2010年10月24日日曜日

新しい流れへのシフト

あたまをほぐすからだのレッスン
アレクサンダー・テクニークの Sudio Saltia* オカナオです。


この二日ほど、とても興味深い流れの中にいました。

昨日は、満月のせいなのか過去のネガティブ思考&感情をレビューした日。
今日は、自分が「こういうものだ」と思っていた過去の枠から外れた日。


今日は、ただ流れにまかせてついていっただけ。

なのだけど、代々木公園での青空ワークショップに
誰も来ないかと思ったら、ワンちゃん連れで参加してもらえたり(初!嬉!)

どんぐりスタンプラリーに参加できたり
シイの実をたくさん拾えたり(食べられる!滋味豊か!)

それで出会ったカワイイ大学生に誘ってもらって
すてきなピクニックに参加させてもらったり

アースガーデンで欲しかったものが買えたり
大好きな友だちにバッタリ会えたり

自分で許可したことに、現実が連動しだしたり。。。


なんだかほんとに
現実って自分が生み出しているんだなぁって
実感することとなった一日でした。


そして、昨日はほんとに、コントラストくっきり!
光と真っ暗闇くらい全く質の違う一日でした。

このところずっと、しあわせなことがどんどん増えていて
毎日もう、今死んじゃったとしても感謝できるくらい満足で
何しても「ありがたいありがたい」って言うおばあちゃん
みたいな心境&日常だったのです。

でも、昨日、ひっさびさに過去の自分の感情が出てきて
あまりのキツさに絶望感まっしぐらだったのですが、ふと
「うわ~、昔のわたしは毎日こんな状態でいたんだ~!」
と思い出して、その感情と今の日常のギャップにびっくり。

わたしもびっくりしながら
怖がる野生動物が落ち着くのを待つかのように
むかしのわたしを追体験しながら労っていました。


じつは、過去のわたしは
生きて死んでいたような状態。

物心ついた頃から無意識のうちに
環境や色々なまわりの大人たちとの関係の中で
自分をまわりの期待に合わせて行動する道具にして
いい子を演じるほど、いじめや事故、パワハラに遭って
学校でも家でも常に緊張している状態でした。

わたしを愛してくれた人はいたのに、それは部分的で
無意識にそれを感じていたわたしは
まるごと受けとめてもらえない=愛されていないのだと解釈して
孤独感と絶望感と疎外感でいっぱいになっていて
自分で自分を責めて、生き埋めにしていたんですね。

だから、ずっと生きていたくなかったし
死ぬほどの勇気も元気もなくて
自分が消えてなくなればいいのに
と、いつも思っていました。
(う~ん、切ない子どもだ。。)

その反面で
人はほんとうは幸せになるために生まれてきたはずで
どんな最悪に思える状態でも
すべてのバージョンの中で今の「これ」がベストだから
今起こってることが現実になってるんだ
という、根拠ない確信を持っていて
どうしたら生きやすくなるんだろう?
どうしたらしあわせになれるんだろう?
そう疑問を抱いて生きてきました。

だから、そのギャップを埋めるために
いつも空想ばっかりしている子どもでした。


思えば、そんな真っ暗ななかでも希望を持って
空想することと、ものを作ることだけが慰めで
そのおかげで創造性が鍛えられて
思考力と言語化での自己防衛が身について
今のしごとにとても役に立っている。。

つらい中を、喜びも見つけながら
ここまでいのちの無事をつなげてくれた
過去のわたしとすべての体験に
感謝と「愛してるよ、大丈夫」のハグをして
もう怖がらなくてもいいんだよって言ってあげられる。

大人になってみて
こんなに色んなものがゆるせるようになってきたよ
みんなそれぞれの精一杯の中で生きてきて
コミュニケーションがうまく行かなかったけど
そこにはちゃんと愛情ややさしさはあって
それがお互いに気持ちいいように表現できなかったんだよ
だから、もう悲しまなくても
自分やまわりを責めて絶望しなくても大丈夫だよ
ただそう伝えてあげられる。


それまで、どうしていいかわからなくて
そういうネガティブなパターンが出てきたとき
その暗さと重さに慌ててパニックになって
思いっきり感情が乱れて大変でしたが
じつはそれって過去のことなんですよね。

感情や思考は時空を超えてしまうので
過去の体験のものであったとしても
それが出てくると
それは今のことなんだ!と錯覚して
ものすごく不安になってしまう。

不安からまたパニックになって
どうしていいかわからなくてつらすぎて
どう表現していいかわからないまま人に当たってしまう。

それが、自分も、多くの人たちも
過去にずっとやってきて
世代を超えて連鎖してきてしまったパターン。


でも、そんなときに一呼吸して
それは過去のことであると気づいてあげることや
そのパターンをお客さんや子どものように客観視して
何も変えようとか、解決しようとせずに
言い分をひたすら聴くことでケアしてあげる
自分内カウンセリングに充分に時間をとってあげるだけで
変わってくる。。

自分のケアが充分じゃないと人のことができないし
自分のケアが不十分なときほど
自分の話や気持ちをただ受けとめてもらうことが必要。

ほんとうに深く癒すケアって
そういうところから始まるもの。。

そして、じつは
こうしてそれが理解できるようになってきたのも
すべては過去の体験があったおかげ。。。

つまり、それは関わってくれた人すべてのおかげでもある。。
そんな、おかげだなんて思えない奴もいっぱいいるよー!
っていうのも、ないとつまらい人生の景色かもしれない。

だれがいい人で、だれが意地悪だったとか
そんなことはどうでも良くて
物語のキャスティングのように
色んなキャラクターがいなければ
彩りに欠けてしまうのと同じことだったりする。

だから、にくたらしい~!嫌い!って思った相手も
実は、欠けてはいけないキャストだったりする。
わかっても、やっぱり苦手!って思うかもしれないけど(笑)
それは人間だから、その感情もスパイスみたいなもの。
ちょっとは刺激がないとつまらないかもしれない。


自分が本当に変わっていきたいとき
どうしても結果を目的にしがちだけど
結果は結果でしかなくて
ほんとの目的は、自分が自分の歩みを楽しむこと。

たとえば
感謝ができるようになることが大切なんじゃなくて
自然と感謝が湧いてくるようになるまで
自分を深くケアしてあげることが
自分の心のフィルターをお掃除することだし
掃除してきれいになるほど
喜びを見つけやすくなるから大切だということ。

そうやって、ご褒美をもらいながら
人はきっと成長していくんだろうな。
それはほんとに魔法みたいなプロセス。


今日のわたしに起こったことも
昨日のわたしが体験したことをただケアして
傷ついていた過去の自分がホッとできたからかもしれない。

内側からホッとくつろげたら
その分だけ新しい可能性を迎えてあげられる。

落ち着けば落ち着くほど
変化を迎える準備ができてくる。

そうやって、どんどん新陳代謝しながら
新しいおもしろい流れに乗っていけるようになっていく。

絶望のときにも、希望につながる道があるって思いたい。
今これからはそういう時代。

無意識に過去のなかに生きることから
クリエイティブに新しい流れとともに生きることへ。

もう間違いは責めなくていい。
失敗するほど賢くなって歩いていこう。
そんな強さを信じて歩もう。


今日も読んでくださりありがとうございました:)


