2010年3月31日水曜日

古い「自分」が崩壊中





古い「これが自分だ!」っていう部分が崩壊中です。


色んな細胞がふるふるしてたり
ういーん!!って回転数が上がっていたり
なんだか忙しかったり
イライラピリピリしてるとこがあったり

なんだろうなー?って観察してたら
そういうことでした。



とくに、自分の上半分

言ってみれば上半身

マインドやエゴや理性がコントロールしたがる部分



頭に近い場所は神聖とされている場所であると同時に
混乱したり、混雑したり、ごちゃごちゃしやすい場所



こうやって、振動したり、炎症や熱出したりして
肉体レベルでも、エネルギーレベルでも
色んなお掃除してるんだなぁ




うーん、生みの苦しみならぬ
生まれ変わりの苦しみと喜び




こうやって、自分の中身が脱皮して
必要ないものを手放していくのと連動して
からだが一緒にはたらいてくれるのはありがたい。




自分のプロセスを信頼しよう。



ちょっと壊れてても、しかたない。

だって、これが自分なんだもん。





2010年3月21日日曜日

今のわたしに起こっていること






今わたしに起こっていることは

ほんとうにほんとうに
ほんとうにほんとうに

今の自分にすなおになるということ
ごまかしてしまわないということ

徹底的にうそをつかないということ
内側の小さな声を無視しないということ

自分以外にものさしをゆずってしまわないということ
自分にとっての真実だけを基準にするということ

ほんとうの自分以外の声を乗り越えるということ
ほんとうの自分とともに在るということ。



それは、ほんとうの自分をありのまま受け入れるということ。






自分にとって都合の良いところだけではなく
自分にとって都合の悪く感じられてしまうところも


自分や他人にとって理解にたやすいところだけではなく
自分にも他人にも理解しがたい
理解を超えた不可思議なところも


好ましいと思われるようなところだけではなく
憎悪されたり、嫌悪されたり
罵倒されたりするようなところも


繊細で心配りとやさしさと思いやりに溢れたところだけではなく
敏感でびくびくして配慮がなくて自分中心で無神経なところも


人間らしい情の通うようなところだけではなく
非人間的な情け容赦ない冷酷非道なところも


女性らしいようなところだけではなく
男性以上に男らしく、力強く
粗野で乱雑で思いやりを欠くところも


日本人らしい和合して細やかなところだけではなく
大雑把で非常識で混乱して反逆的なところも


良識ある社会人のようなところだけではなく
知性も気配りも欠いた子どものように
自由奔放な変人のようなところも


健康で身体も心も自由に活動的にいられるところだけではなく
不健康で体調不良や精神不安定で療養や援助が必要なところも


かわいらしく親孝行な娘らしいところだけではなく
反抗的で親不孝で心配ばかりかけても気にしない
本当の娘とは思えないようなところも


聞き分けの良い孫らしいところだけではなく
まったくコントロール不能な宇宙人的で
別世界に居るような孫とは思えないようなところも


夫に尽くす妻らしいところだけではなく
悪妻や鬼嫁と呼ばれて
忌み嫌われるような古女房のようなところも


嫁としてけなげで精一杯なところだけではなく
不出来で生意気で相容れない
他人と嫌われる可能性もあるところも


生徒として純粋に好奇心と伴に学ぶひたむきさだけではなく
生徒役を演じてはいるけど、じつは内心何も教わりたくなくて
ふまじめでまったくかわいくないところも


先生らしく信頼と愛情に溢れ博識なところだけではなく
いいかげんで閉鎖的で独断的で無知で
とっても先生とは呼びたくならないようなところも


つつましく謙虚で清貧を心がけるところだけではなく
贅沢と浪費と無駄が好きで傲慢で
所有とコントロールにまみれているところも


愛と善意と信頼、英知に溢れたところだけではなく
悪魔のように偏見と欺瞞と疑いと執着に満ちた
ドロドロと暗く汚いようなところも


晴れ晴れと明るいところだけではなく
鬱々と暗く湿っぽく偏執的で内にこもったところも


遊び心と創造性と自由さに溢れたところだけではなく
真面目で偏屈で頑固で型にはまっているようなところも


豊かさに満ち溢れ喜びを享受するところだけではなく
