2010年8月31日火曜日

甲斐性をもとう。

このところのわたしのテーマ。
「甲斐性をもとう。」

いったいどんなんだ?と聞かれても、
うすぼんやりとしか答えられないけれど。


たとえば、

相手がしてあげたがってたら、にこにこやらせてあげる甲斐性をもとう、とか

周りに自分を決めさせるように待ちでいるんじゃなくて
自分からにこにこ動いて全体を気持ちよくできる甲斐性をもとう、とか

自分も含めてそれぞれがにこにこしていられる内に
爽やかに切り上げる甲斐性をもとう、とか

できることを楽しみながら、にこにこ有形無形の贈りものを
さりげなくわくわくしながらできてしまう甲斐性をもとう、とか

関係性がヘルシーでいられるよう
気遣ったり行動できる甲斐性をもとう、とか

そういう軽やか楽しげな甲斐性をもってみたい。


そして、書いてみたい、「趣味:甲斐性」。←なんだそれ。



まだ、そんなにないけど、だんだんバリエーションを増やしていきたい。
あんまり気張らず欲張らずに、できる背伸びを楽しみながら。


さて、どんな甲斐性がだんだん増えていくんだろう。
とっても楽しみ。

言葉が体験になって腑に落ちる。

完璧じゃないってことを受け入れるって、そういうことか!

と思ったり

その言葉の意味って、そういうことなのか~!

って腑に落ちることが、ずばばばばとやってくる。



それが面白くて、わたしは生きてるのかも。

それが楽しみたくて、
わからなくなったり、わかったつもりになったり、
色んなことをしてみてるんだな。

自分っていじらしい。



なんか、面白すぎる。

つまらないとか、苦しいのあとには、
必ず腑に落ちるカタルシスが来て
「おもしろい!」が立つ。
いや、まき起こる。

でも、瞬間的、電気的にやってきて
しがみつくとなくなっちゃうし
ついていっちゃうと情報過多でハイパーになっちゃう。

どっちも長続きしないけど、おもしろい。


ほんと、こどもみたい。


ははははは。(←宇野千代風)



でも、これって、役者がせりふとシンクロし始めて
何かがおりてきた!って感覚になるときと一緒かも。

言葉に、血と肉が追いついてくる。
というか、なんというか。

その言葉で、血沸き肉踊っちゃうような感覚。

たのしいな。
たのしいよな。。

そういうのが、くせになるってやつなのかもしれない。

失敗しながらいっぱい進む

このところ、叱咤激励されているような毎日。

落ち込んだり自己嫌悪する癖が、かつてのわたしの習慣だったのだけど
気づけばずいぶん育ったものだと、今の自分の穏やかさにそう気づく。


そうは言っても、とんでもない失敗や間違いをやらかすもので。

いつもめちゃめちゃ落ち込んでたけど、ずいぶん引きずらなくなった。

失敗や間違いをすることを意識的に体験しているからなのか(わざとじゃないよ)
「こうするとこうなるのか~!」って直視できるようになったからか、認識ができる。

今までは、失敗したら直視しないで逃げて
見ないふりしておいたから、あれこれ繰り返してたんだな。

やっぱり、痛い目はしっかり味わうと懲りるんだな。
ごまかしてないことにしちゃうと長引く繰り返しを招いちゃう。

そんなことを学びつつある、と、理解は現在進行形。



そういえば、運転免許の最後の試験、消防署の前で止まったのだけ減点だった。
だから、それだけはペーパーになった今もはっきり覚えてるけど、
他の交通ルールはすっかり忘れてる。

