2011年12月20日火曜日

すなおになること


ひきつづき、自分の解体整理中です。
妊娠期というのは、過去の記憶や感情と向き合い整理する時期
とはよく言ったものだなぁと、またまた思うのですが。。

これまでも、何年もかけてやってきた作業を
さらに丁寧に、やさしくそっと、でも深くまでやっているような感覚。

じぶんにすなおになること。

じぶんの心(潜在意識)に耳を傾けること。
それをじぶんの身体を通してうけとること。

ただそれを繰り返しながら、シンプルになること
透明になっていくことを練習しているような気がします。


つい、何かがあると反応して、色んな状態がやってくるのだけれど
それも含めて、そこから何を受け取ることができるのかな?
と興味をもちながら、シンプルに居ることを選択しつづけることが
意識の洗濯でもあるのかな、とも思ったりしています。
意識のこと、感情や心のことをするにしても
やっぱり身体があってはじめてホッとできるものでもあり
どちらも無視することはできない大切な存在です。
起こっている出来事や体験することをゆるす、ということをできずに
それらに抵抗して、居場所をなくしたり、責めたりするのが
わたしにとってのかつての強い習慣だったのを
少しずつ今は手放してもいいんだな、と切り替えている段階です。

このことは、細かい筋肉の収縮ともかかわっているので
だんだん過度なコントロールを手放していくほどに
じつはバランスや本当の手ごたえは戻ってきてくれたりして
そこのところのせめぎあいが起こるとき
意識と身体で丁々発止の葛藤が起こって面白いのだと思います。
(アレクサンダーのいう、決定的瞬間というのはこのことかと・・・)

今起こっていることをゆるすこと
本当に深くじぶんに根を下ろすこと
このふたつは同じなのかもしれないなと思うと
「安堵」というのはそんなとき起こるのかもしれない
とハッとさせられています。

本当に必要なことが起こってくるために大切なのは
そんなところと、それをすなおに信頼することなのだなと感じています。

うまくことばにできないままに
今日は書いてアップしてみます。

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2011年12月4日日曜日

じぶんへのおくりもの

すっかり寒くなって、しばらく安静の時間を過ごしていました。
寒くなってくると、体が冷えたり、太陽に当たることが少なくなったりして
気持ちが冷え込んじゃったり、暗くなりがちになってしまうのだけれど
そういう状態とどうやってつきあっていけるのかなぁと
どうやらしばらく観察する時間になっていたようです。

天体(星のめぐり)の影響なのか、天候の影響なのか
しばらくお天気が荒れ模様のあいだ、わたしも荒れ模様でした。

体調も気分も重くて、不安定で、バランスをくずしまくり。
そうやって、そのとき苦しくて仕方ない時期を経て、あとになると
苦しいってどういうことかわかるための時間だったか
なんて色々気がついたりして、ほほうとなるのですね。。
苦しいとき、苦しいのを否定しちゃったりするし
自分やできごと、周りのひとや環境を否定しちゃったりする。
そこから始まり荒れはじめて、自暴自棄になっちゃって
すなおになんてとてもなれなくて、まわりに当たっちゃったり
思うようにコミュニケーションできなかったり。

そういうときって、身も心も冷え冷えとして
小さく縮こまって固まっちゃっていたりすることが多くて。

だからこそ、お風呂にゆっくり入って温まったり
温かい大好きな飲み物をゆっくり好きな場所で飲んでみたり
体を温めるといわれている食べ物を食べたり
心が温まる音楽や好きなものに触れてひたってみたり
足をやさしくマッサージしてぽかぽかにしてあげたり。

そうやってやっているうちに、ちょっとゆるんできて
あ、ちょっとちがう考え方や見方をしてみようかな
って気が向いてきて、だんだん持ち直してきたりする。

それまで、自分の好きなことを自分のペースでやることを
自分にそっとゆるしてあげていてもいいのかな、と思っています。

いつも自分が自分にたくさんの荷物を背負わせてしまっているほど
疲れていたり、体力気力が消耗しているかもしれない。
そんなときは、誰かのケアなんてできないときはできなくていいんだ
って自分にゆるしてあげるって大事なのかもしれません。
(わたしだけのはなしかもしれませんが・・・。)

そうやって、ちょっとずつ回復してきて、気が向いてきたら
新しい小さな遊びをほんの少しずつためしてみる。

わたしが今日やってみたのは、小さなうれしいことをかぞえてみる。
たとえば、今日は晴れて洗濯できた、とか
お通じがあった(笑)とか、ベランダにいちごがなった、とか。

それと、これから、できたらわくわくするだろうなと思うことを
いつ実現できるかどうかとか、ほんとにできるかとか抜きにして
ただいっこずつあげて、散らかしながら並べてみるとか。

それから、これまでにできてうれしかったことをあげてみたり
その写真をならべてみたり、どこかにアップして人にみてもらったり。

そういうことをこつこつしてると、案外こまかいポイントがたまって
わぁ、こんなにわたし元気にいい調子になってる~
なんていう風に居られているかもしれません。
(今日のわたしがまさにそう・・・。)

なんだかそうやって過ごしてみていると
自分が自分と居心地いい所からなにごともはじめること
その土台をじっくりつくってあげるプロセスを自分にゆるすこと
それ自体が、自分へのおくりものなのかな、と思い浮かびました。

みんなそれぞれにぴんとくること、しっくりくること
そのときのテーマやタイミングなどちがうので
参考にする必要はまったくないと思うのだけれど
もしだれかの役に立つところがあれば
それはそれで、なんだかわたしのなかにも小さな明かりがともるようで
ありがたいことだなぁと感じます。

だれかのために、というよりは
今日そのことに気がついた自分へのメモとして
なんとなく書いておきたかったのでした。

ほっておくと、自分のあらさがしをして自分を責める過去の習慣に
ただ、そうしなくてもいいんだよ、ちがう寄り添い方もできるよ
って知らせてあげたくて。

シェアをうけとってくださった、みなさまにありがとうございました。

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