貧困や欠乏、空腹とみじめさに押しつぶされそうなところも


ありとあらゆるものを肯定し、受け入れる可能性だけでなく
ありとあらゆるものを否定し、拒絶する可能性も


自分にできることだけではなく
自分にはできないことも





すべてを交えた、こうした相容れない矛盾が
そこにこのまま存在していてもいいこと許すということ。


それは、あらゆる可能性の存在をゆるすということ。


まるごとで、体験としてただその必要があって
それらが起こることをそのままに起こらせること。


そして、そこに発生する感情や体験は
自分に与えられている人生の滋味だと認識し、受け取り味わうこと。


そして、それ以上自分には何もできないということ。


そんな風に、わたしたちは非力なことを知ること。


わたしが知るその非力さ以上に
わたしたちは運命に非力で
けれど同時に創造的でもあること。


それは、自分にはできること以外できないけれど
自分にできることを最大限にする自由を
全てにおいて与えられているということ。


その中で、思い切り実験し
やりきってもいいのだということ。


それをしたとしても、何も変わらず
必要のあることしか起こらないこと。


そして、それはすべて安全であるということ。


たとえ、なにがあったとしても。


ほんとうのいのちは死なない、ということ。





2010年3月20日土曜日

所有から分かち合いへ





昨日いちにち、「所有」ということについて
考えをめぐらせていました。



お金を所有する。

土地を所有する。

車を所有する。

パスポートを所有する。

権利を所有する。

資格を所有する。

財産を所有する。






それで、所有することとコントロールとが
深く結びついていることや

所有することと執着することが
深く絡み合ってること

そんなことに気がつきました。



そして

所有とコントロール、そして執着
それが結びついたとき

あらゆることが複雑化して
問題が生成されてしまう

ということにも。




それが、顕著に現れるのは愛情
つまりは人間関係。

その人がものごとをどう考えているのか
その在り方が最も出るのが
人間対人間のコミュニケーションなんだなって。




わたしが20歳くらいのころ、NHKの番組で
タイの母と息子のドキュメンタリーを見ました。

仏門に入り、僧侶になる息子と
その母のはなし。

その母である彼女は息子に対して

 「わたしはあの子を生んだ母親であるけれど
  あの子は自分のものではなく
  神さまからの預かり物だと思っている。」

と語っていたのが印象的でした。




日本やヨーロッパなど世界の歴史の古い文化では古い慣習として

 「子は親の所有物」
 「子供は父親の所有物」

という概念があったようだし


シェイクスピアの戯曲や色々な昔の物語で
よくそういった政略結婚などの展開が見受けられる。



現代の日本はその頃よりもずっと変わってきたけれど
人や世代によって根深い意識の中に
そういった概念が幅をきかせているかもしれない。


そうしてコントロールや執着と共に育つと

 「愛情とは、所有関係によって成り立つ」

と思ってしまう場合が往々にしてあるんじゃないかな。



たとえば、「彼女はオレのもの」とか
「彼はあたしのものよ」とか。

恋愛、親子関係、友情、そのほか色々な関係で
所有権争いをしてしまうのは、こういった考え方が原因。


もし、「所有」についての問題で
自分は苦しめられていると感じていたら

それに気づかずに同じことをくりかえし
苦しみつづけることもできるけれど

「所有」という概念を見直すことで
だんだんとその苦しみのループから抜け出ることも
できるのかもしれない。

少なくとも、わたしはそうだと思ってる。




現代のテクノロジーは、以前の所有することから
わたしたちを少しずつ解放してくれている面もある。

例えば、音楽はレコードやCDなどの媒体を必要とせず
音楽データをダウンロードすることで
持ち歩くことも可能にしてくれる。

また、本ならば、重く分厚い本のデータも
コンピューターなどに取り込めば
いつでも取り出すことができるし
データだけで利用するなら
印刷する紙のために森林資源を伐採する
自然破壊からも解放してくれる。


