あたまをほぐすからだのレッスン
アレクサンダー・テクニークの Sudio Saltia* オカナオです。
東京での仕事(大学の授業)が無事終わり
ホッとしたのもつかの間、
大分で猫のみつと残って留守番としてくれている夫が
出会ってから3度目のぎっくり腰になりました。
正確にはぎっくり腰とは言わないのかもしれませんが、
彼の持病の腰椎ヘルニアの症状が再発しかけた
という状態です。
そんなわけで、予定を繰り上げて急遽帰宅しました。
(予定をキャンセルしてご迷惑をおかけしてしまった
みなさまには本当に申し訳ありませんでした。。)
わたしにとっては3度目の夫の介護であり
結婚前の家族の介護も入れると
またか・・・となりがちなところですが
何だか今回は観察しどこと満載で興味深いです。
わたし自身も骨折などの怪我をして
介護される立場になったことがあるのですが
介護される側も、する側も
心身ともに快適であるようにすることが
とても大切なんだなぁと改めて実感しています。
体を故障してしまった当事者は
自分を責めたり、状況を責めたりしてしまうと
自分の体を小さく縮めすぎたり、緊張させたりして
過度な負担を自分の心身にかけてしまいがちです。
同時に、ケアをする側も、介護しながら
相手の体勢に自分を合わせて食事をさせてあげたり
体の手当てをしてあげたり、介助をしたり
そのときに自分を屈めてしまいすぎて
体を痛めてしまって疲れさせてしまったり
その結果、心が疲労してしまうことがあったりします。
でも、そんなときにどちらの人にも
アレクサンダー・テクニークを使って欲しいのです。
どんな状況でも、わたしたち一人一人が
身体的にも、精神的にも
存在そのものとしての尊厳を
充分に尊重され、大切にされてよいのですね。
わたしもそのことを以前は知らなくて
介護される側のときも、介護する側のときも
自分を心身ともにいじめながらで毎日きつくて
なんで自分がこんな目に遭わなきゃいけないの?
と思っていました。
でも、アレクサンダー・テクニークを学んで
自分がただここに在るままで
こんなにも尊重されていいのだと
体と意識の拡がる感覚を味わう体験を重ねました。
今、教える側になってみて
以前のわたしに何が起こっていたのか
冷静に、でも温かく見つめられるように
だんだんとなってきています。
その中で、わたしが
アレクサンダー・テクニークを通して
本当に伝えていきたいことは
自分の一生のパートナーである自分自身を
心身ともに手を取り合っていかれるように
それぞれがなっていくことです。
どんなときも、自分を必要以上に責めないこと。
そうしたいときも、自分の体を小さくしなくていいこと。
自分に当たりたいほど辛いときも
それをすることは何の役にも立たないと知っておくこと。
相手や状況を責めたいときこそ
自分の体に戻ってきて、今の自分の体に気づくこと。
自分の体にしっかりと自分がつながって
今この自分と自分の感覚的気づきの体感とともに居られたら
落ち着いて、自分や相手や周りを尊重する余裕を
今までより少しずつ少しずつ持てるようになっていきます。
わたしたちの理想が高すぎて
「正しくあるべき」、「もっとがんばらなくては」、
「~しないと愛されない、充分ではない」と
自分を追い込んで、自分の思考の中の理想と一緒に居て
自分の体という実際の存在を置いてきぼりにすることが
多くの問題を生み出してしまいます。
だからこそ、本当の自分が存在する「我が家」である
自分の肉体に自分の意識を戻してあげたいのです。
そして、体に起こっていることに気がつくことが
「我が家」に明かりを灯すことになります。
今居る自分の「我が家」を愛して
居心地良くしてあげることほど
自分にとって快適なことは無いと思うのです。
だからこそ、自分の体ともっと出会うこと
忘れていたことを思い出したり、知ること
そういったことが大切なのだと思います。
介護をされる人も、する人も
自分の存在を忘れて、大切にしないでいるところから
ほんの少しだけでもいいので自分の体に気づいて
そっとやさしく自分をなでてあげたり
普段気にもかけなかった場所に触れてあげたり
自分のケアをしてあげたら変わるような気がします。
心身の状況が混乱のときこそ
自分の意識を自分に戻して
体にちょっと気づくことだけでも
アレクサンダー・テクニークの
原理をちょこっと使うことになります。
なんだか散らかった内容になってしまいましたが
どうぞ、それぞれの方が自分と仲良く
どんな状況も肯定的に味わいながら
無事に乗り越え、歩めますように。。
長い文章、読んでくださり
ありがとうございました。
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