あたまをほぐすからだのレッスン
アレクサンダー・テクニークの Sudio Saltia* オカナオです。
先日、気づいたことをシェアさせていただきます^^
自分の中でのもやもやが、どうにも渦巻いてしまって
そこから出られない時期が少し前にありました。
思考が混乱すると、生命力も低下してしまうんですね。
自分で自分の本音が見えなくなってしまって
外側の意見ばかり聴いて判断していると
身体も感情もちゃんとサインを出してくれます。
今回わたしは、身体が動かない、何もできない!という
完全にバッテリー切れ状態になりました。
人間は生きものなんだけれど、ロボットみたいなんですね。
電気で動いているみたいに、わかりやすい。
内的抵抗が大きいとショートして、消耗や故障をしてしまう。
イヤだなと感じること、苦手なこと、本来の自分と離れてること
そういうことをするたびに、バッテリーはどんどん減っていく。
そのかわり、大好きなこと、ご機嫌になれちゃうこと、得意なことなど
自分にとって「快」が生み出されるたびに、バッテリーが増えていく。
じゃあ、好きなことだけやって
イヤなことみんなやめたらいいじゃない!
ほんとうは、そうなんです。
シンプルにそうした方がいい、断然。
でも、そしたら、なぜそれができないのか、というと
自分の頭の中の「常識」になってる『考え』が
自分がシンプルに生きるのを邪魔してしまうんですね。
つまりは、自分の人生やできごとを複雑化しちゃう。
だから、好きなことをする!自分の心に従って生きる!って決めても
自分の頭の中を大掃除しないことには、好きなことも苦行になっちゃう。
なぜなら、どんなときも頭の中で
「みんな苦労してるのに、わたしだけこんなことしてていいんだろうか」
「こんなことしてたら、他の人とうまくやっていけないに違いない」
「わたしばかり好きなことして幸せになったら、何て言われるだろう」
などなど、真面目で心やさしい人ほど自分を責めてしまうのですね。
(それはまさしく、わたしのことです。笑)
それで、周りの声、社会の声、常識だと思っているものに振り回されて
自分にとって大切なことや、何がYESで、何がNOなのか
自分の本音がわからなくなって混乱してしまう。
そうすると、身も心もちいさく縮こまっていってしまう。
そうすると、ここで感情と身体によるレスキュー出動です。
混乱した自分を助けようと
自分自身の本音を聴きやすいように
苦痛を通して警報を鳴らしてくれるんですね。
痛みや苦しさ、心身の病気や故障などを通して。
はじめは、小さく。
気づかなければ、どんどん大きく。
それで、本音と離れたところに迷走しそうになると
あなたの本音はここに居るんだよ、こっちだよ、気づいてよ!
とばかりに、我に帰るよう引き止めてくれます。
つまり、登校拒否とか出社拒否をはじめ
心身の不調は、自分の頭のすすめたがる方向性にNOを言ってくれる知恵。
そのメッセージを聴ける自分になることが、
気づきや悟りと言われるのかな、なんて思ってしまうくらい
本音にすなおになるって、ほんとうに腑に落ちる体感をともなう。
なぜなら、『常識』や『世間』を超えて感性をクリアになるほど
本音の自分の声を聴いて、寄り添うことが、すとんと簡単になるから。
わたしも、頭の「よかれ」と思う方向性と
本音の「YES」という方向性が離れてしまったがために
アクセルにブレーキを踏んだ状態でエンジン空回り⇒バッテリー切れ⇒エンスト
ということになりました。
だから、自分の中で感じていること総点検して
YESとNOとを整理して、どうしたいのかを調べています。
混乱しすぎて生命力が落ちてると、整理するのもままならないので
そのときは応急処置的に、自分に大好き三昧をさせてあげる。
(そのあたりについては、こちらをご参照ください。)
そうやって、生命力を取り戻したら
何を感じてるのかを手がかりに「YES」と「NO」の分別作業。
「こうしたらいけないんじゃないか」とか
自分内ジャッジ(外側の声に思えるものも含め)は置いておいて
周りにドン引きされても、反対されたり非難されても
自分にとってどうしようもなく「YES」なことは曲げる必要がなくて
まずそれを相手に伝える前に、自分が認めて受け入れてあげる。
だれかさんの期待に応えることが重要なことだと思ってきた人には
ちょっとばかり大変な作業になるかもしれませんが
(そういうわたしが、↑そうだったので、色んな助けを借りました)
自分の内側で感じていることを認めてあげるのにも
自分内検閲を相手の目でしてしまうことから解放してあげること。
(それがいちばん助けになる、大切な熟成プロセスだと感じています。)
そうやって、自分で自分の感じていることを認めてあげる
受け入れて居場所を与えてあげればあげるほど
駄々をこねてやっかいな気のしていたものが、すっと変わっていく。
化け物になっちゃっていたのが、もとの姿にもどっていく。
そうすると、そこで気づけたことが、自分を助けてくれる。
助けてくれると、本当に自分が統合された状態で表現できる。
「NO」を言うことが、何かを否定したり拒絶したりすることではなく
「NO」を言うときも、その向こうにある「YES」を伝えることになっていく。
わたしも、これについては、まだまだ探求を深めているところなので
「NO」を言うことが、否定や拒否になってしまっていることがあるなと感じます。
そんなときは、自分の感じていることにまだ混乱があって
よりそこを深く掘り下げていく必要があるときなのだなと思えるようになりました。
だから、誰がわるいのか、何がわるいのか、という
犯人探しをして、自分で自分をイヤな気分にしなくていいんだ!
と、ようやく気づけるようになりました。
これは、ほんとうに大きなおくりものです。
自分にすなおに生きるには
どれだけのカギをかけて締め出してるんだろう
そんな風に気づくのだけれど
気づけたからこそ、開けてあげられる。
だからこそ、わるものはどこにもいなくって
混乱と無知があっただけで、そこをお手入れしてあげたらいいだけのこと。
人のお世話を焼く前に、まず自分のお世話を大切に。
そうして、自分が快であること。
ピースフルで喜びと遊びに満ちて、自分の動きをはじめること。
シンプルでわくわくすること、に大きなYESを :)
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