看護士の友人が日記に書いてくれたり
ツイッター経由でも回ってきた情報です。

よろしければお役立てください。

以下、大塚具志郎さんのブログより引用
http://otsukako.livedoor.biz/archives/51760768.html


★ 放射能の被爆から、体質的に体を防御する食べ物のまとめのキーワード:

自然醸造味噌、自然塩、ごま塩、玄米、玄米おむすび、味噌汁(具は、わかめ、かぼちゃなど)、わかめ、昆布、塩昆布をメインにした食事。血液を守るために「白砂糖・甘いもの」は摂らない。アルコールも摂らないこと。これを徹底して実行すること。




緊急重要メッセージ!原発事故による放射能汚染から身を守るために、すぐにできることを実行しよう!
 福島の原子力発電所での爆発事故などで、放射能汚染が広がることによる被爆が非常に気がかりな現実の心配と不安になりつつあるここ数日、もちろんそういう場所から、できたらすぐに離れることがベストという大前提をもとにして、以前、私のブログに書いた記事を少々リライトして、こういう大きなリスクのあるときに、すぐに皆さん自身とご家族の身を守れるよう、こういう危機的状況の中でこそ、非常に役に立つ、体質面から命をガードする、目からウロコの知恵を、以下の私の記事で紹介しておきます。

 実は、長崎に原爆が投下されたとき、爆心地から、ほんの1.8kmの場所で、その建物の中にいた全員がひどく被爆したのにも関わらず、彼らに、その後、その被爆による原爆症が出ず、命が奇跡的に助かったという本当の事実があります。 

 彼らは、原爆が落ちたときに、ある医師の指示で、とっさに、体に対して、あるガードをしたのですが、いったい、どういうことをしたと思いますか?

 とっさの機転で体のガードをした彼ら以外、同じ距離で被爆した人は、皆、原爆症のため、苦しみながら、早くに亡くなっています。

 彼らは、皆、原爆症にもかからず、長生きし、そのとっさの指示を皆に与えた医師は、たしか90歳近くまで長生きされたようです。

 原爆を落とされたとき、何が、生と死の明暗を分けたのでしょう?

 この長崎に原爆が投下され、その爆心地から1.8kmしか離れていない場所で被爆したにも関わらず、原爆症が出なかった人たちがいる事実について、私は、すでに私の著書「治る力の再発見」(日本教文社)のなかで、はっきり書いています。その内容こそが、何が被爆した彼らを原爆症から守り、命を救ったのか、ということについての説明になると思いますので、以下、引用いたします。

 1945年8月9日、長崎に原爆が投下された。その爆心地から、たった1.8kmのところで、当時聖フランシスコ病院医長であった秋月辰一郎博士と病院関係者は全員被爆した。

 博士は焼けただれて痛がる人々に、「水を飲んではいかんぞ!」と大声でどなった。おそらく直観的に、血液の濃度を保ち、血液を水でうすめることなくガードしようとしたのだろう。((注)たしかに戦地で、傷の深い重傷の兵士に水を飲ませると、すぐに死んでしまうという記録がある)

 さらに博士は、次のように職員に命令したという。

「爆弾をうけた人には塩がいい。玄米飯にうんと塩をつけてにぎるんだ。塩からい味噌汁をつくって毎日食べさせろ。そして、甘いものを避けろ。砂糖は絶対にいかんぞ」(秋月辰一郎著「死の同心円-長崎被爆医師の記録」講談社刊・絶版) 

「放射線宿酔」と呼ばれる。レントゲンを受けたあとに起こることがある全身の倦怠や筒宇などの症状には、体験上、生理食塩水より少し多めの塩分を含んだ水を飲むとよいということをとっさに思い出し、原爆の放射能から体をガードするには、塩が有効であることを推理したのだ。みそ汁の具は、カボチャであった。のちにわかめのみそ汁も多くとったらしい。砂糖を禁じたのは、砂糖は造血細胞に対する毒素であり、塩のナトリウムイオンは造血細胞に活力を与えるという、彼自身の食養医学によってである。
 

 すると、どうであろう。そのとき患者の救助にあたったスタッフらに、原爆症の症状が出なかったのである。ふつうなら、しだいに原爆症の症状が出て、進行してしまうところなのに、彼らはそれからのち、ずっと現実に生き延びているのである。
 