でも、アナログに、媒体を通しての手触りや匂いなどの五感で
ここにあるという安心感を味わえるのも事実。


それぞれに、良いところと惜しいところがあるとはいえ
所有から解放されることによって
自由が獲得されるのも事実。


これは、ものの片づけにも同じことが言えるかもしれない。

所有によって自分を満足させていくのか、どうか。




今、地球の環境や経済状況などから

 「自分が何を所有することを望むのか」
 「何を所有しないで分かち合うことを望むのか」

そういうことをだんだんと考える時代になってきているんだな
と感じる。

たとえば、カーシェアリングとかね。




きっとだんだんと分かち合うことがメインとなって
所有するのは一部の良く使うものだけ
なんていう風になっていくのかもしれない。

これまでが「所有」で奪い合う時代なら
これからは「分かち合い」の時代なのかな。

未来がそんな風に豊かに拡がっていくといいな。






41. 参加

あなたは、夜が去っていくのを見たことがあるかね? 毎日起こっているものごとにさえ気づく人びとは、ごくわずかしかいない。あなたは夕闇がやって来るのを見たことがあるかね? 真夜中とその歌を? 日の出とその美しさを? 私たちはほとんど目が見えない人たちのように振るまっている。こんなに美しい世界にいながら、私たちは自分たちの惨めさという小さな池で生きている。その池にはなじみがある。だから、誰かがあなたを引き上げたいと思っても、あなたは逆らう。あなたは自分の惨めさから、自分の苦しみから引き出されたくないのだ。さもなければ、まわりじゅうにひじょうに多くの喜びがある。あなたはただそれに気づき、観客ではなく参加者になればいいだけだ。
哲学は空論、禅は参加することだ。夜が去っていくのに参加するがいい、夕闇がやって来るのに参加するがいい、星たちに参加し、雲たちに参加するがいい。参加することをあなたのライフスタイルにすれば、全存在が素晴らしい喜び、素晴らしいエクスタシーになる。
より良い宇宙など、あなたは夢にも思っていなかったはずだ。


解説:

このマンダラの人物はそれぞれ左の手のひらを受け取る姿勢で上に向け、右の手のひらを与える姿勢で下に向けています。このサークル全体が途方もないエネルギー・フィールドを創りだし、二重の"ドルジェ"、稲妻を表わすチベットのシンボルの形を取っています。マンダラは、ブッダのまわりに形づくられるエネルギー・フィールドにあるような質をもっています。そのエネルギー・フィールドでは、統合され活気に満ちた全体を創造するために、サークルの一端を担っている個人全員が、それぞれ独自な貢献をしています。それは、花の各部分を合わせたよりも花全体のほうがさらに美しいと同時に、個々の花びらの美しさをも強めている、そういう花に似ています。ほかの人たちといっしょに参加し、個人それぞれが独りで成し遂げられるものよりもっと大きく、もっと美しいなにかを創造することに貢献する機会が、今あなたに訪れています。あなたが参加すれば、それはあなた自身をはぐくむだけでなく、全体に対して貴重ななにかを貢献することにもなるのです。





音楽の贈りもの





先日、フルーティストの金井康子さんから
なんとご自身のCDをいただきました。

フルートスケープ1


康子さん、ありがとうございます!
http://www.ongaku.org/



じつはじつは、聴いてみるまで
「クラシックでフルートって、わたしにもわかるのかな?」
ってちょっと心配していたのですが
そんなことはまったく杞憂でした!



なんともなんともとってもすてきな
心が躍って元気になる音楽の贈りものでしたプレゼント


まさに音を楽しむ!
音ってこんなに楽しくておしゃべりだったっけ??って
無邪気に無垢になれるような、そんな音楽♪


プーランクとかフランスの作曲家が好きだったのを
ずっと久しく忘れていて
そのことを思い出させてもらえたことがまた嬉しくて
音の彩りを自分に取り戻した気分です。


パスピエには、わくわくを湧き出させてもらって
子供の頃の新鮮な好奇心を思い出させてくれました!


自分をリフレッシュしたいときに聴くのに
とってもいい清涼剤!


これからもすてきな音の楽しみや喜びを生み出していく
康子さんの今後にますます期待しています :-)


いつかライブを聴きにいけますように♪





2010年3月19日金曜日

今夜の気づき





今夜も Life Radio 楽しかったです。

うーん、やっぱり聞いてもらえること
刺激を受けてもらえることって
わたしにも刺激になって大事だ。



わたしはやっぱり本気が好きなんだな。
いつもだと疲れるけど、本気の人には本気でいたい。
そういう熱いコミュニケーションを愛してるんだな。
お互いへとへとになっちゃうけど。


それで、ゆる~りゆるむようなことも相反して大事にしてみたり
そういう緩急を楽しみたいのかもしれない。
本当に自分の望むことを尊重しながら。



色んな構想も出てきたことだし
自分を豊かにすること=まわりを豊かにすること
それをいちばんに掲げていきたいと思います。


うーん、いいね!





