2010年9月24日金曜日

Seed Exchange

 昨夜は、YOGAインストラクターでHOLY Artistのayamintさんに声をかけてもらって、初めてSeed Exchangeのイベントに参加してきました。


 種の交換会をするんだって~、と以前から小耳に挟んでいて面白そう、と思っていたら、まさか前日に声をかけてもらって、こんなにすぐに参加できるとは。。

 ちょうど手元に、ライフスタイルの中心を農業にシフトした友人へおくるため、この夏に買った野菜から採取した天間紅キュウリと縞柄のうりの種(固定種)を持ってた!とってもラッキーでした。

 渋谷のdaylight kitchenというすてきなカフェでのイベントで、集まっていたひとたちは50人ほど。ほとんどが女性でやわらかく華やかな雰囲気。

 そのなかで、「野口のタネ」の野口さんがお話をしてくださって、タネの種類には、F1という意図的に掛け合わせてつくられた雑種のタネと、在来種や固定種といわれるむかしから本来の姿のままのタネがあること、F1のタネがどうやってつくられるのかなど、はじめて知って驚きました。


 本来植物が子孫を残すために持っているメカニズムである、おしべとめしべをもっていて、受粉すると実ができて、種ができて、そこから新たな命がまた育って子孫を残していのちをつなぐ、という部分が、意図的に操作されているのがF1のタネなんですね。

 F1というのは、雑種交配した1代目という意味で、雑種1代目は出来が良い作物が揃いやすい、ということもあり、それを意図的に生み出すために製造されたタネなのです。

 それだけ聞くと「お、いいじゃん」と思うのですが、じつは、そのために、雑種二代目が生まれないようになっているのだそう。つまり、F1のタネは、次にいのちをつなげない、タネをとれないタネということ。

 F1のタネの作り方は、雄性不稔という、生殖能力を失ったおしべを持つけれど、めしべのみ生殖能力のある突然変異の株を使って製造されるのだそう。本来であれば自然淘汰されてしまう株を、意図的に残すことで、食材として人間に都合のいい植物を生み出していく。

 雄性不稔の株をビニールハウスに入れて隔離して育て、本来は受粉してもタネができないはずなのに、花がついたら二酸化炭素濃度を高くして、植物の本能をかく乱することで、無理やり受粉させてタネをつくる。そうやって、新しい品種(特定の病害に強い、大量にとれる・・・)を生み出して、クローンのように画一化された野菜が取れるように操作されている。


 でも、本来のタネ、固定種や在来種のタネは、同じ種類(きゅうりならきゅうり、トマトならトマト)でも、一粒ずつ遺伝の情報が違っていて、病気に強いのがあったり、味がいいのがあったり、小さいのや、大きいのや、育って実ってみても現れてくる個性に多様性があって、病害や天候不順などにあっても絶滅しないようになっているそうなんですね。

 だから、これらのタネは、環境に順応したタネを生み出す力を持っている。今いる土地で自分のいのちをつなげていく力を持っている。そういう意味で、いのちの力=本来の生命力を持ったタネなのだそうです。


 遺伝子操作されてしまったタネは、本来の自然の中ではありえない、いのちを踏み越えてしまったタネということになるのかもしれませんね。

 よく、「遺伝子組み換え作物不使用」と書かれた商品を見ますが、そう考えてみると、どこまでが遺伝子組み換えなのか、そうではないのか、人間の手がどこまで加えられることが許されているのか、生命の倫理に関わってきちゃうのだなぁと感じます。(犬や猫のペットや、馬や牛などの家畜についても、つながってきますね。)

 日々食べている野菜に、そんな問題というかテーマが隠されていたとは、だれも気づかずに、「野菜はからだにいい」と思って作られ、食べられている。でも、その中身をよく知ること、よく見ていくこと、よく考えていくこと、じつは、それが今いちばん大切なことなのだなと感じました。


 オーガニックであること、無農薬、有機、こういったことが、どのように一般的に使われていて、自分はどうそれらをとらえているのか。

 同じイベントで話されていた、ジョン・ムーアさんのことば
「今の自分にできることを少しずつ、みんなちょっとずつアクションすること」
ほんとうに、そのことから大切なことがだんだんと伝わっていって、それぞれが内側から少しずつでも変わっていかれたらいいなと思いました。

2010年9月16日木曜日

パラサイトクレンズ、明けまして3

さて、パラサイトクレンズと食事制限でわかったこと。

いつも、どれらけあたま(思考)で欲しがって
からだを無視して食べていたか、ということ。

ほんとに、からだがきもちいい、ちょうどいい!って感じる量って
自分が思っているのより半分くらい少ないんだって。

量だけの話ではなくて、その中身と質も重要なのだけど。


食事制限をしていて、しばらく少量粗食がつづくと内臓が休まって喜ぶのに
「まぁ、このくらいいいか」ってちょっとしたものを食べちゃうと
肝臓や胆のう、胃や腸、からだ全体にどーん!って来ちゃうのですね。

たとえば、マヨネーズ(自家製だった)とかもそうだし、糖分もそうだし
ちょっとぼんやりしていて食べちゃったお肉の脂身や豚肉もそうだし
自分のからだには実はすごく負担なものってこんなにあるんだなって気がついて驚いた。

うすうすわかってはいたけど、そんなにも消化にエネルギーがいるんだなって。
それをどれだけ無視して、自分のからだの消化器官を酷使してきたか!