やっぱりお利口さんで通過しちゃうと覚えてないんだな。
うまく行かなかったことの方が、繰り返すし、インパクト大で覚えてる。

だから、「失敗しなきゃ覚えるものも覚えられない」とはよく言ったものだな。。

というわけで、失敗しながら、まじまじと観察して認識して
いっぱい学んで、いっぱい腑に落としていこう。
そしたら、いっぱい進んでいける。

失敗を苦にしないメンタリティを身につけることが
生きていくうえで一番大事なことなのかも。

そして、わたしには、それが全然なかったけど、だんだん育ちつつある。

そういう図太さというか、いい加減さを学ぶこと
これからもっと探究していきたい。


もっと間違って、もっと学ぼう。

そして、それを面白がろう。

2010年8月27日金曜日

節度といううつくしさ

減食を始めて、なるほどな~とぼんやり思っていたことが
さっきシャワーを浴びていて、インパクトのある「なるほど!」になりました。


というのも、食べることに節度を持つということは
おいしいものを、おいしいと思ううちに、食べるのをやめること
なのだと気がついたからです。

わたしやまわりの多くの人たちが、今までよく
「おいしいからいっぱい食べちゃおう!」
というのは、実はおいしいと感じなくなってうんざりするほど食べてました。

でも、それって、じつは、
自分の体のことも、食べ物のことも、
食べ物に関わってくれた人(作ってくれた人、生産者の人、物流の人など)にも
どこにも意識がおかれていなくて、
自分の内にある欲望とイメージだけで食べてる。

だから、そういう意味で、実は味なんて味わっていないし
その食べ物のもってるほんとうの美味しさを味わってあげられていない。

そんなことに気づきました。


それに気づいたら、あれ?これっていろんなことに共通だなと気がついて、
人間関係とか、時間とか、場とか、機会とか、いろんな物事と自分がかかわっていくとき
どんな風にかかわっているのかがそんな風にして現れるのだと気づきました。

あたりまえだと思っていたり、もっともっとと欲張って力んでみたり
そんな中で起こるのが、本来のそこにあるものの姿と自分自身を見失うこと。

だから、アレクサンダー・テクニークでも、色んな物事の核心部分は
自分のしていることに気づきつづけて、
自分がすることに意識を払いつづけることなんですね。


節度や美学、うつくしさ、侘び寂びのようなものは
そんなところに通じているのだなと思いました。


**追記**

それにしても、やせがまんがうつくしさを生むって
そういうことだったのかとこれで納得。

ただのやせがまんってことじゃなくて
「理想」があってそこに近づくための必死の努力を生む心が
その人の努力する姿をうつくしく見せるものなんだな
とわかりました。

美学って、そういうことなのか。
改めて腑に落ちて、身体感覚的にやっと理解。。

減食も3日目

パラサイトクレンズに重ねて、減食3日目。


今回の減食実験の元になっているのは、この本↓





今まで、お医者さんに教わって
スープや生ジュースでの3日以内の断食はしたことがあったけれど
回復食(普通の食事に徐々に戻していく過程)で失敗してしまって
頭で食べたいものを食べてしまったのです。


今回、体が重いな、お腹が詰まってるなと感じて
そろそろ断食を始めようと思ったとき
図書館から借りた本に「減食期間を長めに取ると、経過が楽」と書いてあって
なるほどなーと思っていたら、甲田療法を教えてもらって納得。

西式甲田療法の本を読んでみると
断食がメインなのではなくて、減食や少食がメインなのです。
それで、空腹感に慣れてから、半日断食や1日断食を、という考え方。

なんでもがんばってキッチリやりたがっては挫折するわたしには
このくらいのゆるやかなのが、一番いいのかもしれないと
水曜日から減食をはじめてみました。



まず、酵素玄米をつくるために、玄米に小豆を加えて
今回はキヌアも加えてみて圧力炊飯器で炊きました。

ほんとは3回以上おいて、酵素が充分に玄米を分解して
もちもちになってから食べるのだけれど
待ちきれないので、炊いて早々に食べ始めちゃいました。


量は、子ども茶碗に一杯くらい。
ちりめんじゃこをかけて、お豆腐と蒸し野菜と
スイカの皮を千切りにした昆布としいたけのお吸い物、
それにゴーヤに梅酢茗荷を和えたサラダ。

スイカの皮は、酸味があっても甘みはほとんどなくて青パパイヤみたいなので、
固い外皮をむいて白いところを千切りサラダにしたり、お吸い物にすると
生ごみ減量にも役立って、おいしく繊維もとれて、ちょっといい気分。



それにしても、食事療法を始めるにあたって
パラサイトクレンズのハーブが届いたからと
好奇心に負けて無計画に飲み始めちゃったので
大好きなスイカを仕方なく皮だけ食べるわたし。。