チリの地震寄付についてのやりとり2





チリ地震への寄付の日記を書いて、すぐに寄付してくれた
きょんぱさんとのやりとりです。

寄付することについて、少し考えてみたり
意識してみたり、行動してみるきっかけになれば・・・と
公開します。



****



きょんぱさん、こんにちは。
おひさしぶりです。

昨日、ホノルル在住だけどチリに帰省中のともだちとチャットをして
きょんぱさんも寄付してくれたことを伝えました。

そして、「チリのために本当にありがとう!!
なんて大きな心で助けてくれて、本当に本当に感謝!!」
といっていました。

そのことをきょんぱさんに伝えたくて
ただひたすらにわたしからも感謝です。

わたしが自らアクションを起こしたことで
こんな風につながり、うけとり、行動してもらえたこと
ほんとうにきょんぱさんの心の拡がりに感謝です :-)

今、まだチリでは困っている人が居てお金を必要としているそうです。
詳しい内容がわからないので、彼女の生の目で見て感じた様子を
メールでリポートしてもらうことをお願いしました。

メールが届き次第、ブログやmixiにアップしたいと思います。

ひとまずは、とにかく彼女からのお礼のことばを伝えたくて!
きょんぱさん、ありがとう!!


オカナオ

****



オカナオちゃん

久しぶり~日記見てるYO!
とってもいい感じだね~

嬉しいメッセありがとー

私この募金の後これがきっかけでは無いんだけど
自分て偽善者だって思ってしまい
今まで良かれと思ってやってきたのが
私の自己満足の為では無いかと疑い
自分を責めてしまったの

その時は体調不良中だったのもあって
かなり凹んだだけど後ほど浮上しました(笑)

今だ偽善かそうで無いかは私の中で
はっきりとはしていないけど
見返りを期待してないと思っているので
そこは自分にOKを出したの

私は以前に自分の日記でハイチ地震の募金を呼びかけたのね
その時は誰も反応が無かった
きっと私自身が調べ実際に行動していないからだったのだな~と
オカナオちゃんのチリ地震募金日記を見て思ったわ
(同時にハイチにもあのNGO団体HPから送りました)

募金自体も団体に送るとかなりの金額がその団体の運営にまわり
実際現地に行くお金は少ないそうです。
それでもやらないよりはやったほうがいいに決まっている

遠い日本から自分に出来ることってなんだ?って思う
そして日本の国の未来も考え行動していかないととも思う

自分が満たされ溢れたものを人に与えられるんだなって思います
その溢れる量が沢山だったら沢山与えることが出来るんだよね
どんどんそうなっていきたいって思う

これから協力できることはしていきますね^^
お友達にもよろしくお伝えください

愛と感謝を込めて
きょんぱ

****





きょんぱさん


お返事早速ありがとうございます♪

なんとも真摯ですてきなメールだったので、
このやりとりを公開しませんか?

募金って、やっぱりしてみたいけど、うーん・・・
ってなっちゃう人たちも多いと思うし
(実際自分もそうだったし!)
自分の身に置き換えて少し考えてもらえるだけでも
ずいぶん大きな違いがあるんじゃないかな?って。

それで、募金してもしなくても、考えるって大事だなって。
だって、日本だけでこの地球は成り立っていないんだもの。

チリってちょうど日本の反対くらいの場所に位置していて。
北と南に長くって、経済的にも安定していて
地震が多かったり気候条件も日本と似ている。

だから、余計によその国のことって思っていられないというか
あ、なんとかしなきゃって思った。

行動に起こせるまで、人は少し時間がかかったりするけど
その行動を呼び起こす刺激に少しでもなれたらな、なんて思って。

できることからはじめたらいいんだよね。
それって、寄付を呼びかけるだけでも違うんだと思う。
寄付の金額とかもきっと関係ない。
祈りがそこにあるか、なのかもしれない。

だから、ほんとうにきょんぱさんに感謝なのです。

すぐに受け取ってもらえて、ほんとうに感激したし
募金したお金が全部チリに行くわけじゃなくても
その気持ちと行動がチリの人に伝わっていくこと
それだけでもすごいことだと思う。

彼女とも連絡が取れたら伝えておきますね!

本当に本当にありがとう!!!


