2011年10月13日木曜日
何かをどうしてもやめられないとき
カラダとなかよく きもちよくSudio Saltia*の オカナオです。
さきほど、お休みのご案内を載せたばかりですが
書けるときにちょこっとずつだけでも。。
過日、何人かの方から同様のテーマで質問がありました。
「何かをどうしてもやめられないとき、どうしたらいいでしょうか」
「思う通りにいかないとき、自分をどう扱ってあげたらいいでしょうか」
それぞれに細かい内容は違うものの
自分と対象との関係性に関してのテーマ
としてみると共通です。
わたしの書くことは、今のわたしの考えなだけで
わたし以外の人にとってのこたえとなるものかはわかりませんし
明日になれば、わたしにとっても変化しているかもしれません。
そのくらいのつもりで読んでもらえたらなぁと思います。
何かをやめられないとき、というのはわたしにもあります。
過去の自分を振り返ると、特にいろいろ出てきます。
その中から、今は脱したものを振り返ってみましょうか。
では、その例のひとつとして、パズルゲームをあげてみます。
(ゲームを、それぞれのやめられないものにあてはめてみてください。)
わたしは以前、パズルゲームが大好きで
始めたら最後、よほど気をつけていないと
暇さえあればずっとパズルゲームをしている
という状態に陥っていたことがあります(笑)。
朝起きたら、眠気覚ましにゲーム。
電車に乗ったらゲーム。
待ち時間はもちろんゲーム。
料理の合間にもゲーム。
ご飯を食べ終わったらゲーム。
お風呂あがったらゲーム。
眠くなるまでゲーム。
でも、眠くならないからゲーム。
眠くならなくて、気持ち悪くなるまでゲーム。
そんな有様で、今思うと、よくそんなにやってたなー
と笑ってしまうくらい、はまりこんでいました。
じゃあ、やめようと思っていないの?意志の力は?
というと、やっぱり自分の中にはあるわけですね。
ほんとはもっと有効に時間を使いたいのに。
ゲームするよりも、もっと大切なことをしたいのに。
自分が気持ち悪くなるほどゲームなんてしたくないのに。
ゲームおもしろいけど、ほんとはどこかでうんざりしてるのに。
と、~なのに・・・ のオンパレード!
自分がなんでそれをやってるのか。
ほんとはどうしたいのか。
今、どんな状況で、それを自分はどう感じてるのか。
ただジャッジしないで観察できるようになってから
こういう状態から抜け出しやすくなりました。
というわけで、この状態になって卒業できたのは
アレクサンダーの先生になってからの話で
つい最近のことだったのですね。
でも、そのおかげで、とてもよいことがわかりました。
それは、自分の状況がどうなっているか観察するのにも
自分が本当はどうしたいと思っているのか知るときも
自分がその状況に関してどう感じているのか気づくときも
その状況でも、ただ「そうかー、そうなのかー」と観察すること。
つまりは、観察することに、批判を一切はさまないで見ること。
ただありのままに見て、ありのままにうけとって
自分がほんとうはどうしたいか、ということにYESを言うこと。
そして、それにYESを言うことを自分に許してあげること。
わたしたちはどこかで、認められていない、とか
自分は許されていない、とか
自分で自分に判定を下してしまいがちだったりします。
そうして、自分を押しやってしまうことが
状況をありのままに見てあげられないこと
また、そこから生じるあきらめや自暴自棄さなど
自分を大切にしてあげられない状況を生み出します。
そのことに気づいたら、ふと立ち止まって
ただ、少しだけ自分にちょうどよい距離をもって
しずかにそっと自分を見つめてあげてください。
自分を罰する必要も、押しこめる必要もありません。
ただ、そうしてしまってきた過去の自分のやり方をゆるしてください。
それは、あなた本来の姿ではなくて
その時はそうするよりほかの方法を知らなかっただけなのだと
ただ、そのことを知って、ゆるしてあげてください。
あなた本体は、もっと深く、ずっと揺らぎないところにあります。
わたしたちはいつも、そんな自分自身を忘れてしまいます。
だから、ふと立ち止まって、自分を見つめる必要があるのですね。
だから、ゲームはわたし、わたしはゲーム
という同化状態に本当はならなくてもいいのです。
今はただ、そういう状態の自分が自分ではないこと。
それは自分の選択してきた古いパターンであること。
それは、これから自分が意識的に選択すれば変えられること。
それらを知っていてください。
まずはそこから、あせらずにじっくりと。
時間のかかる自分を、自分のプロセスを
そっと見守ることをゆるしてあげましょう。
今日はここまで。。。
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