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2010年10月23日土曜日

特別講義・佐藤まいみさんのおはなしを聴いて

あたまをほぐすからだのレッスン
アレクサンダー・テクニークの Sudio Saltia* オカナオです。


木曜日の夜、母校の日大芸術学部演劇学科の特別講義で
さいたま芸術劇場プロデューサーの佐藤まいみさんのお話を
聴きにいくチャンスがありました。

佐藤さんは、日本にたくさんのダンスカンパニーを紹介された先駆者。
ラララ・ヒューマン・ステップスやピナ・バウシュのカンパニー、
ウィリアム・フォーサイスやローザス、ヤン・ファーブルなど
前衛的なダンス?演劇?というステージアートを運んでくださった方。

わたしもコンテンポラリーダンスが好きで
ピナやフォーサイスなど見に行ったりしていたけど、
まさかこの方が仕掛け人だったとは!
お話を伺えて光栄でした。

ラララ・ヒューマン・ステップスのグンゼのCMとか
子供の頃に見て印象的だったのだけど、その裏話も聞けてしまって
なんとも微笑ましく、久々に学生気分で勉強になった時間でした。

ダムタイプやヤン・ロワースの作品などの映像を見せてもらって
いまだに見ても新鮮だったり、ぐっときたりして
そんな作品を作ってきた人たちもすごいけど、
それを上演するために関わった人たちもすごいなと
改めて感心してしまうくらい、エネルギッシュでした。


最後の質問の時間での学生とのやりとりも
佐藤さん自身のおはなしも、彼女の人柄やこれまでの歩みを感じられて
何とも好ましくて、自分が何にYESと言うかで生きてこられたからこそ
学生に説得力を持ってお話できるのだなぁと感じました。

大野一雄さんが、パリ・オペラ座で公演されたときに
それまでパリ・オペラ座のバレエダンサーは36歳くらいで定年で
踊ることをやめてしまうことが多かったそうなのだけど
大野さんが踊られたことで、「ダンスはスポーツではなくアートだ」
という視点がヨーロッパのダンサーのなかに生まれるきっかけになった
という話が印象的でした。

ダンスを踊るのではなく、人生を踊る、それがアートだ。
そのことばが、どれだけ多くの人を勇気付け、助けたのだろうと思います。

わたしは演劇のなかに身を置くことはやめてしまって
演劇と言う要素を日常にどのくらい応用できるんだろう?
という方へシフトしてしまったのだけれど
やっぱり演劇の要素に触れるのは心ときめくものがあります。


今年の春先に聴いたBeppu Project企画の講演
サウスバンク・センター芸術監督ジュード・ケリーさんのお話でも
アートは特別なものではなくて、だれもが創造できるもの
基本的人権として、だれもがアートにかかわる権利をもっている
ということばを思い出しました。

まだまだ書きたいことはいっぱいだけれど
今日はひとまずこのへんで。



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2010年10月22日金曜日

自信と気のはなし

あたまをほぐすからだのレッスン
アレクサンダー・テクニークの Sudio Saltia* オカナオです。


このところ1日があまりにも濃くて、3日分くらい過ごしている気分です。
というわけで、早寝&昼寝励行して体力温存しています。


さて、そんな体力温存するのにあたって
自分を通して色々観察してみています。

どうなると疲れやすいのか、疲れにくいのか
その傾向と対策といったところでしょうか。

これはきっと固定された正解があるわけでもなくて、
その時々の状態、個々の人によっても違うのだと思いますが・・・。


何をするのでも「やらなきゃいけない」と思うと気持ちが重くなって
自分を動かすのにもたくさんエネルギーが必要なのですが
それとは反対に「やってみたらどうなるんだろう?」と好奇心を持てると
「やってみようかな」⇒「やってみたいな」とやる気が湧いてきて
気持ちが軽くなって、自分を動かすエネルギーも少なくて済みます。

日本語って面白いもので、気の持ちようが気持ちで、
気はchi=エネルギーの流れと訳すことができる。

実体はないんだけど、なんだかそのへんにある感じられるもの=気。

電気、空気、蒸気、気分、雰囲気、景気、気構え、気遣い・・・
日本には気を表現することばがたくさんあって
共通認識としてなんとなく感覚でわかっているものだったりもします。


授業をしていたり、レッスンをしていたりして
「自分に自信がない」とよく聞くことがあります。

わたしもずっとずっと自分に自信がなくて悩んでいたので
そう思ってしまう気持ちにとても共感できるのですが
じつはよくよく考えてみると、じゃあ、自信ってなに?
自信がないって一体なんだろう?と思いました。

今、わたしは自信がないと思うことがとても少なくなってきて
それがなんでかな?と思ったら、そこにヒントがありました。

自信って、自分との信頼関係だ、というのは
以前からず~っと、うすうすわかってはいました。
でも、あたまでの理解で、ことばとして知っているだけだと、
自分と信頼関係があるってどういう状態かわからない。
実際に、その状態を体験してみないと
それがどういうことかわからないんですね。

じゃあ、自分と信頼関係がある状態ってどんなものかというと
ことばで説明すると、疑いがまったく存在しない状態
ということができます。

「えっ?それだけ?」と思われた方も多いかもしれませんが
ほんとうにシンプルなのです。

今、ただここに居る、自分がここに在る。
という、「ただそれだけ」の状態があらわれることなんですね。

「なにも引かない、なにも足さない」という
どこかのお酒メーカーのキャッチコピーみたいですが
まさにそれなんじゃないのかな、と思うのです。


たぶん、それが現れるためには
自分を疑うという、余計なものを省いていくことで
初めて信じるという状態が現れることができるし
信じるという状態そのものが「今ここにあること」という
存在するシンプルさ、佇まいになっていくんだろうなと思います。

そういうわけで、身体の在り方でもあるし
それは同様に気の持ちよう、気の使い方でもあって
茶道のお稽古や太極拳などに共通する
東洋の身体の使い方の「こつ」の部分でもあるなと思うのです。

同時に、舞台に立ったときのピークパフォーマンスのときにあらわれる
すべてと一体になったような、鮮やかで何ともいえない快い感覚や
エネルギーに満ち溢れて穏やかで、何事も可能だと確信している感覚
というのも、ただその一瞬に無心に存在する「わざ」によるものです。

その「こつ」や「わざ」の部分を習得していくレッスンが
アレクサンダー・テクニークで行われていることなんだなと
このごろ改めてわかるようになってきました。


何がそこにあるのか、わたしたちの多くが確証を求めがちですが
本当に大切なものは気持ちのように目に見えなかったり
動きのように捕まえたり固定できないものかもしれません。

自信も同じように、捕まえることも、絶対に固定できるものではなくて
流動的で可変性のあるものだからこそ
捉えようとするほど、捕まえられない、習得できないのかもしれません。