オカナオ

****



オカナオちゃん

以前ハイチ地震の募金をあげた日記
1人コメントいれてもらってた^^

たとえ日記にコメント入れてもらってなくても
どこかで寄付をしているかもなので
反応無しと決め付けるのはイカンね

公開OKです
チリ→大分→神奈川を繋いでその先へ、広がりへ
行くといいね~

きょんぱ

****




もしも、ちょっと考えてみようかな
寄付してみようかな
なにかできることあるかな
と思ったら、以下のリンクをクリック!



<チリ地震への寄付>

ツイッターで
http://www.dff.jp/twit_donation/

ADRA Japanより(クレジットカードで募金できます)
http://blog.canpan.info/adrajapan/archive/110

World Visionより(クレジットカードで募金できます)
http://www.worldvision.jp/news/news_0451.html

ICA Japanより
http://www.icajapan.org/icajapanj/newsJ.html

AMDAより
http://amda.or.jp/articlelist/index.php?page=article&storyid=62







チリの地震寄付についてのやりとり1





先日も書いたチリの地震の日記
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1429387262&owner_id=1445125


2日ほど前にチリ人の友達と連絡が取れました。

彼女は、アルゼンチン出身の天文学者(なんとNASA!)の旦那さんの仕事で
ホノルルに住んでいて、語学学校で友達になり、ご近所さんだったのですが
先日からチリに帰っていると言っていました。

それで、帰省先のチリからと日本からとで、しばしチャットをしてました。


チャットだったので細かいことはまったくわからないのですが
被害は深刻でないところもあるけれど、チリ内には被災された方も多く
まだまだ援助(金銭的、人道的、技術的)が必要なようです。
http://blog.canpan.info/adrajapan/archive/108
http://blog.canpan.info/adrajapan/archive/110
(↑わたしも寄付した ADRA Japan からの情報です。)



彼女の家族が住んでいるのは、首都のサンティアゴだけれど
どんな様子なのかをメールでレポートしてもらうようにお願いしました。
送られてきたら、日記とブログにアップします。


彼女はどんなときも明るく「大丈夫よ!」と切り替える人だけれど
現状がよくわからないだけにやはり少し気になります。

引き続き、ニュースなども調べていく必要がありそうですね。



それから、チリの彼女とチャットをしていて
わたしが寄付をしたという先日の日記を書いて
それを読んだきょんぱさんも早速寄付してくれたことを彼女に伝えたら
「本当にありがとうーーーーーー!!」と感謝のことばが。


その日記を読んで、何かしらのアクションを起こしてくれたけれど
特にわたしに伝えていないみなさまにも
チリの彼女からとわたしからのありがとう!をお伝えします!



そのきょんぱさんに彼女からのお礼を伝えるためにした
メールのやりとりもなんとも誠実で
寄付することを迷う人にも何か考えてもらうきっかけになるかな?
と公開することにしました。
(きょんぱさん、ご理解&ご協力ありがとう!)



つづく





2010年3月17日水曜日

久々に怒る!






久々に怒りの感情が湧き上がってきました。

誰に怒るって、全方向に!!
(もちろん自分にも、それ以外にもすべて!!)



いやーすごいなーーー!!!

怒りって、こんなエネルギッシュだったっけ?っていう具合。

怒りのエネルギーって、エゴのジャッジと分離すると
ほんと!やっぱり使いやすい燃料だわ~!


(わたしは、新しい決断をするのに使いました!)



それにしても、こんなに明快に怒りを感じて利用できたのは

断食後で心も体もクリアになった後だからなんだろうな。




夕飯に蕾菜買いにいったら
帰りにいきなりふつふつと怒りが湧いてきました。

きっかけは、混雑したスーパーに居る人たちの
イライラピリピリ感に触発されたようなのですが。





うんわー腹立たしい!!!

腹立つ!

頭に来るなー!!!





って思ってたら、その怒りがどこで爆発してるのか浮かんできて

自分を尊重していなかった=他の人から尊重されていないと感じた

そういう今までの体験への怒りや依存関係への怒りでした。




それらの怒りの噴出とともに、徹底的に自覚できたのは

自分が本当の意味で自分の本心をごまかして

自分以外の人が依存してくるのを見逃しておくかわりに

自分が他の人にも依存することをゆるしていたことでした。





結局のところ

わたしも人も「変わりたい」って言ってるだけで

実際の行動に移ってないうちって

本当に変わりたいわけじゃないんだなということや

本当に変わりたいと強烈に思っているときは

もう行動しちゃってることに気づきました。





それに、「変わりたい」って思っていて

実際に行動が伴っている場合は

苦しくても自分で気づくことができるし

ちょっとずつでも希望や前進を感じられるはず。





そうだよね~~~!!!!