だから、ついおいしくて食べる量が増えると、眠くなる、眠くなる!
食事の量と質とその時間帯が消化にもろに影響を与えて
消化のメカニズムは睡眠にも影響を与えるって、ほんと体感で初めて知った。

食べ過ぎれば、からだは重くなってじっとしていたいし
お腹がすけば、からだは軽くなってきて、慣れないと不安な気がしちゃうけど
でも、実は睡眠時間も短めでもすっきりできて、からだが楽なんですね。


食べなくてもいいということを知っていく体験は、
ふだん、当たり前にごはんにかけていた労力がどのくらいかを知ることでした。

ごはんにかかる時間(料理、食事、献立を考える時間、買い物)どれもが
今回の経験で、食が簡略化される分だけ単純化されて
普段どれだけ時間も労力をかけていることなのかよくわかったなぁ。

その分、わたしにとって、食の楽しみがどれだけ大切かということも
それを支えてくれる自分のからだ=食べたものを消化吸収排泄してくれるからだ
それをどれだけ当たり前に搾取し、依存していたかもわかって
食の習慣的傾向の影響力の強さを思い知らされて愕然。


だからといって、すべてをいっぺんに健康志向に守ることはできないけど
自分にはそういう強いくせ、傾向があるのだと知っていることは
自分自身をほんとうに大切に養っていく上で重要なカギだとわかって
これからたくさんの実験をしていけるテーマになったな。


からだが異常事態のサインを出すまで必要以上に食のバランスを崩すこと
それは量でも、内容の種類でも、質でも、あらゆることにおいて
自分のからだを通して行われることの全てが「快」でいられるように
意識的であることをそのために使っていきたいな。。

というわけで、食習慣や常識のリセットをして自分のお手入れしたいなら
一時的に集中した食事制限をするって効果的。。

ストイックになりきれなくても、できる範囲から始めてみると
自分のことをもっとよく知ることができるんだなって感じます。

うーん、行き詰ってきたり、わけのわからない疲労が溜まったら
また食事制限するプログラムをやってみよう。

で、酵素玄米菜食を基本にして暮らしていたら、快適になれる予感がしてます。
おしまい。

パラサイトクレンズ、明けまして2

さてさて、つづきです。


パラサイトクレンズ、そんなわけでストイックになりきれずに18日目に休止。
でも、初めてにしては、色々実験できていろんなことがわかった!
失敗は成功の母!(と、自分を励ましてみる。)

おくりものな気づいたことの前に
失敗も書いておきますね。


パラサイトクレンズの食事制限と並行で
西式甲田療法の玄米生菜食もちょこっと取り入れて
基本の食事は、こんな感じ↓でした。

 ・ 酵素玄米+ちりめんじゃこ+ごま
 ・ お豆腐+みょうがorしょうがの梅酢漬け
 ・ きゅうり+梅肉+しょうが

あとは、しいたけと昆布のおだしを飲んだり
野菜いためとか、蒸したのとか、オーブンで焼いたのとか
焼き魚、鶏肉のグリルしたの、蒸し魚とか。

あと、どうしても夫一人では食べきれないお刺身も一緒に食べちゃった。
ほんとは生魚、生肉はパラサイトクレンズ中だめなんだけど。。

それと、甘いの欲しくて甘酒(麹の方の。ノンアルコール)も飲んじゃった。
クレンズ中は、発酵させたものもだめ、ってたしか書いてあった気がするのだけど
プレーンヨーグルトはいいのに、なぜ発酵食品はだめなの??
と、はてながいっぱいで、飲んでみちゃった。
豆乳でなるべく薄めたのだけど。。

あと、ピザも焼いて食べちゃいました。
小麦粉もチーズもだめよ、って書いてあるのに、でも食べちゃった。
ほんと、ゆるゆるだ。

食事制限のシートは英語であるのもあるし、アメリカの食文化での制限だから
日本人がするときは日本の食文化とどうすり合わせるかがポイントな気がしてきた。


でーも、ほんと、実験でおもしろかったな。
わかったことは、つぎにつづく。

パラサイトクレンズ、明けまして1

8月25日から始めていたパラサイトクレンズと少食や食事制限を
9月11日に休止してみました。

のべ、18日間、かな。
あと4日間分残ってますが、またの機会に。

休止したきっかけは、食物アレルギーが何かのせいで出てきちゃったから。。
口から食道にかけての粘膜がずーっと腫れちゃって、サプリメントが飲みこめず
これは一旦お休みしてもいいのかもしれないな、と感じて。