すばしっこい生きものを捕まえるときのように
こちらがリラックスするほど、相手もリラックスして
姿をあらわしてくれるかもしれません。

まずは捕まえようとする前に、仲良くなるところから始めたら
なにが起こってくるのでしょうか。

仲良くなるのには、時間がかかることもあれば
時間がかからないですぐに、ということもあります。
それはきっとお互いが、どれだけリラックスして打ち解けているか
自然体で自分を加工しないでいられているかがカギなのかもしれません。


自信を生み出すには、まず自分と仲良くなることから。
そして、自分がリラックスすることから。

わたしも一緒に、そこからまた始めてみようと思います。
読んでくださり、ありがとうございました。


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2010年10月21日木曜日

内的感覚から出てくることば

あたまをほぐすからだのレッスン
アレクサンダー・テクニークの Sudio Saltia* オカナオです。


このところ、内的感覚の変容が大きくて
理解を超えた理解に言語化が追いついていない毎日です。

理解を超えた理解って、どういうことなのか、というと
わたしにとっては意識の範囲の広がりのその先のずっと先が
あるとはなしに知覚できるという感覚。

そこにあるのね、とわかっているけれど
その中身にはまだ到達できていない、味わっている最中のもの。
そこに猫がいるのわわかってるけど、まだ姿は見たことがなくて
だから、「どんな猫?」ってきかれても説明ができないような感じ。
といったらわかりやすいでしょうか。
(もっとわかりにくい?)



内的感覚ってなに?という説明をするならば
そのひとそれぞれが体験して味わって感じた感覚のこと、といえるでしょうか。

たとえば、同じ場面で同じ食べ物を食べても
それぞれの体調や過去の経験からの記憶、立場、状況、感情、天気、光の加減など
さまざまな要素によって受け取る感覚が違うはずです。

そのベースとなるのが、それぞれ固有の内的感覚なのだと思います。


たとえば、一卵性双生児が生き別れてまったく別の環境で育ったら
同じ身体の情報を持っていても、体験から養われた内的感覚は全く違うので
きっと物事を味わうセンスや考え方も全く違うのだと思います。

生命や人間としての尊厳の危険を感じる環境で育てば
基本的生命活動にかかわる安心や安全という内的感覚は緊張状態にあって
いつでも気を張って身体も強張った状態だから、こわがりかもしれません。

生命や人間としての尊厳が尊重される環境で育まれたなら
安心や安全だけではなく、信頼や慈愛が内的感覚の基礎となっているので
身体も心もやわらかで、自由でクリエイティブな向こう見ずかもしれません。

そして、それらの内的感覚は、それぞれにとって当たり前のもので
日常をすごす意識の基本システムとして組み込まれているので
意識されることはまったくないので、だれも気がつかないところなのです。


わたしが体験したことは、まさにこの二つの感覚のちがい。
内的感覚で危機を感じている日常的緊張状態から
安心と安全や信頼と慈愛が満ちている状態へのシフトでした。

こればかりは、自分が気がつくことでしか変化できないこと。

今自分がどこにいるのかという情報は、体験からしか気づくことができない。
しかも、リアルタイムではなくて、少し過去に自分がどうだったか
ということを周りの人との関係性を通して示されて
それが自分に何を示唆しているのか見つめることでしか気づけない。

そのことに自分で気づけるようになるにはキッカケが必要で
そのために、たくさんの先生や師となる人と出会って、話して、体験して
それで少し成長した状態に引っ張りあげてもらって初めて気づけること。

最中に居るときは自分に気づけないでどっぷり体験することや
そこから成長する頃は、そんな少し前の自分を嫌悪してゆるせなかったり
そういうところを経ながら、それぞれの自分から学ぶことを学んで
その宿題が無事に済むと、感謝と安堵が内側から湧き上がってきて
ささやかで大きな贈りものを受け取って、祝卒業。。

複合的に、多層的に、同時多発的に
色んなリンクやシンクロが起きながら
そういうプロセスを経ていくと
ひとはいくつになっても変わることができて
自分のなりたいものにいつでもなれるのだ
ということが、うっすら曙のようにわかり始めています。

習慣的思考(過去の記憶)は、いまだに疑いたがっているけど
「まぁまぁまぁ」「そうだね、それももっともだね」となだめつつ
せかさず、今居るところの居心地いい場所から始めることにします。


あぁ、また抽象的なはなしになってしまった。
具体的なはなしができるようになるのはいつのことか。
それはそれで置いておいて、今のわたしで進んでみよう。

今日も読んでくださってありがとう。
爽やかな秋をお過ごしくださいね!


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きのうの大学の授業で

あたまをほぐすからだのレッスン
アレクサンダー・テクニークの Sudio Saltia* オカナオです。

このところ、起こる出来事の実感が大きすぎて
まるで旅をしているかのよう!
日常が感謝とともに新鮮に感じられて
体験の言語化が追いついていない毎日です。


さてさて、昨日も母校の日大芸術学部演劇学科で授業をしてきました。

授業の名前は応用演劇実習で
アレクサンダー・テクニークと演劇をどう応用する?
というようなテーマでやっています。

昨日は朝の出だし、寒くなってきたからかみんなゆっくり
そして、ローテンションで眠そうな感じ。

でも、そんなところをいきなり温度をあげて
気を引き締めてきりっといくのではなくて
今この状態をまるごと受けとめてOK出したところから始めてみる
という実験をしました。

やっぱり舞台や演技の現場に居たら疲れているときもあるし
状態のよくないときもあるし、生身だから色んなことがある。

だからこそ、いきなり本番仕様に自分をもっていくんじゃなくて
そこまで温度がじわじわあがっていくようなプロセスを
丁寧に準備して本番仕様にもっていってもいいんじゃない?
アップって本来そのための移行を味わう時間じゃない?
ってわかることが大事だよね、というねらいでやってみました。


まずは、ペアになって、今の自分の状態のままで
身体の一部を合わせたまま動きながらコミュニケーションしていく
というエクササイズ。



みんなこれまで充分に演技トレーニングを受けているので
放っておいても自由に動く動く!
ちょっとのヒントを出しても出さなくても、どんどん面白い動きが出てくる。



普段から思考も身体も自在にしておく練習を積んでるからこそ。
思考も身体も固定化された中でやってるのが普通になっていると
身体を動かすのにも思考を動かさないと動けなくて固まっちゃって
考えずに動けるようになるまで練習が必要なこともあるかもしれない。。

何がいいか、悪いか、なんていう判断は置いておいて
こうやって動いてみて「何ができる?」「どうやったらできる?」って
ただ純粋に可能性に向かって試行錯誤してみることの大切さを
みんなの動きから気づかされて、面白くて、すばらしい。



生徒がそれぞれに気づいて学んでいってくれることはもちろんだけれど
わたし自身が彼らの生徒としても存在できるこの体験に感謝。
ついつい誇らしく紹介したくなってしまう魅力的な生徒たち。


そんな彼らを応援したくなってしまう。
だから、みんなそれぞれが自分のなりたいものになっていってほしい。
ただそのねがいから、授業の後半は自分の中身を知りながら
夢をどうやって叶えていくかの実験。

でも、昨日だけでは終わらなくて
また次回に持ち越し。
わたしの進め方の説明がわかりにくかったから、
こんどはもう少し工夫の余地ありありです。

具体的なビジョンやイメージを共有するところから始めないと
色んなことがぼんやりしてしまって、理解もぼやけてしまいがち。
もっとわかりやすく具体例をあげて、次回はすすめていきたいと思います。


授業もそうだけど、自分のやること全般に
シンプル化が課題です。

そして、生徒達への課題はここから確認!