だから「変わりたい」って言ってるだけで

何も自分からエネルギーを捻出しようとしてない人に

どんなに優れた素晴らしい良質な助けがやってきたって

何にも助けにならないわけだ!!










あぁぁ~~~~、なんてからくりだったんだーーーーー!!!






でも、そうやって失敗を繰り返したおかげで

これでもか!って痛い目に遭って、やっと目が醒めた。




「変わりたい」とか言ってるだけのあいだは

 だれも何もどうにもならないーーー!!!





本当に心底「変わりたい!!!」って強烈に願うなら

失敗しても!お金なくなっても!ヘロヘロになっても!

自分の持てるものを全部注ぎ込んで自分改革しなきゃ!!!!


でなきゃ、なんにも変わるわけないじゃん!!






あーーーー、また腹が立ってきたーーー!!!笑





本気出せーー!!本気ーーーー!!!!





もう絶対にそのからくりから抜け出して

新たな関係性を創造してやるーーーーーーーーー!!!





というわけで、宣言!!!




 1、 わたしは、自分のすべてを本当に尊重します。


 2、 わたしは、お互いに本当に尊重し合う関係性と
    現実だけを築きます。


 3、 わたしは、お互いが与え合い、受け取り合い
    刺激し合い、お互いがお互いを豊かにし合う
    関係性と現実だけを創造します。


 4、 わたしは、それ以外の選択肢への
    「NO!」をしっかりと伝えます。


 5、 わたしは、自分のすべてを
    この1~4のために注ぎ込みます。








自分内クリアリング&断食してみて気づいたこと






 ↓

 ↓

 ↓




自分がえらぶえらばないにかかわらず
外側に情報や主張やメッセージに溢れすぎていること

それとつながって、視覚的なノイズが多いこと



今、わたしはそれらを受けとめられないほど敏感になっていること


それを自分がみとめてあげてもいいということ


自分の望むものだけを取捨選択する重要さ


自分の人生や生き方の望みをもう一度明晰にすることの大切さ


自分が今まで習慣的にしてきてたくせをリストラする重要さ


わたしにとって望まないものには
愛をもってNOを言うことの大切さ


本当に心やからだがもとめることを与えることの大切さ


カレンダーや時計や常識に支配されない休日の必要さ


丁寧に大切にものごとや自分を取り扱う瞬間の大切さ


自分の思考や行動をゆっくりにして観察することの必要さ


間違ってしまうことを自分にゆるして経験を与える大切さ


自分を本当に尊重するこは
自分を尊重することと、自分以外を尊重することと
ほんとうにイコールであるということ


自分がやっているすべてのことは
大きくぐるっとめぐりめぐって
いつか自分にかえってくるということ


食べることも、消化&排泄することも
どちらもひとしく尊くて、大切だということ


学習などのインプットとそのアウトプットと
それらのなかの必要のない情報を整理すること
どれもとても大切だということ


NOということは
それ以外のものにYESということと同じだということ


自分が何を大切にしたいのか


自分が何を必要としているのか


それらとそれら以外のものの見分けがどこにあるか


こういう自分内の整理期間の重要さ


ここでわかったことに基づいて今度行動することの重要さ





2010年3月15日月曜日

自分内クリアリング その3





そんなこどもではあったものの
だんだんと理解できることは増えていって
結局理解できずに残ってきたのが
時間とお金と自分の労力。

どうも、ずっと有限じゃないと思ってたんですね。
まさか他のだれも、そんなこと思いもしないかもしれない。

それで今までこんなに、お金についてわからなかったんだな。




3月になってから自分の価値を受け入れる、受けとめる
そんなテーマがやってきていた。

それにともなって、しごとの料金についての考え直しのチャレンジがやってきた。

自分の本心はどうなっていて、何を伝えて大切にしたいのか。
ごまかしていることがあるなら改めるいいチャンス。



自分をいちばん最後にしておきたい。
自分は後回しでいい。

そういう染み付いて同化していた考えが浮かんできた。



その半面で

もうこれじゃ動けなくなっちゃうよ。
このままじゃ何もできなくなっちゃうエネルギー切れだよ。