 このことは、私にとって大きなショックであった。食というものによる、見かけからはなかなかわからない「体質的な強さ」というものの思い価値を知り驚嘆した。ちょっとした体質のガードが、明らかに生と死を分けているからである。

 博士は人間の体質にとって、みそが実に大切であることを説き、のちにこう語っている。

 「この一部の防禦が人間の生死の境において極めて重要なのである」(秋月辰一郎著「体質と食物」クリエー出版部刊)

 博士の書いた「長崎原爆体験記」(日本図書刊行センター刊「日本の原爆記録」第9巻に所収)という本の英訳版が欧米で出まわり、チェルノブイリ原発事故のあと、ヨーロッパで日本の「みそ」がとぶように売れたということはあまり知られていない。

 (中略)

 秋月博士は、「体質医学」の大切さを主張し、次のようにいっている。
 
 「それは、人間の体質を作り変えることが医学の本然の姿であるという信念による。人間の体質を作り変えて、病気にかからなくてすむ身体、また病気にかかっても軽くて治る身体になることである。また、慢性疾患に罹患していても、体質を変えていつの間にか病気が離れる身体になる、この医学である。」(「体質と食物」)

 「塩と玄米とみそ汁が、放射能の害から命を守っただって?まさか、そんなバカなことが!そんな簡単なことで原爆症を免れたなら、医者なんていらねえよ!」と、きっと皆さん、思われたに違いない。

 私も、最初、同じように思いました。しかし、実は、一見、簡単そうに思えることの中に、実は深い意味が隠されているものなのです。とくに生命に関しては。

 今では、私には、秋月博士が行なったこと、言ったことの、重大な意味がよくわかります。

 また、現代西洋医学は、すべて人を平均化して対症療法で処方する方法ばかりにとらわれているので、個人の「体質」の違い、「体質」の強さに対しては、まったく盲目に近いといえます。 

 口から入るもの(飲食)が、一番身体内部に直接影響を与える外部からの環境因子になりますから、たしかに、身体の体液環境を守りうる要因にはなりうるのです。

 ちょっと、そこのあなた、毎日、ハンバーガーなどのジャンクフードや、牛丼、コンビニで買った食品添加物山盛りのレトルト食品ばかりで食事をすませていたり、毎日外食で、焼肉やおいしいグルメの食べ歩きばかりしていて、さらには、とくに甘いものには目がないときたら、そういう人たちは、放射能汚染がおこり、被爆でもしたら、あっというまに原爆症になりますよ。

 ただし、インスタントのみそ汁を摂ったとしても効果はありませんよ。ケミカルな添加物が加えられていない無添加の本物の自然醸造の味噌でないと薬効はありません。その代わり、そういう本物の良質の味噌を使ったみそ汁を毎日1回は摂るよう心がけると、「みそ汁好きには胃がんが少ない」といわれるように、非常にいい予防になるかもしれない。 

 世界保健機関WHOでも高く評価された、日本の伝統食や伝統的発酵食品の知られざる底力を見直して、毎日の食事の基本に取り入れた方が、結局、体質的な力を強めて、免疫力もアップすることになり、わけのわからないウイルス性の病気やインフルエンザなどにもかかりにくくなって、いざというときは、放射能の害からも運良く命を守れるかもしれないし、はるかにお得だと思います。 

 なお、講談社をはじめとして、秋月辰一郎博士の原爆体験記録の本は、非常に貴重なので、原爆投下から60年以上もたった今、あらためて是非、復刊してもらいたいものと心から願っています。

 この記事からヒントを得て、原発事故による放射能汚染から、大切な自分と家族の命を守る知恵として、どうぞ上手に活用して、すぐにお役立てください!



★ 放射能の被爆から、体質的に体を防御する食べ物のまとめのキーワード:

自然醸造味噌、自然塩、ごま塩、玄米、玄米おむすび、味噌汁(具は、わかめ、かぼちゃなど)、わかめ、昆布、塩昆布、血液を守るために、白砂糖・甘いものは摂らない。アルコールも摂らないこと。これを徹底して実行すること。


以上、大塚具志郎さんのブログより引用
http://otsukako.livedoor.biz/archives/51760768.html

大塚さん、情報をありがとうございました!