というのも、スイカ、まるまる1個買ってあって、
ほんとは食べ終わってから食事療法を始めれば良いのに
ちょっとおばかさんです。

というわけで、これから始めようという方は
ぜひ、家にある食べ物も計画的に消費して
それから始めた方が残念なことにはなりません。とほほ。。

そんなわけで、スイカの皮ばなしがでてきたのでした。
あぁ、脱線、脱線。




蒸し野菜は、餅とうきび、オクラ、ごぼう、ゴーヤー、長ネギ。
そして夫用に塩豚も最後に蒸して。


翌日は、朝はお吸い物のおだしだけ飲んで(半日断食)、
お昼と夜は、蒸し野菜を冷やしておいたのと玄米とお豆腐とお吸い物。


そんな感じで始めています。


甲田療法では、朝は澄まし汁か青汁を飲んで、
繊維や固形物をとらずに胃腸を休ませて、
胃腸が活発に動き出したお昼と夕方に食事を取るスタイル。

玄米ご飯、ごま、豆腐、小魚、海草、生野菜、味噌汁など
和食の粗食を基本にして、だんだん量を減らしていくというもの。

さらに、運動療法なども一日のメニューの中に加えられています。



胃腸が弱いのに、頭と目で、つい欲張って
色んなものを食べたくなって食べてしまっていたわたしは
どれだけ自分の胃袋に欲望のまま詰め込んで、
働き続けてくれている内臓を省みなかったか
本を読んで実際に減食してみて、改めて実感。。



減食を始めて2日目の昨日、用事をしに街中へ出てみると
パラサイトクレンズの食事制限と減食実験に興味のあるおかげで
今までどれだけのものに自分が反応していたかがわかります。

小麦や油物、甘いものがだめ、となると、
街中での色んな食べ物の匂いやセールなどに意識が傾かなくて
衝動買いや騒動食いをしなくて済むので、とても楽なのです。

もちろん、それじゃ楽しみがない、という人も居るかもしれませんが、
楽しみをより十二分に満喫するために制限期間があるような感覚で
まるで、自分の意識と行動が訓練されているようで
スッキリとして快適なのです。

お腹は減るし、食べたいなという気持ちはあるのだけれど
不思議となんとかなっているのですね。

きっと食べてしまう日常に戻ることよりも
パラサイトクレンズと減食をして体や意識にどんな変化が起こるか
そっちの方にずっと興味があるからなんでしょうね。


それに、なによりも、空腹で食べたご飯がおいしい。

遠足や合宿なんかで、くたくたになった後の食事が
それはそれは美味しいのによく似ています。


食べることを通して、今、自分の意識や
日常の在り方に気づかされているようで
アレクサンダー・テクニークにもつながってきて
面白いなぁとひたすら観察。


興味が続くぶんだけ、ゆるやかに観察をつづけてみます。
(ストイックになると、苦しくてやめたくなっちゃうから!)

パラサイトクレンズ3日目

ただ今、減食&パラサイトクレンズの自分実験をしています。


パラサイトクレンズはお腹の中に居る寄生虫を
ハーブの錠剤飲むことと、水を多めに取ることで
体の外へ出して、内臓のお掃除をしましょうというもの。

iHerbで売られているParastroyを使って初めての体験。

頼んで4日ほどで届いて、レートも安い時期だったのでラッキー!
飲んでみたら、大田胃散飲んだときみたいにお腹の中がスースーする~。



で、パラサイトクレンズなんてなぜしようと思ったかというと
きっかけは、ケーキや油物を食べると必ず重くなる肝臓や胆嚢を
デトックス(レバーフラッシュ)したいと思って。

その準備のプロセスに、パラサイトクレンズがオススメされているのです。
(くわしくは、クシロ薬局などのサイトで調べてみてくださいね。)


それで、クシロ薬局のパラサイトクレンズの情報を色々調べてみると、
わたしには大変そうな感じがしたので、検索して手軽そうだった
カプセルになったハーブを飲む方法を選ぶことにしました。



ツイッターでもつぶやいていたら
オレゴン在住のmikaさんが色々情報を教えてくれました。
(mikaさん、ありがとう!http://katieash.exblog.jp/i22/


始めようと決めて、ハーブのカプセルを買った時点では知らなかったのですが
なんと、パラサイトクレンズ中には食事制限があったのですね。

よく考えたら、そりゃそうだよね、という話なのですが。



そのmikaさんが教えてくれた食事制限の内容を知って、
ひゃー、びっくり。

小麦粉、小麦を使った製品、おしょう油、果物、甘いもの、みんなだめ。。
(そういえば、虫はお砂糖とかお菓子とかパン好きだもんなぁ。。)