そんな心とからだの声が聴こえてきてた。





だから


もっともっと自分を大切にして。

ゆっくりして。

ちょっと休んで。

甘やかしていたわって。


そんな声が聴こえてきていた。




これまで何度も自分の理性(アタマ)のコントロールが強くて
自分に鞭打たなければならない!とがんばってきた。

そのたびに、病気になったり、ケガをしたり
痛い目に遭ってさんざん懲りてきた。

だから、今回はその学習を生かすチャンス。




はい、自分をいたわります。

慈しみます。

自分の気持ちを表現します。





今までは、わたし流で相手を大切にしすぎた。
そして、気がついてもらえないとこっそり内側で泣いていた。

そして、そんなことにすら気づいてすらいなかった。




でも、自分をしずかに、からっぽにしてみるとよくわかる。



何が自分の望むもので
何が自分の望まないものなのか。




それがわかったのに、ほったらかしてごまかすのは
また振り出しに戻ること。

一体何度それを繰り返してきたのだろう。

他の人のご機嫌をうかがい、状況にたいしていい顔をし
自分の本心や体調を無視することを。





その傾向は、以前のわたしに比べてかぎりなく小さくなって
今はほとんどいつも快適な状況を過ごしている。

それでも、まだまだ工夫する余地がある。
お手入れする余地がある。


より自分が本心で生きて、本心で感じて
ほんとうのことばとからだで表現するために。



他人にどう思われようと、自分の本心にひたむきであること。

自分の持てるすべて、いのちに従順であること。

今開いている可能性にすなおになり続けること。

そして、それを自分のことばでしっかりと表現すること。




一見、都合の悪い、バツの悪い状況もあるかもしれない。

でも、それは今は一見そう見えるだけ。
長い目で見れば、ほんとはどうかわかりはしない。


災い転じて福となす、その心さえあれば何とかなる。


恥も罪悪感も脱ぎ捨てて、本当の自由を自分にゆるすこと。

自分の美学、哲学、大らかさをいきること。







自分内クリアリング その2





色々自分の考えや気持ちを整理して
だんだんシンプルになってきたのかな。


少し静かに自分を休ませる余白が必要だなと思っていたら
体内クリーニングにいたるプロセスで
自分の全体的なエネルギーの調整もはじまってた。



ただ何か外のものに耳を傾けるのではなく
自分のうちに心を気持ちを傾ける。

風邪を引いたこどものように休ませる。



そして、自分の内側に流れていることばを聴く。

自分の気持ちや考えのこともあれば
そのどれでもないようなメッセージもある。

自分に対するジャッジも批判もすべて手放す。
ただ自分が気づいたことだけを受け取る。



そうして出てきたのは
わたしは自分が有限だとわかっていなかったこと。

つまり、自分の持てるものは無限だから
惜しんではならないと無意識で思っていたこと。


自分というのを言い換えれば

 ・ 自分の時間
 ・ 労力
 ・ 体力
 ・ お金
 ・ 気持ち(気遣い)
 ・ 表現(ことば、声)
 ・ いのち
 ・ からだ
 ・ 知恵
 ・ 情報

なんていうのが思い浮かんでは来るけれど。


なんにしろ、無意識に無限(いつでも手に入るもの)だと思ってたら
その価値なんてよっぽどじゃないと感じられない。

それってまるで、水や空気や平和みたいなもの。
価値があるのに、当たり前すぎて気づけない。



だから、わたしは自分に価値を感じられなくて
全てを出し切ってしまって疲れちゃってたんだな。

そして、出し惜しみすると罪悪感と気持ち悪さばかりが残っていたんだな。



それじゃあ、何かを受け取ることなんてできない。
ほんとはそこにあっていい循環がなくていいことになってしまう。

よく考えてみたら、わたしは人間だ。
この時代の地球の日本人として生まれてきている。

それって、今の地球の日本の社会のシステムとも
協調していってないと生きていかれないということでもある。




わたしは、仙人でも妖精でも神さまでもない。
ふつうの人間だ。

それって、生きていくのにお金が必要だということ。

それって、生きていくためにお金をやり取りしてもいいということ。

それって、自分を生かしていくためのお金を受けとってもいいということ。


人間だということは、物理的な助けが実際に必要だということ。
そんなこと、本当にぴんときてなかった!