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応急セルフヒーリングの方法

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緊急時なので、気休めでもお役に立てばと思い
わたしのツイートよりまとめました。

想像であれ、現実であれ、脳内で想像=創造されたことは、心身に反映され反応としての体験が起こるもの。だからこそ、そのメカニズムを利用して、こんなときこそ、自分や人を救うためにコンストラクティブに想像力を活用しましょう。

すべての人が無事に、安全に、この局面を乗り切れますように。。


★体力気力温存のために
意識を自分の体全体に(日常忘れやすい足腰、お腹、胸、お尻、背中を中心に)向けつつ深いゆっくりとした鼻呼吸で自分自身をケアしましょう。体全体とつながるだけで、体本来の機能が全力で働き、生命維持に最善を尽くしやすくなります。

★リラックスのマッサージ@izumi444さんより引用
ふくらはぎを下から上にもみ上げるとリラックスでき、足に滞っていた血液が心臓に戻りやすくなります。またこの方法は首のコリにも効果的です。眠れない時、緊張が強い時、肩や首が凝っている時などお試しください。足の裏や手のひら、指をもむのも効果的。

★緊張緩和の方法
緊張したり、感情を抑えようとすると顎や首肩、脚などを固めてしまいがち。どうぞゆっくり深呼吸して、そっとやさしくほっぺを膨らませたり、あくびをして伸びしてみたり、スキップしてみたり、両手をバンザイして左右に振ってみたり、尻文字書いたりしてみてください。ちょこっとずつゆるみます。

★あごの緊張緩和の方法
今、無意識に歯を食い縛ってた。。ゆるめるために、舌をべーっと出したまま、微笑むときみたいにほっぺと口角をなんどか上げてみたらちょっとすっきり。いつもしないばかばかしいことしてみるのがいいみたい。

★セルフヒーリングのために
こんなときだからこそ、歌をうたったり、きれいなものを見て涙をながしたり、抱き合ったり、ふざけてくっついてみたり、変な顔をしてみたり、いつもしない動き方や体操をしてみたり、こどもみたいにすなおにしてみましょう。きっと心も体も洗われます。

★めまい緩和の方法
めまいがある方へ。私もやってみて改善されたのでよろしければ。めまいのあるとき、ゆっくり鼻呼吸をしながら、意識を下腹部~脚~足の裏全体につなげます。息をふーっと吐きながら、上がっていた気がたっぷりと重たくなって、ゆっくりと下の方へ沈んでいくイメージを。少し落ち着きます。

★頭の忙しさから開放されるために
心配事、不安があったり、考え事で忙しいとき、呼吸が浅くなり、気が上に上がりがちです。落ち着くために、ゆっくりした鼻呼吸と低い音でのやさしいハミング、下腹部&下半身へ意識を向け足腰を使うなど心がけましょう。それだけで、心身が安定してきます。

★ひとごみで自分を守るセルフヒーリング
人ごみで調子を崩してしまいそうなときも、どうか意識をおへそから下、お尻、脚全体、足先、かかとに下ろして、下半身の関節(股関節、ひざ、足首)や足の裏全体がやわらかく自由に使えることを思い出しましょう。そして、重くたっぷりしたはちみつのようなエネルギーが、自分の体の中やまわりを通って頭のてっぺんから地面にむかってとろとろと落ちていくことを想像してみましょう。そのときに、そのエネルギーを通して、自分が守られ、チャージされていくことも一緒にイメージ。

★心身のバランスをとるために
こういう落ち着かないときこそ、じっとしていられない人は歌いましょう&踊りましょう。動きたくなくてじっとして居たい人は自分をからっぽにして祈りましょう&やさしく小さくハミングしましょう。

★混乱しているときの運動
混乱しているときは、四股を踏むように足を広げて腰を落とし、ひじを曲げて腕をぶんぶんと全身で振ってみましょう。腕(指先まで)とハート(心)はつながっています。エネルギーを動きで発散させてあげている間に、頭のショートは落ち着いてきます。

★落ち着くための簡単な方法
どうしたらいいかわからなくなったときは、できることなら足や足の裏をもみましょう。まわりに困っている人が居たら、足の裏や手のひらをもんであげましょう。お互いにもみ合うのも有効です。忙しくなりすぎた意識が、体にずっと戻ってきやすくなります。