というわけで、今日はこのへんで。


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2010年10月15日金曜日

こないだの大学の授業では

あたまをほぐすからだのレッスン
アレクサンダー・テクニークの Sudio Saltia* オカナオです。


なるべくいつも、大学(日大芸術学部演劇学科)での授業は
自分が大学生の頃に、こんな授業受けてみたかった!と思えるような
自分もみんなも面白がれる内容になるようプランを作ってます。

と言いながら、実際みんなにとってどうなのかはわからないのだけど
わたしにとってはいつも面白くて、勉強になる時間です。
(関係者のみなさまありがとうございます!)
この水曜の大学での授業も、なかなかう~むと唸らされるものでした。


出席してくるメンバーが、毎回ちょっとずつ入れ替わるのだけど
その顔ぶれだったり、それぞれの調子や、関心なんかでやることが変わってくる。

今回は、睡眠時間が少なくて眠い人がいたり
肩こりがあるなんていう人がいたので
腕と肩のマッピング(体地図)をやってみることに。


睡眠不足や緊張なんかで、肩まわりがこわばるのはよくあること。
舞台や人前に立つときにそんな状態だと
パフォーマンスが思うように自由にならなかったりしちゃう。
だから、自分でできる肩まわりのゆるめ方は知っておいたほうがいい。

普段、意識がない場所というのは、とかく放っておかれがち。
そうすると、そこは忘れられるのと同時に、本来の可動性の広さも忘れられる。
それで、体がどんどん硬くなっていっちゃったりする。

まさにそれって宝の持ち腐れ。
体という宝物の活かされる扱い方を知っていたら、そんなに起こらないこと。
自分の体が使役の道具なのか、親友なのか、その関係性で大きく変わること。

そのために、自分の体の構造や、存在感(筋感覚的認識)を味わうこと。
そういう体験の積み重ねが日常的であればあるほど
舞台や人前という非日常の場でもベストパフォーマンスを引き出すべく
自分という全存在(体、意識、心、ぜんぶまるごと)が協力してくれる。

そんな意図で、ボディマッピングと動きの観察と確認を。
(ボディマッピングだけが完璧な方法ではないけれどね!)


肩関節の次には、脚のマッピング。
みんなでやってると遅れて来た人が順次到着。

じつは、遅れてくる人がどんな風に入ってくるかも楽しみの一つ(笑)。
ほとんどエチュード(即興芝居)の登場と同じようなものだし
リアルにその人のキャラクターから生まれてくる表現だから、余計に面白い(笑)。

寝ぐせがついていたり、申し訳なさそうだったり
それぞれの表情やしぐさや動き、みんな生き生きとしていて楽しい。
だからついつい、入ってきた人に手を振ってしまう。
(今度はもっと面白い迎え方できないかな。)


なんだかんだ言いながら、みんな真剣な表情で自分の体と向きあったり
わいわい自由に話しながらそれぞれを観察しあったりしてくれて
その様子を見るほどに、この授業がみんなに助けられているなぁと実感。

やっぱり授業もコミュニケーションの一つだし、双方向のもの。
どちらか一方が積極的なだけじゃ何も起こらない。
自らすすんで興味のあることを見つけたり、面白がったりしないと
なかなかお互いの学びに貢献しあうことはできない。

そういう面でも、先生が生徒に教えるんじゃなくて
わたしも含めてそれぞれがそれぞれから学びあう、そんな場であることが
学ぶということにおいて、いちばん大事なんだなぁ、なんて実感する。


最後の方では、アクティビティ(アレクサンダーの応用)を。
実際の演技の一部をしてもらって、それがどうなるか実験するもの。

Yっちが歌舞伎の演技で実験協力、そして的確なフィードバックをしてくれた。
やっぱり自発的に気がついて、気づきを発言してくれる機会は貴重だ。
Yっち本人にとっても、一緒に学ぶ人にとっても、わたしにとっても
それはかけがえのない贈り物だし、刺激材料にも励ましにもなる。

こういう機会や場にそれぞれが開いていくこと、生み出していけることは
何かを創造していく人にとってとても大事な才能、可能性になる。
自分の才能を掘り起こし、周りの才能を掘り起こすことになるから。

それぞれがそんな風にいられたら、どんなにいいだろうと夢を見ながら
今ここで起こっているそれぞれの可能性の輝きに
わたしはどんな手助けができるだろう?と常々思ってる。


もしかしたら蛇足もあるかもしれないから
わたしの言葉ややることすべてを信じる必要なんてない、って思う。

その分、それぞれが少しでも自分自身との関係をより深めて
自己信頼や自分の頭で考え、自分のことばで話していかれるように
できるかぎり体験をサポートしていけたらなって思う。

人前に立つとき、立たされたとき、その土台が
それぞれをいちばん支えてくれるものだと思うから。



その下支えになるような、この授業の課題を出してみました。



サラ・バーカーさん著の「アレクサンダー・テクニーク入門」と
北山耕平さん著の「自然のレッスン」を読んで
感じたこと、考えたことなどを好きな形式で書いて提出する、という課題。

本は全部読んでもいいし、気になったところだけでもいいし
好きなように読んで、楽しんで課題をやる=楽しめるように工夫すること。

だから、文章でもいいし、書でもいいし、絵でもいいし、工作でもいいし
ダンスにしてきてもいいし、量も好き好き思い思いに
11月24日(水)の授業中までに提出すること。

それも、なるべく楽しんで、面白がってできるようにというのが
この課題でいちばん重要なこと。
(何をするにも、自分が楽しむことが一番重要だから!)

