問題を自分と同一化していないので、解決することができる。
という、前回の『学ぶことは気がつくこと』の続き、
どうやってそれを学ぶのか?というテーマ。
まず、第一に、「自分」 と 「同一化している問題」 を認識させてくれる
鏡(自分の姿を映して見せてくれるもの)が必要です。
例えば、「問題」 を わかりやすく 「食べこぼし」 としてみましょう。
意識を払っていたり、鏡がなければ、気がつかない食べこぼしがあって、
だれかが指摘してくれたり、鏡やカメラチェックできたら、気がつくことができて
その食べこぼしを拭いて、きれいにすることができます。
でも、その前に、初めての人に、食べこぼしのついた自分で会ってしまったら、
その相手は、もしかしたら、それがいつものあなただと思って
その印象でずっと後まで見てしまう(!)こともあるかもしれません。
(これも同一化のしわざですね。)
これが食べこぼしの話だから、まだ笑い話で済んでしまいそうですが、
そうではないテーマだと、ドキッとしてしまいそうですよね。
さて、ここで、「問題」 と 「自分」 が同一化されているとき、
食べこぼしの例のように、鏡やカメラチェックできない場合、どうしたらいいのか。
それは、同一化されている、という状況に気がつくことができ、
それがどうなっているのかを紐解きながら、指摘ができる、
もしくは、あなたが自分で気がつけるように助けてくれる何かが必要ということです。
その何かのひとつが、アレクサンダーテクニークであり、
アレクサンダーの教師がレッスンで提供していることでもあるのですね。
多くの場合、それは身体の「問題」やパフォーマンスの「問題」に特化されますが、
そこを深く掘り下げていくと、その人の持つ考え方、信念、思い込みなどとつながります。
アレクサンダーテクニークを生み出したF.M.アレクサンダーが、
『 心 (意識) と 身体 は ひとつ のもの。 』 と言っていたのも、
徹底的に自分を観察しつづけ、多くの人を教えてきた結果、
何かを「するぞ」と思った瞬間に、筋肉が縮まる(力む) ということに気がついたから。
もし、うまくいっている場合は、「余計な力み」が入っていないということ。
( 「問題」 が、ない。)
もし、うまくいっていない場合は、余計な力みが入っているということ。
( 「問題」 が、ある。)
そして、そのときの 「問題」 とは、
「余計な力み」 と、「しようとしていること」 が同一化している、ということ。
だから、うまくいかなくなっちゃってるだけで、
そこを整理して、必要な力みだけにしてあげると、うまくいくのですね。
そんなことを、アレクサンダーテクニークのレッスンでは、
身体の感覚のスイッチをONにして、自分で気がつけるようになる
つまりは、力みに気がついて、やめていくことができるようになって
同時に、必要な力みだけに集中していかれるようになる練習をしています。
と、書いてみると、すごいですね、アレクサンダーテクニーク。
解説してないで、自分でもっと色んなことに使ってみようと思ってしまいます。。
次回は、なぜ先生に教わるのか、ということを書いてみたいと思います。
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