★緊張を取り除く簡単な方法
心配そうな人、困っている人、苦しんでいる人が居たら、声をかけて背中をやさしくさすってあげたり、さすってもらったりしましょう。心臓の裏側、背中の少し上の辺りは、緊張して強張りがちです。触れられるだけでも、ほっとゆるみます。

★疲労回復安眠の方法
疲れてしまったら、どうか一瞬でもお昼寝を。寝しなに、体の細胞一つ一つが小さな花のつぼみだと想像し、それらがゆっくりとやさしく解けて花開き、体中が花でいっぱいになるのをイメージして眠ってみてください。緊張がほぐれ、安眠できます。

★痛みと緊張をほぐす方法
痛み、緊張などを緩和するのに、つぼみが開花するイメージが役立ちます。まず、その症状のある場所が固い花のつぼみだと想像します。暖かな日差しや空気に包まれて、だんだんとつぼみが花開いていくことをイメージします。必要な時間をかけ、焦らずに大切に見守るうち、改善します。

★ショック緩和の簡単な方法@millefleurs87さんより引用
私たちは、強烈なショックを受けると、目の前が真っ暗になり、目が座り、筋肉も緊張し、体も心もフリーズしてしまいます。この状態を解消するのには「眉間にライトを当てる方法」が効果的です。光が松果体を刺激することで、思考の囚われが外れ、同時に筋肉の緊張も解かれリラックスすることができます。(※ライトがなくても、眉間に陽光がさんさんと降り注ぐことを想像するだけでも効果がありました。by オカナオ)

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2011年3月14日月曜日

スカイプ臨時イベントのお知らせ

あたまをほぐすからだのレッスン
アレクサンダー・テクニークの Sudio Saltia* オカナオです。


こんなときだからこそ
それぞれの状況、状態にかかわらず
お互いの想いや祈りを分かち合い
つながりたいと思います。

ひとまずは、今週18日金曜日まで、毎日継続します。
もちろん、無料でご参加いただけます。

国内、国外、既知、未知を問わず
ご自由に参加していただけたらと思います。

ご参加お待ちしております。



■朝の祈りと瞑想■

9:30~10:00(約30分を予定)

呼吸をととのえ、自分自身の体、存在全体とつながりましょう。

春の朝陽のエネルギーを取り込みながら
日本全体に明るさとあたたかさのサポートが届くことを
祈りとともにイメージし、想いをつなげます。

それぞれすべての人の一日の無事を祈り
それぞれのはたらきが最善に、充分に行き渡るよう
ねがいを自分の深くに働きかけ、励まします。



■夕方の祈りと瞑想■

17:30~18:00(約30分を予定)

呼吸をととのえ、自分自身の体、存在全体とつながりましょう。

星の光のやさしいエネルギーとつながりながら
一日の疲れ、不安、緊張などを手放す
リラクゼーションとカームダウンの時間を持ちます。

自分の内からネガティブなエネルギーを手放し
そこからの気づきと学びを受け取りましょう。

それを通して、日本全体に叡智のサポートが届くことを
祈りとともにイメージし、意識をつなげます。

それぞれすべての人の夜の眠りと朝の目覚めの無事を祈り
それぞれに休息と安寧が充分に行き渡るよう
ねがいを自分の深くに働きかけ、癒します。





■お申し込み方法■

それぞれのイベント開始15分前までに
studio.saltia@gmail.com宛に
タイトルを「スカイプ臨時イベント参加希望」とし
参加希望のイベント&日時とスカイプ名をお知らせください。

こちらのスカイプ名はオカナオです。
参加10分前までに返信が届かなかった場合は
スカイプにて直接コンタクト追加リクエストにて
以上と同様の情報をお送りください。

ご参加お待ちしております。



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2011年2月15日火曜日

こころ(自分)とからだが離れてしまっていると感じたときは

あたまをほぐすからだのレッスン
アレクサンダー・テクニークの Sudio Saltia* オカナオです。


先日、大学の生徒から質問メールをもらいました。
(こういうのも、ほんとにうれしい贈りものです^^)