というわけで、ブログ読んでる生徒のみんなは
読んでなくて課題知らない人に知らせてくださいな。
よろしくね。




その他に、役者やパフォーマーとしてはもちろん
体を大切にしたい人はだれでもセルフケアができた方がいいので
アレクサンダーの本ではなく、全く違う方法で体ケアの考え方の本なのだけど
わたしがやっとたどり着いて実践して良かったおすすめの本もいくつか提示しました。

「ライスビート」

「マンガでわかる 西式甲田療法」

「家庭で出来る自然療法【改訂版】」東城百合子著
(表参道のクレヨンハウスに売っていました。)


最終的に、この授業を通してそれぞれが
自分の存在の価値を十分に受け取って活かしていかれるように
どこにいってどんなことをしても、自分は大丈夫、って信頼とともに
必要な行動を起こせる勇気とともに居られるように
今の自分にできることを最大限お手伝いさせてもらえたらなって思ってます。


次回の授業は、人間の意識と体のしくみ(夢を実現する方法)をテーマにします。
好きな画材、筆記用具、スケッチブックなんかを持参で来てね。


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10/22(金)「ダンボールコンポストをつくろう!」ワークショップ参加者募集中

2010年10月11日月曜日

10/22(金) ダンボールコンポストをつくろう!ワークショップ

あたまをほぐすからだのレッスン
アレクサンダー・テクニークの Sudio Saltia* オカナオです。


今日も、『ダンボールコンポストをつくろう!ワークショップ』
第2回めを開催しました。




今日は2名の方にご参加いただきました。
和気あいあい♪と出会いの場にもなり楽しかったです:)


ご好評につき、また今月22(金)にやることになりました。

エコでたのしいワークショップ、おすすめです♪




ダンボールコンポストをつくろう!ワークショップ



自分が食べた食べ物の生ごみやお米のとぎ汁、どうしていますか?
食べられなくなった食べ物や揚げ油など、どうしていますか?

捨ててしまう生ごみも、りっぱな資源になります。
そのプロセスを応援してくれるのが、ダンボールコンポスト!

マンションでも、一軒家でも、ベランダで気軽にできます。
(わたしはマンションでやってます。そして、いいかげんでもできる!)

少しでもごみの量を減らして、植物のごはんにできる。
たとえば、ベランダ菜園やハーブ、花たちを育ててみると
植物たちへの愛情がより深くなるし、より元気に育ってくれます。

なにより、ダンボールコンポストをお世話するのも楽しい!
わたしたちの消化のプロセス(食べ物、知識、体験)とよく似てる!
色んな発見と実験が繰り返されて、一緒に育っていけるペットのようです。

そんな楽しいダンボールコンポストの作り方を
一緒に学んでみませんか?





10/22(金)10:00~11:15ごろ @乃木坂スタジオ

※お申込後に道案内をおおくりします。

参加費:1000円(プリント、植物のたね付き)

※ダンボールコンポストの材料はかさばるのでつきません。
※このワークショップに一度参加してコンポストを始めた方のリピート参加は無料です。


<お申込>
申し込みフォームから予約内容を「その他」と選択して
メッセージに「ダンボールコンポスト」と書き添えてお申込みください。


ご参加お待ちしております:)

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2010年10月9日土曜日

今のわたしの夢

あたまをほぐすからだのレッスン
アレクサンダー・テクニークの Sudio Saltia* オカナオです。


今朝もシャワーを浴びながら、ビジョンがむくむく湧いてきた。


いや~、それって、妄想とか、空想とか言ってもいいと思うけど
以前はそういう湧いてくるものを全否定してきたし、受け入れてなかった。

でも、今はそんなことしてもしなくてもどうでもいいやって思ってる。

だから、湧いてきたものにわくわくしたり
自分の心ががっちり合致したら(←ダジャレ??)
それにのっかってみたらいいやって思えていて
とっても楽。



そんなわけで、今朝(というか、さっき)見たビジョン
わたしの夢とも言ってもいいくらいすてきで、わくわくしたので
ここに「今のわたしの夢」として書いてみることにします。
(今、っていうのは、また変わっていくかもしれないから!)


以前から夢見ていた、たくさんの果樹や菜園のある家に住んで
そこで採れた恵みをいただいたり、手作りしたりする生活しながら
そこを拠点にしてレッスンやワークショップ、合宿をしたりする
というものが、なんだかすごいスケールが拡がったビジョン。


それは、先日の日記にも書いたような人たちと
果樹や菜園、薬草などを無農薬・有機で育て
そこで採れたものを売ったり、オーガニックで高品質な製品をつくったり
(ジャムやスイーツ、化粧水やフラワーエッセンス、薬草茶、セルフケアグッズなど)
それを友人達のお店やサロンで扱って販売してもらったり、使ってもらうことで
誰にとっても笑顔で毎日暮らせるような循環をつくっていくこと。

そして、その場所自体がヒーリングになるような
みんながしあわせで愛にあふれたバイブレーションで
「仕事=遊び=喜び=しあわせな生活」という
適材適所なコンビネーションで
全てを創造的にすばらしく機能させること。

自信と技術が身についた人たちが
みんなに祝福されながら、独立して安定した収入を得て
自立した生活を送れるようになること。

残って一緒に働き生活したい人は、安心して残ることができること。

そこに訪れた人も、そのバイブレーションに触れて
元気になったり、笑顔で生きていけたり、自分の本当!が目覚めて
毎日をフレッシュな喜びとともに生きていかれるような
そんな場と空気をつくること。



きっと、ここに書いたことを実現するには
わたし一人じゃなくて、たくさんの人の助けや力が必要になると思う。

そして、同じようなビジョンをもつひとは、わたしだけではないと思う。

だからこそ、奪い合うのではなく、寄り添い合って支え合い、励まし合い
だれが実現するかではなく、どうやって実現するか
そのビジョンが実現されることにエネルギーを注いでいきたい。


何十年もかかるかもしれないし
その間に、わたしはまた違うビジョンの流れに乗っていくかもしれない。

でも、ここでこの夢をシェアすることで
多くの人の中で、こんな世界が実現することをイメージすることで
わたしだけではなく、それぞれの人、まだ見ぬ多くの人たちが救われて
いきいきと喜びに満ちた人生を送れるようになるといいなと思っています。



想像できる、ということは、創造できる、ということ。

それを信じない人には、この夢は話す必要はないと思っているけれど
共感してくれる人、信じて応援してくれる人にはどんどん話していきたい。

多くの人が信じないかもしれない可能性も、わたしは信じたい。

すべてはそこから始まると思っている。


わたしが実現するのではなく、わたしからアクションを起こすことで
たくさんの人の共感と支援を得ながら、力を合わせて実現していくこと
それが、ほんとうの自立だったり、共生につながるなって思います。

もしも、何かわたしが足りないところや
工夫が必要なところがあったら教えてください。

力を貸してくださるという方がいたら、そのときは声をかけてください。

それぞれが輝きながら、自分を心から喜んで(祝って)活かされる生を。


それが、わたしの今の夢です。


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2010年10月8日金曜日

10/11 ダンボールコンポストをつくろう!ワークショップ ふたたび

あたまをほぐすからだのレッスン
アレクサンダー・テクニークの Sudio Saltia* オカナオです。

今日は、『ダンボールコンポストをつくろう!ワークショップ』
記念すべき第1回をやりました。



3名の方にご参加いただきました。
楽しんでいただけたようで、わたしも嬉しいです♪


思いがけず、また月曜(祝日)にもまたやることになりました。
今度は要領がわかってきたので、時間が短くなりました!

お休みの朝のスタートに、お出かけ前に
エコでたのしいワークショップ、おすすめです♪




ダンボールコンポストをつくろう!ワークショップ



自分が食べた食べ物の生ごみやお米のとぎ汁、どうしていますか?
食べられなくなった食べ物や揚げ油など、どうしていますか?

