2011年10月30日日曜日

I love you:) をいうために



みんな生まれて、今ここに存在してるのは
I love you:) をいうためなんじゃないか

という気がしています。


バシャールが言うには
人間本来の姿は「愛の状態でいること」だそう。

それって、存在そのもの自体が
I love you:)
って自分自身にもまわりにも表現してることかも
って思ったのでした。


赤ちゃんと母乳の話とか、色んな生き物の子育ての話とか
身体のしくみとか、いろんなこと読んだり聴いたりしてて
食べ物が血や肉や骨をつくり、意識とも相互に影響しあってるなら
その存在の発するバイブレーションが
生命の機能や環境に影響するのも
それは当然なのに、目を瞑ってたな、って気づいた。

赤ちゃんがお母さんのお腹にやってくるのも
赤ちゃんからの I love you:) だし
そもそも、その起こりも父母となる男女が
 I love you:) を表現しあったからだし
自分も少なくともたくさんの先祖たちの
色んな I love you:) の結果生まれてきてる。

ってことは、じつはわたしたちの細胞って
無数の I love you:) からできてるんじゃん!
という圧倒的にびっくり仰天な事実に気がついた。

もちろん、途中のだれかが悲しい結果として
生まれ育った歴史もあったかもしれないけど
少なくともそれは先祖全員ではないはずで
やらかしちゃったり色々あったにせよ
よろこびとともに生命をさずかった
ということが多いのだろうと勝手に憶測してる。
だとしたら、どれだけのよろこびや気持ちよさや I love you:) が
わたしの生命の中に注がれてきたのだろうと思う。

これまでの哀しい歴史や想いも
そのよろこびや I love you:) の中で溶かして
わたしの中で消化/昇華していかれたら。

何より次の世代、後の世代へは I love you:) だけを伝えたいから。
うまくいってなかったことは消化して、昇華して
新たな可能性につなげていけたら。

何がどうあるとしても、希望やよろこびとともに居たい。
そうは言っても、実際に子育てしたら
こらー!とかやってるかもしれない(笑)。

でも、そんなときもいつも I love you:) を伝えていられたらいいな。
愛する相手にも、自分にも、出来事にも。

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2011年10月29日土曜日

絶賛工事中



なぜにこんなにも書く!な今なのだけど、やっぱり書いています。

たぶん、子ども生まれて来る前の自分一人のうちに
なるべく自分をクリアにしておきたいのが大きいんだろな。 。
なんて、わからないけれど!

というわけで、自分の内側で自分の意識を絶賛工事中です。


さっき、YouTubeでバシャールの「愛の状態でいること」について
説明してるのを見て、ほんとだなぁって思った。

何か理由があって、そのためにそれをするのではなく
そうあるからそうするだけ、という完結性!

期待も目的も理由もいらない。
ただそうする、という選択!

なんてシンプル!

愛されたいから愛するのでもなく
愛したいから愛するのでもなく
ただ愛の状態でいるだけ、という。

それが本来の姿とも。


うーむとうなったよ。
すばらしくシンプルすぎて完璧な説明。
それ以上でも、それ以下でもない、ただの真実。


そういえばいつも、大きな未知の変化がやって来たり
夢が叶っちゃうときって、そこにふっとおさまる自分がいたな。

それまで抵抗してたことをやめて、手放して
自分の居心地を整えて味わい知る時間を満喫して
あ~、しあわせだな、ありがたいな、心地いいな…
ってホッとくつろいでたら
流れのほうから贈りものを運んで来てくれる!

それまでの自分のハッピーエンドであり
新しい自分に出会う冒険のはじまりでもあって。

そうして今度は、新しい世界の渦にのまれて
迷子になったり、混乱したりしながら
手さぐりのなかで新しい居場所を見つけて
また新たに居心地を整えていく。

そのプロセスの精度を、だんだん心地よいものにしていくこと。
そうやって、バランスすることを知り
遊べるようになっていくのかもしれないな。

それについて、もっと自分に自由さをゆるしてもいいんだろな。

こうでなければならないとか、ああすべきとか
そういうのもみんないったん手放して
新しい目で見て始めることができるかもしれない。

そうそう、誰かの目で見るとか、誰かの考え方でどうするかとかも
ほんとは必要なかったり、役にたたないかもしれない。

少なくとも、もしもそれが自分を苦しめるものになっているなら
いったん手放してみてもいいことかもしれないし
一度その実験をしてから見極めてみたらよいことかもしれない。

何がいいか悪いかのかわりに
今の自分にこれは役に立つか立たないか
見直してあげることが、自由へのカギだったりする。

そんな風にして、自分をどんどん解体して
出て来たものを楽しんでいかれたら、きっと愉しい!