「こころ(自分)とからだが離れてしまっていると感じたときは、
 どう対処していけばいいのでしょうか?」

という大切な質問。


これは、日常の忙しさにかまけて
ついつい見逃してしまったり
無視してしまいがちなところなんですが
ほんとうに根本的に大切なところなのです。。

感性をつかって表現し、創造する人ほど
心身に対しての感度はクリアな方がいいし
メンテナンスやケア(お手入れ)の仕方を知っていることが
どれだけ重要なことでしょうか。。。

どんな仕事、立場、役割、年齢、性別であれ
感性が豊かで細やかに味わえる人ほど
ここを大切にしてもらえたら
それぞれのひとがやさしく居られるような気がします。



では、どうしたらいいのでしょう。
わたしの場合の対処法3つのケースを書いてみたいと思います。




その1 「ちょこっと自分内にズレを感じたとき」

ふと気づいたときに
あれ?なんかおかしいぞ?快適じゃないぞ?と感じて
自分の気持ちや身体にもどってみようかな
という場合の対処法です。

そんなときは、調子が良かった状態のまま
ついつい調子に乗って走りすぎてしまったり
理想に夢中になって自分を忘れたときに起こります。

だからこそ、心が自分に戻って来やすいように
自分にとって喜びや楽しみを与えてくれる
大好きなものごと、場所、瞬間とつながると、ほっとします。

大好きでしあわせになっちゃう大好物を食べる、とか
大好きでたまらない人と時間を忘れておしゃべりする、とか
大好きでうっとりしちゃう場所でゆっくりする、とか
大好きで無条件に微笑んじゃう映画を見る、とか
とっても気持ちの良いマッサージを受ける、とか。

とにかく、そういうことを自分に与えてあげることが大切で
どんな些細なことでも、小さなことでもよくて
むしろ、大掛かりなこと、労力をたくさん必要としなければ
よりいっそう日常に楽しみを取り込むことが出来ます。

これは、日常的に習慣にしておくことが
いつも自分をベストコンディションにしておくために役立つし
なによりも、ものごとを創造するには Joy & Fun が不可欠!

心身の必須ビタミンと思って、ちょこちょこ心がけています。




その2 「何もする元気がないとき」

ちょっとでも動く体力・気力がないほど
エネルギー低下してるとき
忙しすぎて目が回ってしまったり
倒れてしまったりした場合の対処法です。

何をするのもかったるかったり
めんどくさく感じて、気持ちが重くなってしまったり
うつ状態、ショック状態、変化で混乱しているときも
心身にとって緊急の休養が必要な時期なので
時間の流れ方やペース、リズムを
自分以外のものから自分に戻してあげることが大切です。

たとえば、頭ではそう思えなくて
もっともっとやらなきゃ!と焦るのだけど
からだが全然ついてこなくて心身が軋むようなとき
たいていは頭(思考)が何でもコントロールしたがって
自分の許容量を超えた要求を強制してしまったときなどです。

それは、言ってみれば、自分内強制労働!

暴君も自分!奴隷も自分!という
自分内暴力の世界に無意識に突入してしまっても
だれも気がついてあげたり、止めることができません。

だから、炎症や熱を出したり
心や体が起き上がれないほどの状態にして
有無を言わせず自分内暴君から自分を解放しようという
生命の安全システムが作動します。

そんなときは、どんなに大げさだと思っても
自分の緊急事態!と思って、することを最小限にして
ただひたすら体の欲するだけゆっくり眠り
何もしない時間、自分のためだけの時間をとってあげます。

心も体も、頭の中(思考)もからっぽに
外界の情報、刺激をシャットダウン。

なぜなら、自分内の許容量を超えていたり
オーバーワークをしつづけてきた結果なのだから
消化、浄化、回復されるだけのゆとりを
自分に必要なだけ与えてあげることが重要なのです。

少なくとも数日間集中的にそんな時間をとり
自分の回復を信頼して待ってあげます。

その間に、その1でお伝えしたような好きなことや
自分が本当にリラックスできることを徐々にしてあげます。

わたしの場合は、こんこんと眠り続けたのちに
塩や精油を入れたお風呂にゆっくり浸かったり
あたたかいスープや飲み物を飲んだり
こどもの頃に好きだったものに触れてみるうちに
少しずつ芯からゆるんできます。