捨ててしまう生ごみも、りっぱな資源になります。
そのプロセスを応援してくれるのが、ダンボールコンポスト!

マンションでも、一軒家でも、ベランダで気軽にできます。
(わたしはマンションでやってます。そして、いいかげんでもできる!)

少しでもごみの量を減らして、植物のごはんにできる。
たとえば、ベランダ菜園やハーブ、花たちを育ててみると
植物たちへの愛情がより深くなるし、より元気に育ってくれます。

なにより、ダンボールコンポストをお世話するのも楽しい!
わたしたちの消化のプロセス(食べ物、知識、体験)とよく似てる!
色んな発見と実験が繰り返されて、一緒に育っていけるペットのようです。

そんな楽しいダンボールコンポストの作り方を
一緒に学んでみませんか?





10月11日(月・祝)10:00~11:15 @乃木坂スタジオ

※お申込後に道案内をおおくりします。

参加費:1000円(プリント、チェリーセージのたね付き)

※ダンボールコンポストの材料はかさばるのでつきません。
※このワークショップに一度参加してコンポストを始めた方のリピート参加は無料です。


<お申込>
申し込みフォームから予約内容を「その他」と選択して
メッセージに「ダンボールコンポスト」と書き添えてお申込みください。


ご参加お待ちしております:)

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2010年10月7日木曜日

AT演劇ワークショップ@大分 ~チャリティ・イベント~

あたまをほぐすからだのレッスン
アレクサンダー・テクニークの Sudio Saltia* オカナオです。


11月3日(水)、大分のコンパルホール(リハーサル室)にて
AT演劇ワークショップをチャリティ・イベントとして開催します。

アレクサンダー・テクニークを使って演劇表現をすることを
シアターゲームやエクササイズなどを通して
身体や声を解放し、自分の創造性や可能性を遊びます。

また、アート(演劇)に参加することで、社会貢献する
そんなサイクルを生み出していきたいと思っています。

というわけで、参加者の方からお預かりした参加費の合計から
会場費などの経費、約2000円を除いた分を障がい者支援団体に寄付します。

垣根をこえて、あなたの、みなさまの、ご参加お待ちしております:)
たくさんの人の笑顔とつながることができますように!


大分! AT演劇ワークショップ チャリティ・イベント

11月3日(水)文化の日!10:15~12:45
@コンパルホール(リハーサル室)

<参加費>
大人 500円
大学生・専門学校生 300円 (ペア割:500円)
障がいのある方 200円 (ペア割:300円(お付き添いの方やお友だちともご一緒にどうぞ))
中高生 100円
※学生の方は、確認のため学生証をお持ちください。

<お申込>
申し込みフォームから予約内容を「AT演劇ワークショップ」と選択し
メッセージに「大分チャリティ」と書き添えてお申込みください。


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やりたいこと(?)がわかってきた(?)

あたまをほぐすからだのレッスン
アレクサンダー・テクニークの Sudio Saltia* オカナオです。


このところ、わたしが?わたしたちが?やりたいこと
というのか、やるべきこと(方向性?)がわかってきた(?)
そんな気がしてる。 ← でもまだ、キツネにつままれてる気分

気がする、というのは、まだアタマにハテナがついてるから。
だから、キツネにつままれている気分なのだけど。

あ~、それだ~!って浮かんでくるんだけど
その後に、「ほんと?ねぇ、ほんとなの?また変わっちゃわない??」って
アタマがハテナを出してくる。
そんな感じがずっと続いてる。

わたし、というのは、わたし個人なのだけど
わたしたち、というのは、わたしと夫、という共同体のこと。



わたしの夫は、社会的弱者が救われないことに常に憤りを感じてるひと。
今は高齢者と障がい者の暮らしやすい環境づくりの研究をしてる。
こどもと動物にもめっぽう弱い人でもある。(すぐ泣く!愛!)

むかしは、国という大きなシステムに関わる仕事をしてたからか
悪い人(しぶとくて力の強い人たち)がどれだけ悪いか、救いようないか
なんてことをよく知っているらしい。(けど、わたしにはよくわからない。)

繊細で正義感のつよい人だけに、これまできっと大変だったね。。って思う。
そして、今これからは、そこから少しずつでも解放されて
もう少しちがう可能性、風通しのよくなる角度に気づいてくれたらいいな、と思う。

それは彼の学びでもあり、彼の選択。
だんだん、実際そうなってきてるのがすばらしい:)

わたしは、ただ彼が本当に満足してこの一生を送ることを待っているだけ。
期待は手放して、花が咲くのを待つみたいに楽しみにしてるよう。



で、やりたいこと(?)、やるべきこと(?)に話が戻ってくると
どうもこの数日、生まれ育った東京に戻ってきてから
同じようなビジョンが浮き上がってきている。

社会的弱者になりがちだけど、ほんとは可能性に満ちた人たち
たとえば、障がいがあったり、傷つきやすくて引きこもりになっちゃったり
自分に自信を失ってしまっているひとたちや、失業してニートと呼ばれちゃってるひと
いろんな葛藤や症状と闘っているひとたちなど
彼らが自らのチカラで希望と自分の可能性を思い出せるような
そんな場を提供していくこと、そういう安心できる環境をつくること
雇用を生み出せるような人間になること
そういう循環やルートを生み出すこと
そんなビジョンが浮かび上がってきてる。

そんなたいそうな話のものだから、わたしにできるのか!?って
ただただびっくりして、浮ついてないか、一時的な思いつきじゃないか
アタマにハテナがいっぱいになってるんですね。

だって、そこにつながる行動として浮かぶプランが広大すぎる!
しかも、ちゃんと段取り的にこんなこと、あんなこと
って指し示されているような。(むにゃむにゃ)



いやいや、昔の自分のようなひとたち、後の世代に伝えていくことが
わたしにとってとても喜びと責任を感じることだったのは事実だけど
ここにきていきなりそんなにでっかい範囲ってどういうわけ(?)。

そりゃ、ハテナがつくのもあたりまえだわさ。


でも、よーく見てみると、さっき書いた状況のひとたち
わたしが多かれ少なかれ経過してきた過去の自分の状況と同じ。
そして、わたしに与えられた家族の状況にもぴったり通じる。

だから、そういうシチュエーションとキャスティングだったわけね、って
なんか妙に納得するところもあり、途方に暮れるところもあり。


で、ひとまず、抵抗しないで受け取ってみることにした。
なんかしっくりおさまりがいいところもある気がして。



そんなわけで、これから、わたしの仕事での収入の10%は
障がい者支援団体に寄付することにしました。

それから、アレクサンダー・テクニークを使った演劇のワークショップを
大分と東京、機会があれば各地方にも出張してやっていきます。

このワークショップは年齢、経験、その方の状況問わずに
垣根を越えてたくさんの人に参加していただけたらなと思っています。

年に数回、チャリティワークショップを開催して
会場費などの経費を除いた参加費収入を障がい者支援団体に寄付して
「アート(演劇)に参加=社会貢献」という循環を生み出します。