そういえば
わたしは子どものときから
世の中のシステムがよく理解できなかった。

しかも、フクザツなことじゃなくて
世の中の人にごくごく当たり前なことが。


時間ってなに? なんでみんな同じ時間なの?

右と左ってなに? 左が右じゃいけないの?

距離ってなに? 自分がいることろが動いているだけじゃないの?

名前ってなに? なんで同じ名前なのにちがうのがいるの?

学校ってなに? どうして勉強するの?

英語ってなに? なんではなすことばがちがうの?

仕事ってなに? どうしてそんなに苦しんではたらくの?

生きるってなに? どうしてこんなに苦しんでまで生きなきゃいけないの?




だから、ずっとちんぷんかんぷんで
小学生になったときが大変でした。




つづく





自分内クリアリング その1





今日は排泄についての話なので
食事中の方はお気をつけ下さい!
























というわけで。


先週、相次いで2回も「コーヒーエネマ」の話を聴く。

それは、コーヒーで腸内を洗う方法なのだけど
ずいぶん前(たぶん10年位前??)に健康情報で知って
やってみたいなぁと思ったままで
すっかり忘れっぱなしだったことを思い出した。

そんなわけで、春は冬に溜まった分を排毒する季節だし
アレルギーにも効くらしいし!と
ちょっと調べて注文してみた。


そして、今日の午後、コーヒーエネマキットが到着。
早速試してみる。

最初はうまくできなかったけど、要領はちょっとつかめたかな?
なんだかピュ―!っといくのにびっくりしたけど。笑

中にコーヒー隊が入ってからは、腸内をゆっくり洗浄している感じ。

トイレに座ってはじめは「やっぱり液体だけしか出ないか~」
って自分の調子にがっかりだったけど
それはフライングな杞憂でした。

じっくりお腹をマッサージしてそのまま座ってたらちゃんと中身も出てきた。
結局、トイレに入って出していた時間は10分はかかってたもよう。
(残り10分の洗濯機が終わってたから。)

その後も3回くらいトイレへ。


浄化ついでに、このところ食べすぎで危険信号を察知していたので
体内の細胞をリセットするために断食に入ってみました。

柑橘ジュースを垂らした水にフラワーエッセンスを加えて飲む。
そして、お腹がすいても何も食べない。

だんだんと手先や足先が冷えて頭痛がしてきたので
はちみつをちょっとなめたり、甘茶を飲む。

水分もそんなに多く取っていないのに
お手洗いに行って水分を排出する回数が多いこと!
こんなに体内に余計な水分が溜まってたんだなぁと感じる。

花粉症もめまいも、体内の余分な水分が多いから起こる
なんていう話も聞いたことがあるからか、なんだか好感触。



お昼すぎに始めてから、だんだんとめまいも頭痛も落ち着いてきたし
胃もたれもずいぶんとからっぽになってきた。

そしたら、なんだか胃が胃自身の本意と離れて
ずいぶんと大きく無理に広げられちゃってたことに気づく。

イメージの中で、乙女な胃袋が
「こんな姿にされちゃったよ~」って泣いているー。

あぁ、胃袋泣かせな遊び人的食欲にやられてしまったのね。
われながらその仕打ちに気づいて、ごめんなさいと謝る。


そんなやりとりをしながら、今夜から明日にはどうなっていくのかな。
経過観察が楽しみです。





2010年3月5日金曜日

チリの地震



チリの地震と津波のニュースを知ってからずっと気になっています。


今日やっと、ハワイで一緒だったチリ人の友達と連絡が取れて
ひさびさにチャットできて、少し安心しました。

彼女はまだホノルルに居て元気で
彼女のチリの家族や友人たちもみな大丈夫だったようで
それを聞いたらまずは安堵。

とは言え、チリの状況って他人事ならない。


やっぱり募金しようと色々調べてみました。
http://volunteer.yahoo.co.jp/donation/detail/1301014/index.html#purpose
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1003/03/news047.html
http://www.thinktheearth.net/jp/thinkdaily/emergency/



そして、ここに募金しました。
http://blog.canpan.info/adrajapan/archive/103


今ってカードで募金できちゃうんですね。
便利でびっくり。


そして、Twitterでも募金できると知ったので
あとで試してみようと思います。