自分が心地よいと感じることに身を任せながら
自分のリズム、ペース、時間をとりもどしてあげると
自分の心が体に帰って来てくれます。

このプロセスは、自分への暴君ぶりや関係性
そのときどきの状況や環境次第で
必要な分の期間が変動します。
(数週間、数ヶ月、数年となる場合も。大切なことです。)




その3 「じっとしていられないとき」

あれ?なんか自分らしくいられないぞ?と気がついたけど
一瞬たりともどうにもじっとしていられないし
どうしたらいいか全くわからない!という場合の対処法です。

これは、自分のエネルギーが余るほど貯まってるんだけど
それを方向付けられるだけの準備がまだできていないとき
こうなることが多いような気がします。

新しい段階(新学期、新しい環境など)にシフトして
ハイテンションになっていたりする場合のほか
ものすごい怒りで沸騰!爆発!!したときや
嬉しくてハイパーになって浮き足立っちゃったとき(笑)などです。

その場合は、とってもシンプルです。
わたしは無心にお掃除をします。
もしくは、走ったり、踊ったり、とにかく体を動かします。

お風呂やトイレ、台所などの水周りをぴかぴかに磨きこんだり
部屋を片付けたり、模様替えをしたり、要らないものを捨てたり。
体を動かして、物を動かして、空間をきれいにととのえます。

あとは、公園などで疲れてくたくたになるまで走って歩いて走ったり
家の中で音楽をかけて踊り狂ったり。

そうでないと、ハイテンションなまま余計なことをして
後になって「がびーーーん・・・」ということになりかねない(笑)。
(20代はそういう若気の至りだらけ!それはもう、おばかさん!笑)

でも、エネルギーがハイパーなときに
そうやって体を動かしてあげると
エネルギーの走りすぎがスローダウンして体が追いつくと
疲れとともにすっとした爽快感を感じられるのです。

とくに、水周りの掃除のあとのすっきりといったら!
それから、さらにすっきりするべく
シャワーを浴びたり、お風呂に入って
自分の心身まるごとすっきりさっぱりさせてあげます。






どの対処法においても
自分の現状を問題視(敵視)しないで
あたたかく建設的に対処してあげること
それがとっても大切なんだなと感じます。

それぞれの人がそれぞれに
みんな自分らしく居られますように。
(それが、いちばんの豊かさだと思うから。。)



今日も長い文章を最後まで読んでくださり
ありがとうございました!


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2011年2月14日月曜日

楽しくなるってだいじだな

あたまをほぐすからだのレッスン
アレクサンダー・テクニークの Sudio Saltia* オカナオです。


楽しくなるってだいじだな、って思う。

思うだけじゃなくて、そう実感。

楽しくないと、なにも生まれない。



何かを生み出すためには、喜びや楽しさが必須だ。

食べ物や栄養もだいじだけど、Joy & Fun はもっと大切。



それなのに、ずーっと

自分が楽しく過ごすこと、楽しそうにしてること

幸せでうきゃー!ってこどもみたいになることを

本当には自分にゆるしてなかったんだなって気がついたから

もうそんな制限はずしちゃった。



ほんとうは、一体どうやって暮らしてるんだか

生計立てて生きているんだかわからない

わけわからないけど何だか楽しそうな

こどもみたいに遊んで暮らしてるような大人になりたかった。



それを望みながら制限して

ブレーキ踏みながらアクセルも踏む

みたいなことしてたから、それはもうやめた!

そんなことしてたら故障しちゃうじゃんかー!って。



だから、わたしは遊んでいるように日々することを楽しんで

生活のこまごまを喜びながら実験して快適にして

大いに自分の人生を謳歌しちゃうことを解禁したのだ!



だから、今夜も大好きなたこ焼きを

お気に入りの新しい鉄板で焼いて夕飯に食べるのだー。


中に入れる具は、たこじゃなくてイカだけど

しかも、白菜にきのこも入れちゃうけど

なんでもありでおいしかったらそれでいいのだ!