その経験をもとに、演劇と身体(感性)とコミュニケーション
そして、教育(人が育まれること)についてまとめて発信していきます。

アート(演劇活動)と社会貢献を両立できる活動に重きを置くために
アレクサンダー・テクニークを収入を生み出すツールとして活用します。

自分の人生や生活と充分に循環しながら
これらの活動に自分を気持ちよく差し出せるようととのえます。




はぁ、やっと書けた。
書いたら、なんかホッとした。

どんな形になるかわからないけど、ひとまず稽古場に登録申請したこと
チャリティワークショップのための会場を押さえたことから始めました。

これから、寄付する障がい者団体を調べてみます。
どなたかおすすめの団体、心当たりのある団体がありましたら
どうぞ教えてください。


最後まで読んでくださってありがとう :)

オカナオ

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毎日が贈りもの

あたまをほぐすからだのレッスン
アレクサンダー・テクニークの Sudio Saltia* オカナオです。


このところ、毎日がすてきな贈りものに満ちています。

大分に帰ったときもそうだったし、その前も、その後も!
今朝も、すてきなメッセージ&出会いで目が覚めた!!

すべての道は、贈りもの(ラッキー!たのしい!うれしい!しあわせ!)に通じてる!

ほんとに色々ありがとう!
こんなに色々ありがとう!

みんなにハグして、キスしてまわりたい!
(ほんとにやったらビックリされちゃうから
 心の中だけ!で、笑みになってこぼれる!)

そのくらいしあわせ!

みんなみんなにありがとう!
感謝!謝々 :)


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2010年10月6日水曜日

今日は大学で授業 :)

あたまをほぐすからだのレッスン
アレクサンダー・テクニークの Sudio Saltia* オカナオです。


今日は大学(日本大学芸術学部演劇学科)で授業をしてきました。
応用演劇実習という名前の、演技をする学生に教える
身体を動かしたりする授業(講義ではないってことですね)でした。

今日は、からだと向き合うエクササイズのあと
授業で小道具を扱うときの、生身の反応について実験しました。

ひとつは、みかんとパンをちぎって食べさせあうコミュニケーション。
(大分の早生みかんと、メゾンカイザーのオレンジピールのパン!)

食にまつわる行為は、とても喚起される感覚や記憶が多いので
反応したくなる刺激がいっぱいなんですね。
それを、どう自分が味わっているか、何に気づくか。
そんなことをやりました。

香りや味、みずみずしさや湿り気などの質感、温度、触感
そういったものとともに在りながら、食べさせたり、食べさせてもらったり。
やっているうちに、みんな満面の笑みになっていくんですね。
それがすてきで、どんどん創造性が生まれてきて自由になっていく。
そんな様子を見ていて、自由だな~!って、彼らの可能性にわくわく。

やっぱり演技者、パフォーマーは、人を惹きつける要素が
なにかしらどこかにあるものだと思うのです。
でも、それって自分を隠してるときは、部分的にしか現れてこない。
素がさらけ出せちゃう、その人まるごとの状態になって
「どうぞ!」って全部相手に差し出せるとき
何だかよくわからないけど「うわぁ!」って面白いものが出てくる。
見せるとか、魅せるって、そういうものなんじゃないかなって思います。


そして、ふたつめにやったのは、目をつぶって色んな道具を触ること。
さらに、目をつぶったまま歩きながら、周りの人と持ってるものを交換すること。

はじめは、おっかなびっくりして小さく丸くなって触ってるんだけど
だんだん慣れてくると、みんな少しずつ身体も動きも広がってくる。
重心も腰が引け気味だった感じから、中心にちょっと戻ってくる。

つまりは、持ってるものにも、状況にも、周りの相手にも慣れてきて
そこにあるものが何なのか、情報が記憶にストックされることで
安心してやり取りできるようになってるってことなんですね。

それから、目を開けて、持ってるものを介して渡したり、もらったり
断ったり、断られたり、色んなコミュニケーションを。
遊びでやっているからということもあるけれど
全ての行為が喜びや楽しみを生み出すものになっていって
最後はこんなことになっていました!

あんまりにも面白かったので、写真を撮らせてもらったのだけど
笑っててちょっとぶれちゃった!





もうほんとに、みんなサービス精神旺盛です!
ほーんと自由に歌うし、踊るし、喋るし、楽しそう!

そんな生徒に恵まれてしあわせです!ありがとう!
それぞれもすてきだし、授業でいい経験いっぱい積んだんだろうな~:)

これからもっともっと演技(パフォーマンス)を、自分自身を
みんなそれぞれに面白がったり楽しみながら
ピークパフォーマンスを体験してもらえるよう
わたしに何ができるか、どんな工夫ができるか
楽しみながらベストを尽くしていきます。

来週は、水とグラス(もしくはカップ)持参でね!
自分のやりたいアクティビティや実験もあれば持参(?)してね。
次回も楽しみです。喜んでがんばろうっと:)


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ダンボールコンポストをつくろう!ワークショップ

おはようございます。
あたまをほぐすからだのレッスン
アレクサンダー・テクニークの Sudio Saltia* オカナオです。

先日ツイッターから始まった企画の
ダンボールコンポストをつくろう!ワークショップ
やることにしました。

急遽、いきなりのワークショップ。
というわけで、今週金曜の午前開催です。

ピン!と来た方、ぜひご参加ください♪



ダンボールコンポストをつくろう!ワークショップ



自分が食べた食べ物の生ごみやお米のとぎ汁、どうしていますか?
食べられなくなった食べ物や揚げ油など、どうしていますか?

捨ててしまう生ごみも、りっぱな資源になります。
そのプロセスを応援してくれるのが、ダンボールコンポスト!

マンションでも、一軒家でも、ベランダで気軽にできます。
(わたしはマンションでやってます。そして、いいかげんでもできる!)

少しでもごみの量を減らして、植物のごはんにできる。
たとえば、ベランダ菜園やハーブ、花たちを育ててみると
植物たちへの愛情がより深くなるし、より元気に育ってくれます。

なにより、ダンボールコンポストをお世話するのも楽しい!
わたしたちの消化のプロセス(食べ物、知識、体験)とよく似てる!
色んな発見と実験が繰り返されて、一緒に育っていけるペットのようです。

そんな楽しいダンボールコンポストの作り方を
一緒に学んでみませんか?