そのかわり、なぜか、豚以外ならお肉(牛、鶏、ターキー)はOK
(基本オーガニックかホルモン剤不使用のもの)とか、

発酵させたものはだめとか、バターはいいけど乳製品はだめとか、
卵は時々食べても良いとか、

魚は深海の白身魚とサーモンはOKだけど
甲殻類は水銀含有の恐れがあるからだめとか。。


その辺りの制限が意外でびっくり。



そのかわり、まぁ、そうよね~、と思うのが
消化に負担のかからない、でも甘やかさない食事。

白米の代わりに玄米や雑穀がOKとか、豆製品はOKとか、

ナッツ類は基本ダメだけど
生のかぼちゃの種とひまわりの種を浸水させたのはいいとか、

生のアーモンドとアーモンドバターはいいけど
ピーナッツとピーナッツバターはダメとか。



全部英語で書いてあるので、
ちょっと理解があやしいところもあるかもしれないけれど、
それにしても、いいのとダメなの、色々びっくり。



イーストを使ったものはダメよ、ってことは
英語でイーストといえば菌全部のことだから
麹や酵母をつかったのも全部ダメなの?とか。

甘いものダメで、発酵物だめってことは酵素もだめ?とか。

まだよくわかってないこともあるので勉強中。



野菜は、生か蒸すかして、ということだったので
蒸し野菜をつくって食べたら、甘くてまたびっくり。

これなら甘いものなしでも何とかなるかも。


それにしても、フルーツもお菓子も甘味料も甘いものは全部なし!
という代わりに、プレーンヨーグルトがOK。

しかも生活を新しくすることで自分にやさしい生活を
というのが妙に納得。

自分に思いやりや愛情をかけてあげることが
甘いもので自分をごまかそうとする根本のお手入れになるから。

まさに、寄生虫的な思考や行動パターンの整理にもなる。
だから、虫下すよりも、意識改革を食からする面が大きい気もする。



mikaさんはベジ/ローフーディストだから
はじめはちょっと大変だったと聞いたけど
幸いなことに、まだわたしは制限ゆるゆるなので、笑
どんな工夫をできるか楽しんでみることに。


もともと断食や減食もそろそろかなと思っていたところだったので
面白そうだし、一緒にやってみるとどうなるのか、興味本位で実験。


減食三日目の日記につづく。

2010年8月24日火曜日

自分を整理&そうじ中

しばらくぶりのブログ。
ごぶさたしてしまっています。

ずっとずっと、自分の内側の整理&そうじをしています。


レッスンを教えたり、人と深くつながっていくにあたって、
自分の意識や習慣的パターンにくもりがあるなぁと感じて
不要なものを落としていく作業をずっとしています。


数週かひと月くらいで終わるかなとか思いきや、
何ヶ月もかかってしまって、レッスンもお休みしたまま。

ナチュラル・リーディングだけは、新しいからか
わたしの慣れ親しんだパターンからは外れていて
何も考えずに自分をクリアにしてないとできない分
自動的にONとOFFが切り替わってしまう楽さがあって
ゆるやかにやっています。


なぜ、レッスンを再開できないのかな、を見ていくと
わたしの意識の中で「教える」という行為が、
子どもの頃からの過去のデータに基づいていて
「何かを付け加えて、染めていく」という解釈になっているのです。

アレクサンダーのレッスンをするときに、
その無意識の解釈が「教える」行為に自動的にくっついてきて
わたしが心理的に反応してしまうんですね。

そうすると、レッスンを教えるということが、
「不要なものに気づいて意識的に選択できるようになるのを手伝うこと」ではなくて
「わたしがいいと思っているように相手を染めていくこと」になってしまう。

それは、わたしが望んでいるレッスンの在り方ではないし
何よりも自分が逆の立場だったら逃げ出したい。


そんなわけで、自分の心にすなおになって
教えるということについての自分の無意識の解釈を濯ぐ作業を
どうにもしないとこれから長くやっていけないと気がついて
数ヶ月のお休みをいただいています。

無意識に溜まってしまった情報を濯ぐのに
思っていた以上に時間がかかって
お気に入りの服についてしまった頑固なシミを落としているようです。

完璧になるまで待つつもりはないのだけれど
今はまだもう少し時間がかかりそうです。


もっと気楽に自由に軽やかにレッスンできるようになりたいなぁと思いながら
生真面目さをやすんで、自然の流れに任せています。

またアレクサンダー・テクニークのレッスンを再開できそうな目処がたったら
ブログとホームページでお知らせします。