楽しいことはだいじだな。。

楽しくなるってだいじだな♪



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2011年1月23日日曜日

夫のぎっくり腰からみつめなおしたこと

あたまをほぐすからだのレッスン
アレクサンダー・テクニークの Sudio Saltia* オカナオです。

東京での仕事(大学の授業)が無事終わり
ホッとしたのもつかの間、
大分で猫のみつと残って留守番としてくれている夫が
出会ってから3度目のぎっくり腰になりました。

正確にはぎっくり腰とは言わないのかもしれませんが、
彼の持病の腰椎ヘルニアの症状が再発しかけた
という状態です。

そんなわけで、予定を繰り上げて急遽帰宅しました。
(予定をキャンセルしてご迷惑をおかけしてしまった
 みなさまには本当に申し訳ありませんでした。。)

わたしにとっては3度目の夫の介護であり
結婚前の家族の介護も入れると
またか・・・となりがちなところですが
何だか今回は観察しどこと満載で興味深いです。

わたし自身も骨折などの怪我をして
介護される立場になったことがあるのですが
介護される側も、する側も
心身ともに快適であるようにすることが
とても大切なんだなぁと改めて実感しています。

体を故障してしまった当事者は
自分を責めたり、状況を責めたりしてしまうと
自分の体を小さく縮めすぎたり、緊張させたりして
過度な負担を自分の心身にかけてしまいがちです。

同時に、ケアをする側も、介護しながら
相手の体勢に自分を合わせて食事をさせてあげたり
体の手当てをしてあげたり、介助をしたり
そのときに自分を屈めてしまいすぎて
体を痛めてしまって疲れさせてしまったり
その結果、心が疲労してしまうことがあったりします。

でも、そんなときにどちらの人にも
アレクサンダー・テクニークを使って欲しいのです。

どんな状況でも、わたしたち一人一人が
身体的にも、精神的にも
存在そのものとしての尊厳を
充分に尊重され、大切にされてよいのですね。

わたしもそのことを以前は知らなくて
介護される側のときも、介護する側のときも
自分を心身ともにいじめながらで毎日きつくて
なんで自分がこんな目に遭わなきゃいけないの?
と思っていました。

でも、アレクサンダー・テクニークを学んで
自分がただここに在るままで
こんなにも尊重されていいのだと
体と意識の拡がる感覚を味わう体験を重ねました。

今、教える側になってみて
以前のわたしに何が起こっていたのか
冷静に、でも温かく見つめられるように
だんだんとなってきています。

その中で、わたしが
アレクサンダー・テクニークを通して
本当に伝えていきたいことは
自分の一生のパートナーである自分自身を
心身ともに手を取り合っていかれるように
それぞれがなっていくことです。

どんなときも、自分を必要以上に責めないこと。
そうしたいときも、自分の体を小さくしなくていいこと。

自分に当たりたいほど辛いときも
それをすることは何の役にも立たないと知っておくこと。

相手や状況を責めたいときこそ
自分の体に戻ってきて、今の自分の体に気づくこと。

自分の体にしっかりと自分がつながって
今この自分と自分の感覚的気づきの体感とともに居られたら
落ち着いて、自分や相手や周りを尊重する余裕を
今までより少しずつ少しずつ持てるようになっていきます。

わたしたちの理想が高すぎて
「正しくあるべき」、「もっとがんばらなくては」、
「~しないと愛されない、充分ではない」と
自分を追い込んで、自分の思考の中の理想と一緒に居て
自分の体という実際の存在を置いてきぼりにすることが
多くの問題を生み出してしまいます。

だからこそ、本当の自分が存在する「我が家」である
自分の肉体に自分の意識を戻してあげたいのです。

そして、体に起こっていることに気がつくことが
「我が家」に明かりを灯すことになります。

今居る自分の「我が家」を愛して
居心地良くしてあげることほど
自分にとって快適なことは無いと思うのです。

だからこそ、自分の体ともっと出会うこと
忘れていたことを思い出したり、知ること
そういったことが大切なのだと思います。

介護をされる人も、する人も
自分の存在を忘れて、大切にしないでいるところから
ほんの少しだけでもいいので自分の体に気づいて
そっとやさしく自分をなでてあげたり
普段気にもかけなかった場所に触れてあげたり
自分のケアをしてあげたら変わるような気がします。