パラサイトクレンズをしようと決めたとき、食事制限のことをまったく知らなくて
ただハーブのカプセルを飲めばいいだけなら簡単!って始めちゃった。

でも、飲み始めてから並行した食事制限が有効なことや
その内容のきびしさ(←わたしには!)を知って、びっくり&実験気分でわくわく。

あんまりストイックになりすぎてしまうと、食事の団欒がなんだか味気なくなってしまうので
基本的には果物や砂糖をさけたり、食べたらいけないものを避けるようにして
なるべく一緒に食べられるものを工夫したのだけど、夫には不評だったようで
わたしの方がなんだか居心地わるくなってしまって、後半はゆるゆるにしていました。

小麦粉がだめ、となると、麺類、天ぷら、お好み焼き、パン、ピザ、ケーキなど
けっこう多くのものが食べられなくなるんですね。

今年の夏は猛暑だったこともあってか
野菜の種類も有機無農薬とか自然農のものだととくに限られていて
きゅうり、なす、ししとう、つるむらさき、空芯菜とかそんな感じで
生食しやすいものがなかなかなかったので苦心しました。

自分の家のベランダ菜園のつるむらさきを食べたり
もやしや海草、しいたけを生で食べたりしていました。

ふつうの野菜でもまぁいいか・・・と、妥協してトマトやアボカドなども食べたり
暑すぎてエアコンのない我が家では難しいことが考えられず
あとは生ナッツを浸水させたのをつまんだり、プレーンヨーグルト食べたり。

パラサイトクレンズするのは、もしかしたら夏よりも
野菜が豊富な秋からの方が快適だったかもしれない、なんて思ったので
また、チャレンジしてみたいなと思ってます。


それにしても、なによりも、大好きなスイカといちじくを我慢するのがきつかった。。
スイカはがまんできなくて、皮に近い甘みのすくないところを食べて
甘くなってくるところから真ん中は夫が食べる、ということになったり。


でも、食事制限をしてきつかったことばっかりじゃなくて
ちゃんと受け取れたギフトもいっぱいあって、それがよかった。

それは、この次に書こうと思います。

結果と、今していることと

いや~、そういうことだとは気づいてなかった。
皮がむけるみたいに、つるりと気がついた。


結果って、先に気にしてどうこうしようとする対象じゃなかったんだね。

いや、知ってはいたけど、ほんとには理解できていなかったよ。


今までずーーーーーっと、結果を気にしてやってきたんだなって。
どう思われるかっていうのもそうだし、どうなるかっていうのもそう。

そんなのさ、わからないのに。


ただ、今の自分がどう歩んでいきたいか、どう在りたいか
それがまず先にどーんとあってもいいのでした。

その上で、どう関わったらどんな風に自分が役立てるのか。

喜んでベストを尽くしてもおつりがきちゃうくらいの気取らない心がまえで
ただ、今できることをしてみることを積み重ねるだけ。

それだけでよかったんでした。

とってもシンプル。


シンプルだけど、奥が深い。


そういうふうに居ると、結果なんてどうでもよくなる。

正確に言えば、結果はわたしのしあわせを脅かすものではなくなる。



結果は結果でしかなくて
それは、自分のしあわせとは直接の関係がないのだ。

ただ、自分が結果に依存しているとき、結果に一喜一憂しちゃうんだな。

結果は、自分がしたことの後についてくるもの。
だったら、自分の満足がいくように、納得できるようにやったら
結果はどうであれ、自分はもうすでに満たされているから
やってきた結果をすなおに受けとめられる。


ってことは、それまでわたしがどれだけ
自分の満足のいくように、納得のいくようにベストをつくしてなかったか
ってことになる。

そもそも、ベストを尽くすことそのものが、自分の喜びであればいい。
そういう風にベストを尽くすことが、最善っていうんだな、きっと。


自分に疑いを差し挟むんじゃなくて
ただ、自分のしていることに関心を向けながら励ましつづけること
そうして、今の自分にできることを充分にやったら
それだけでもう気持ちがいい。

それは相手や事象に対してのまなざしでも、きっと同じこと。

どうせやるなら、気持ちがいい方がいいもんね。


その、「快」の感覚ってものすごく重要なものなんだと思う。

次のアクションを起こすためのモチベーション
つまりは、エネルギー源になってくれるものだから。

それが枯渇しちゃうように、もったいぶって嫌々やるから
どんどん自分が小さく消えていっちゃうんだな。


燃え尽きてしまうほどの激しさとか厳しさじゃなくて
自分が「快」な加減での最大限を楽しんでいかれたら
自分もまわりも、みんながハッピーになっていかれる気がする。

それってすごく健康的なことだ。


循環させるって、きっとそういうこと。

そんな風に思う今。
なんか最高にしあわせだな。


気がつけるって、ほんとおくりものだ。
なんだかクリスマスみたい。

そういう大人になるって、たのしいな。

そういうおめでたい大人でいこう。