そして、その先、いったいどこに行っちゃうんだろう(笑)!!

子どもみたいにすなおに、無邪気に
どんどん変わってくことに興味をもっていたいな、と思います。

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くるしみはどこから来るの



安静期間で大人しく過ごしているため
日記をたくさん書いているこのごろです。
え~!まだ書くの~!書きすぎだよ~!
という自分のなかのケンケンごうごうの声にも負けずに
そうよ!とあっけらかんとまた書き出してる自分。

そうかい、そうかい、お腹空いたよ、は身体の声。
でも、胃が疲れてるから、ちょっと食べるの休んでみたら?は、頭の声。

こうして書くと、これだけのことでも、自分のなかにどれだけたくさんの声があるか。

自分がどの声を聴くのか、聴きたいのか、聴きたくないのか
それぞれわかっておくのは大切なんだなって気がしてる。
同時に、そのとき自分のなかにどんな声が存在してるのか
ありのままに知っていてあげるのも大切なこと。

そこにそれ(触れたくないこととか)がある、というだけで
以前はもう「ダメ!」「絶対ムリ!」って即全否定。
存在することすら否定して、よく見もせずジャッジして避けてた。

でも、それが、頭の声から始まったものなのか
身体の声から始まったものなのか、というのでも
きっとまったくようすの違うもの。
まずは、どうなってるかすら、知りもしてない。。

よく知らないのに、よく知らないからこそ
そうやって反応しちゃってた、なんてこともある。
だからきっと、いったん出会ってみるって大事なことだったりもする。

自分を大切にすることってどういうこと?
どうしたらこの苦しさから解放されるの?
っていうのが、わたしの子どもの頃からの疑問だった。

それがこんなに時間をかけてずっと取り組む自分のテーマになるとは。

そうしてわかったこと、まだまだわからないこと、色々あって
でも、気づいてみたら、確実にどんどん楽になってる。
苦しさから解放されてきてる、っていってもいいかも。

ふりかえれば、ずっと楽に生きやすくなってるのに
問題に見えるものにフォーカスしちゃうと
いつでも自分を苦しみの渦中にどぼんと浸らせてしまう。

そのことに気がつけると、溺れてたのが浅瀬だった!なんて気楽になったり
もしくは、わたしってなんてダメなんだ~!って自己嫌悪してみたり
色々なそのときの自分がどうあるかで全然ちがってしまう。

じゃあ、苦しみはどこから来るのかな~、ってぼんやり思ってみたら
どっかから来るんじゃなくて、自分でくっつけちゃってたのか!
と気がついて、ふむふむうなってしまった。

やって来るのはどんなことも、じつはただの出来事で
そこに自分がどんな考えや思いを持ち込むか
どんな風に見るのか、だけなんだなぁって。

その思いが、良かれ悪しかれ、結果として
受け取る感情や感じ方、見えて来るものに反映されて
その後の行動や言葉や思考、信念に影響しちゃう。

そして、それはすべて、自分の未来をつくっちゃってる要素になってる。
自分の未来に責任を持つって、そういうことか!
って、また改めてショックを受ける。

今この瞬間、わたしは何を選び、何を望むのか。
無意識で自動的に習慣のパターンに巻きこまれているのと
それに気がついて、自分に目覚めて見守り、ガイドしてるのとでは
なんとまったくちがう質であり、差の大きなことか。。

何度でも繰り返し忘れては、思い出す。
ショックがないと、変わっていくために歩めない。

くるしみはどこからくるのか?
それは見ないふりしてた自分の過去のパターンから。

痛いけど、めんどくさいけど、触りたくないけど
そこをしっかりお手入れできたら、見違える。
だから自分のお掃除クリーニングするんだよね。。

やる前は気が重い。
でも、やり終えたら、とことん気持ちいい!

気持ちよさのご褒美と、気持ちの重いまんまと
どちらを選ぶか?

未来はえらべる!ってほんとだな。。


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2011年10月28日金曜日

大人への階段?? いのちの階段?