心身の状況が混乱のときこそ
自分の意識を自分に戻して
体にちょっと気づくことだけでも
アレクサンダー・テクニークの
原理をちょこっと使うことになります。

なんだか散らかった内容になってしまいましたが
どうぞ、それぞれの方が自分と仲良く
どんな状況も肯定的に味わいながら
無事に乗り越え、歩めますように。。

長い文章、読んでくださり
ありがとうございました。

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2011年1月8日土曜日

ホームページを新しくしました。

あたまをほぐすからだのレッスン
アレクサンダー・テクニークの Sudio Saltia* オカナオです。

ずっとずっと気になっていたホームページ
やっとやっと新しくしました。
http://www.saltia.jp/

とりあえず、やっつけだけど
新しいデザインでホームページをアップできて一安心。

崩れているところがあるけど、修正はまた後日に。
とりあえず、明日(あ、もう今日か!)に間に合ってよかった。。

タグも打ちながら、古いDreamweaverで作ってるからややこしや。
でも、ちょっとずつわかるようになってきた。よかったー(涙)。

できないと思っていたことが、できるようになるってうれしいね。

今回はデザインを全く新しく作り直すつもりで
暫定的にテンプレートを使ってみました。

それでいじってみたのだけれど、
まだスタイルシートまで手が回らず。。

でも、わかりやすく出来たことは大きな一歩。

今年は、シンプルにすなおに
自分にも相手にもわかりやすく
というのをテーマにしてます。

ホームページから始めて
仕事も日常生活も
自分のエネルギーの使い方も
みんなシンプルにすっきりと。

そうして、シンプルをこつこつ重ねて
積み上げていかれたらいいな、と思ってます。

それでは、おやすみなさい!

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2011年1月4日火曜日

新年のごあいさつ

あたまをほぐすからだのレッスン
アレクサンダー・テクニークの Sudio Saltia* オカナオです。

2011年おめでとうございます!
気持ちも新たな1年の幕開けですね。

昨年はたくさんの方にさまざまな形でご縁をいただき
多くのことを学ばせていただく幸運に恵まれました。。☆

年末年始に色々なことを振り返ってみて
何とまた濃い一年だったのだろうと
感覚的には数年分のような味わいをかみ締め
出会ってくださったおひとりおひとりに感謝です。。
ありがとうございました!

今年は昨年までの経験をふまえ
未知への学びと探求を深めつつ
よりわかりやすくて明確な
楽しいレッスンを心がけていきます。

本年もどうぞよろしくおねがいいたします。


さて、年明けはゆるゆると
1月8日(土)九州・大分でのワークショップから始まります。
http://www.alextech.net/modules/jats/index.php?content_id=405

その後、11日から25日までは、東京滞在の予定です。
15日(土)も西新宿にてワークショップを開催します。
http://www.alextech.net/modules/jats/index.php?content_id=406

どちらのワークショップも8名限定
パフォーマー向けの内容です。

大分での会場は、鏡張り&防音ですので
俳優、ダンサーの方、音楽家の方ともに大歓迎です。
もちろん、プロ、アマ、経験不問です。

東京の会場は、鏡張りです。
防音ではないので、思い切り音を出すことは出来ませんが
俳優、ダンサーの方、音楽家の方ともに大歓迎です。
こちらも、プロ、アマ、経験不問です。

そうそう!
昨年末、とても嬉しいニュースが舞い込みました。

日本大学芸術学部演劇学科で
演技に応用するアレクサンダー・テクニーク
という実習授業を担当しているのですが
そこに音楽学科から参加してくれていた丸田くんが
コンクールで最上位入賞の報告をしてくれました!

授業のときの実践編の応用実験で
バストロンボーンを吹いてくれたのですが
アレクサンダー・テクニーク使用前・後の変化が
とても鮮明で、印象的だったので
彼の入賞の報告はとてもうれしいお年玉になりました!

自分にとって慣れ親しんだものに
新鮮な喜びを吹き込むのが
アレクサンダー・テクニークの醍醐味。

まるで魔法のように音が変わり
感覚的な喜びと眠っていた才能が弾けます。

そんな体験を味わってみたい方は
入門としてまずはワークショップへどうぞ!


1月8日(土)九州・大分ワークショップ
http://www.alextech.net/modules/jats/index.php?content_id=405

15日(土)東京・西新宿ワークショップ
http://www.alextech.net/modules/jats/index.php?content_id=406


では、みなさまにとって
今年がさらなる新たなひろがりと
喜びに満ちた年となりますように!

☆☆☆

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