10月8日(金)10時~12時 @乃木坂スタジオ

※お申込後に道案内をおおくりします。

参加費:1000円(プリント、チェリーセージのたね付き)

※ダンボールコンポストの材料はかさばるのでつきません。


<お申込>
申し込みフォームから予約内容を「その他」と選択して
メッセージに「ダンボールコンポスト」と書き添えてお申込みください。


ご参加お待ちしております:)



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2010年10月4日月曜日

AT演劇ワークショップ@東京のお知らせ

あたまをほぐすからだのレッスン
アレクサンダー・テクニークの Sudio Saltia* オカナオです。


特別なようで、だれもが実は日常している
役割を演じること。

演じる技と書いて、演技というけれど
演技をする人こそ、じつはもっともピュアなのかもしれない。

思い込みの世界に生きる演技じゃなくて
今を生きて味わいつくす、そんなリアルを満たす体験へ。

何かをとりつくろうために、じゃなくて
飾り立てて立派に見せるために、でもなくて
素のわたしがここに立つために
役やシチュエーションのなかで創造性とともに自由に解き放たれること。

それがほんとの演技、表現なのかもしれません。




■  AT 演劇 ワークショップ  ■


わたしたちの創造性は
想像力と表現力によってONになり活性化します。

このワークショップでは
それぞれの中に眠っている自由な感性を掘り起こすために
演劇表現の現場で使われているエクササイズやゲームをしたり
小道具を使って即興芝居をしてみたり
アレクサンダー・テクニークを使って動き方の実験をしてみたり
遊びと創造性のなかで心身ともに放牧します。





・・・ こんな方に ・・・

・自分を活かす演技の基礎を学んでみたい方
・からだを、自分を壊さない演技の仕方を学びたい方
・演技経験者だけど、もっと新しい可能性を学んでみたい方
・舞台や人前に立つための身体の使い方、自分の使い方を知りたい方
・パフォーマー、表現者としてもっと成長したい方
・人前に出たときに、もっと自由に快適に表現できるようになりたい方
・創造性や遊び心、自由な感性を取り戻したい、思い出したい方
・表現することに興味あるし、してみたいけど苦手だな・・・と思っている方
・このワークショップにピン!ときた方

経験不問です。お気軽にご参加ください。




●参加費 3000円  お申込はこちら

※原則予約制ですが、会場が広い場合などの当日参加はOKです。
事前に確認のお電話をください。 (090-3340-4264 オカナオ)

※当日キャンセルは、参加費の半額を申し受けます。

※無断キャンセルは、参加費全額を申し受けます。

※キャンセルせずに、代わりの人が参加する場合は
ご一報くださるだけでOKです。




◎東京開催
 
10月 9日(土)10:30~13:30 @乃木坂スタジオ
10月23日(土)10:30~13:30 @乃木坂スタジオ
11月20日(土)10:30~13:30 @乃木坂スタジオ(予定)
12月 4日(土)10:30~13:30 @乃木坂スタジオ(予定)

その他の詳細は Studio Saltia* からどうぞ


★このワークショップでは、寝転がったり 体操をしたり、たくさん動き回ります。
 腕や脚のつけ根をしめつけない ジャージなどのゆるやかな服装でいらしてください。
(ジーパンやスカート、短いボトムスやタイトな服は避けた方が安心して動けます。)

★寝転がるのに、ヨガマットやバスタオルなどを持参されると快適です。

★水分補給のため、お好みの水をご持参ください。

★ゲームのために必要な道具を、事前告知のうえ、ご持参いただく場合があります。
 ご協力ください。(例:ひらひらはためくくらい軽いスカート、枕、 など)



Sudio Saltia* へはこちらからどうぞ

2010年10月3日日曜日

みんなそれぞれに

このところ、流れがどんどん変わってきている。
自分の中身も、もう数ヶ月前とは生まれ変わったように全然違っていて
夏の自分は思い出せても、春の自分は別人のように感じてしまう。

だからなのか、東京に行く前と、帰ってきてからも全くちがう。
体の中に流れる時間や感覚がちがう、と言ったらいいのかな。

だから、ご縁のある人とつながることは充分にあるのだけれど
タイミングが少しでもずれると、少し前と全く違ってしまって
ご縁がはなれて会えなくなったりしてしまう。

なので、せっかくお申し込みやお問合せいただいても
実際のレッスンやワークショップまで漕ぎ着けなかったりして
おたがいに手をつなぎそびれちゃった!というようなことがあるけれど
それもまた自然の流れだったりするんだなぁと、秋の空を眺めるように見ています。

みんなそれぞれに、自分にやってくる流れにまかせて
ときには抵抗したりもしながら、日々の変化を生きているんだなぁ
なんて思うと、励まされたり、ほっとしたりして
みんなこれでいいんだ、そこから新たに始めたらいいんだと思えます。


先月の初めにホームページを更新したけど
もうすでに違和感を感じてしまってる自分が居て
スケジュールやイベントも、また構成しなおしそうな予感。

常識的に決めたままに遂行することが今のわたしにはできないことも
ただありのままに受けとめて、手放して流れにまかせてみることにします。

参加を検討していて下さったみなさまにには
わたしの気まぐれぶりを謝るほかありませんね。
ごめんなさい、どうぞお許しください。

そこにいたった気づきについては、また次の日記で。
ありがとうございました。

夢を叶えるはじめの一歩

ずっと夢見ていたけれど、先の話だし・・・と思っていたこと
ぽん!と背中を押されるタイミングで踏み出しました。


わたしの子供の頃から変わらない夢は
家族と猫と一緒に、果樹と菜園の広がる庭のある家に住み
自宅で採れた旬の野菜や果物から手作りを楽しみ
自然と宇宙と循環しながら、いのちがのびのびする生活をすること。

そして、今現在のビジョンは
そこを拠点として、時には旅をしながら
人がそれぞれに学び、育ち、癒され、本来の輝きをとりもどすような
そんなサポートをライフワークとして
プロフェッショナルとして実現していくことです。



今わたしは、大分の古いマンション(アパート?)に住んでいて
ベランダが菜園のようになっている生活をしています。

果樹はまだまだ先、次回引っ越してからかな・・・
そう思って憧れているだけだったけれど
大分生活文化展というイベントがちょうどあり
見に行ったら苗木を買うことに。

一緒に行った現実主義の夫も
「引っ越すにしても、どうせ育てるなら早いほうがいいよね」
なんて思いがけないOKが出て果樹を連れて帰る運びに(!)。


杏、南高梅、いちじく、渋柿、枇杷、アセロラ、グアバ、レモン、コーヒー
そのほかにも、百日紅、山茶花、ハイビスカス

ずっと憧れていた果樹たちが一気にうちにやってきて
植木鉢が足りなくて、急場しのぎで土の入っていたビニール袋に植えました。



少し前にタネを蒔いて芽が出てきた果物たち
パッションフルーツ、かぼす、グレープフルーツも
まだまだ小さいながら、これからの成長が楽しみです。

願わくば、この子(植物)たちとともに快適に暮らせる
土地や家にご縁ができますように。
そこで、わたしにできることを最善を尽くしてさせていただけますように。


そんなことを願いながら、期待は手放して
無心になってお世話をさせてもらうのが
今のわたしのささやかで大きな喜びです。

いつかは・・・と願うことが、ほんのすこしの後押しで現実になる。
そんな一歩を踏み出せたこの週末に感謝と喜びがいっぱいです。


植物達の葉がのびのびと茂り、花を咲かせる頃
それぞれの人の願いも実現へとひらいていかれますように。

なんだかそんなことを願わずにいられない、幸せな秋のお休みです。