さっき、ふと気がついたこと。

わたしには少し前まで(今もまだ名残があるかな…)
自分の生命なんだから、どうしようとわたしの勝手でしょ!
と、やさぐれた思いが大きく深く染みついてた。


あ、でも、それってほんとの生命の真実とはちがうな、って気づいて
じゃあ何だろう?って聞いてみた。

わたしの生命は、わたしの勝手になるものじゃなくて
わたしの責任とともにあるものなんだ、って。

そのことに、うっすらと夜明けの光のように出会って
じわりじわりとハッとさせられているところ。
そういえば、ずっと前に恩師のキャシーから
大人とは、自分の選択の責任をひきうけるということよ
って教えてもらったことがあった。。


わたしはこれまで、どんな風に自分の生命を扱ってきたのだろう
自分の生命をいったいどんなものだと思ってきていたんだろう
って思って、今までの何かが抜けていっている。

なにかが変わっていくここからのはじまり。
いったい何だろう。。

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思いつくままに書く


今朝はひんやりしてる。
ちょっと椅子に座ってるだけでお尻が冷えてしまうから
朝ごはん軽く食べて生姜湯飲んだら、布団にまたすべりこむ。

だんだん自分のからだが、赤ちゃんのベッド仕様から
赤ちゃんのごはん仕様に変わっていくんだなぁっていうのが興味深い。

女性のからだは面白くて、やさしく強くうつくしい。
なんてよくできてるんだろうって感嘆してしまう。
自分も女性なのに、まじまじと未知に触れるように観察してしまう。
女性のからだに生まれたのは、それを観察体験するためなんじゃないかと思うほど
わたしは自分をふくめ、女性の神秘性にわくわくする。

同様に、男性のからだも未知ですばらしい。
ちゃんと女性と和合できるようにできていることも
女性とはまったくちがう生理や機能が働くようになってることも
かたちや質のちがいもなんてよくできているのだろうと感心する。

からだって本当にアートだなって思う。
文句なく、すばらしい。

それなのに、どうしてそのことをいつも忘れて
自分を大切にすることや、からだと一緒に居ることを
置き去りにしたり、自分から取り上げてしまうのだろう。

もっと味わい、自分のからだを受けいれることを体験したい。
自分全体が溶け合うほどのよろこびはないから。

そこからものごとをはじめられたときの
あの圧倒的な鮮やかさで世界を生きたい
自分の生を生きたい。

からだに宿り、自分が生まれたのは
何よりもそのためなんじゃないかと感じる。

もっと深く、もっと純粋に、そう生きられたら。

わたしがわたしであることの理由のひとつは
そんなところにある気がしてる。


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2011年10月25日火曜日

色々あるね


妊娠してから、妊婦本ちょこちょこ読んだり、話を聞いていて
妊娠するとホルモンバランスの変化が激しいから
感情や思考も体調も揺れますよ、とか
過去の記憶や感情と向き合うことになりますよ、とか
あったけど、そうなのか~ っていうくらいでした。

のだけれど、やっぱり色々でてくるものだなーと。

自分もそうなのだけど、夫とかお互いの親や家族も
みんなそれぞれに、新しい生命が生まれてくるのに影響を受けて
そわそわしだしたり、元気になったり、背負い込んだり。

そうやって、色んな自分が出てきてはびっくりしたり
途方に暮れたり、力がでたり、つかれちゃったりしながら
それぞれに、宿題みたいなものを消化してるのだろうか、なんて思うのです。

ついつい、そんなお互いのプロセスの渦中に出会うと
回ってる駒同士がぶつかり合うみたいに弾きあって火花散らしちゃったり
遠くまで弾き飛ばしちゃったり、飛ばされちゃったり
ムキーーー!ってなることもあったりするのだけれど
自分も相手も今は激動のプロセスにいるんだ、とわかって見られたら
そうして、それをお互い経過するのに必要なプロセスをゆるせたら
もう少し回る速度もゆるやかに落ちついてきて
止まってゆく駒同士が隣に寄り添うみたいに
だんだん自然に仲良く居られるようになるのかもしれない。

色々きつくなっちゃうときがあることも、そんな自分も相手も
そうなっちゃってぶつかりあっちゃった過去のできごともみんな
離すもんか!と握りしめては、コントロールしようとするのをふとやめて
ただそっとやさしく見つめなおして、向き合いなおせたら。

まだその段階にないことも、もうそうなれていることも
同じようにとなりにあることをゆるせたら。

ただそう思うだけで、呼吸もゆっくりに
筋肉の張りもやわらかに、ホッとくつろいでくる。

そんな速度ややわらかさから、もういちど触れてみよう。
なんどでも、なんどでも。


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2011年10月13日木曜日

何かをどうしてもやめられないとき


カラダとなかよく きもちよくSudio Saltia*の オカナオです。

さきほど、お休みのご案内を載せたばかりですが
書けるときにちょこっとずつだけでも。。

過日、何人かの方から同様のテーマで質問がありました。

「何かをどうしてもやめられないとき、どうしたらいいでしょうか」
「思う通りにいかないとき、自分をどう扱ってあげたらいいでしょうか」

それぞれに細かい内容は違うものの
自分と対象との関係性に関してのテーマ
としてみると共通です。

わたしの書くことは、今のわたしの考えなだけで
わたし以外の人にとってのこたえとなるものかはわかりませんし
明日になれば、わたしにとっても変化しているかもしれません。

そのくらいのつもりで読んでもらえたらなぁと思います。


何かをやめられないとき、というのはわたしにもあります。
過去の自分を振り返ると、特にいろいろ出てきます。
その中から、今は脱したものを振り返ってみましょうか。

では、その例のひとつとして、パズルゲームをあげてみます。
(ゲームを、それぞれのやめられないものにあてはめてみてください。)

わたしは以前、パズルゲームが大好きで
始めたら最後、よほど気をつけていないと
暇さえあればずっとパズルゲームをしている
という状態に陥っていたことがあります(笑)。

朝起きたら、眠気覚ましにゲーム。
電車に乗ったらゲーム。
待ち時間はもちろんゲーム。
料理の合間にもゲーム。
ご飯を食べ終わったらゲーム。
お風呂あがったらゲーム。
眠くなるまでゲーム。
でも、眠くならないからゲーム。
眠くならなくて、気持ち悪くなるまでゲーム。

そんな有様で、今思うと、よくそんなにやってたなー
と笑ってしまうくらい、はまりこんでいました。

じゃあ、やめようと思っていないの?意志の力は?
というと、やっぱり自分の中にはあるわけですね。

ほんとはもっと有効に時間を使いたいのに。
ゲームするよりも、もっと大切なことをしたいのに。
自分が気持ち悪くなるほどゲームなんてしたくないのに。
ゲームおもしろいけど、ほんとはどこかでうんざりしてるのに。

と、~なのに・・・ のオンパレード!

自分がなんでそれをやってるのか。
ほんとはどうしたいのか。
今、どんな状況で、それを自分はどう感じてるのか。

ただジャッジしないで観察できるようになってから
こういう状態から抜け出しやすくなりました。

というわけで、この状態になって卒業できたのは
アレクサンダーの先生になってからの話で
つい最近のことだったのですね。


でも、そのおかげで、とてもよいことがわかりました。

それは、自分の状況がどうなっているか観察するのにも
自分が本当はどうしたいと思っているのか知るときも
自分がその状況に関してどう感じているのか気づくときも
その状況でも、ただ「そうかー、そうなのかー」と観察すること。

つまりは、観察することに、批判を一切はさまないで見ること。
ただありのままに見て、ありのままにうけとって
自分がほんとうはどうしたいか、ということにYESを言うこと。
そして、それにYESを言うことを自分に許してあげること。


わたしたちはどこかで、認められていない、とか
自分は許されていない、とか
自分で自分に判定を下してしまいがちだったりします。

そうして、自分を押しやってしまうことが
状況をありのままに見てあげられないこと
また、そこから生じるあきらめや自暴自棄さなど
自分を大切にしてあげられない状況を生み出します。

そのことに気づいたら、ふと立ち止まって
ただ、少しだけ自分にちょうどよい距離をもって
しずかにそっと自分を見つめてあげてください。


自分を罰する必要も、押しこめる必要もありません。
ただ、そうしてしまってきた過去の自分のやり方をゆるしてください。
それは、あなた本来の姿ではなくて
その時はそうするよりほかの方法を知らなかっただけなのだと
ただ、そのことを知って、ゆるしてあげてください。

あなた本体は、もっと深く、ずっと揺らぎないところにあります。
わたしたちはいつも、そんな自分自身を忘れてしまいます。
だから、ふと立ち止まって、自分を見つめる必要があるのですね。

だから、ゲームはわたし、わたしはゲーム
という同化状態に本当はならなくてもいいのです。

今はただ、そういう状態の自分が自分ではないこと。
それは自分の選択してきた古いパターンであること。
それは、これから自分が意識的に選択すれば変えられること。

それらを知っていてください。

まずはそこから、あせらずにじっくりと。

時間のかかる自分を、自分のプロセスを
そっと見守ることをゆるしてあげましょう。

今日はここまで。。。



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お知らせ


カラダとなかよく きもちよくSudio Saltia*の オカナオです。

ただ今、体調が安定しないため自宅安静となっており
東京、大分でのレッスンやワークショップを
急きょお休みさせていただきます。

ブログ更新も今しばしできないことをどうぞおゆるしください。

みなさまも、季節の変わり目ですので
どうぞお体あたたかく大切になさってください。。
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