2014年7月30日水曜日

どうやって学ぶのか



問題を自分と同一化していないので、解決することができる。


という、前回の『学ぶことは気がつくこと』の続き、

どうやってそれを学ぶのか?というテーマ。



まず、第一に、「自分」 と 「同一化している問題」 を認識させてくれる

鏡(自分の姿を映して見せてくれるもの)が必要です。



例えば、「問題」 を わかりやすく 「食べこぼし」 としてみましょう。

意識を払っていたり、鏡がなければ、気がつかない食べこぼしがあって、

だれかが指摘してくれたり、鏡やカメラチェックできたら、気がつくことができて

その食べこぼしを拭いて、きれいにすることができます。



でも、その前に、初めての人に、食べこぼしのついた自分で会ってしまったら、

その相手は、もしかしたら、それがいつものあなただと思って

その印象でずっと後まで見てしまう(!)こともあるかもしれません。

(これも同一化のしわざですね。)



これが食べこぼしの話だから、まだ笑い話で済んでしまいそうですが、

そうではないテーマだと、ドキッとしてしまいそうですよね。





さて、ここで、「問題」 と 「自分」 が同一化されているとき、

食べこぼしの例のように、鏡やカメラチェックできない場合、どうしたらいいのか。



それは、同一化されている、という状況に気がつくことができ、

それがどうなっているのかを紐解きながら、指摘ができる、

もしくは、あなたが自分で気がつけるように助けてくれる何かが必要ということです。



その何かのひとつが、アレクサンダーテクニークであり、

アレクサンダーの教師がレッスンで提供していることでもあるのですね。



多くの場合、それは身体の「問題」やパフォーマンスの「問題」に特化されますが、

そこを深く掘り下げていくと、その人の持つ考え方、信念、思い込みなどとつながります。



アレクサンダーテクニークを生み出したF.M.アレクサンダーが、

『 心 (意識) と 身体 は ひとつ のもの。 』 と言っていたのも、

徹底的に自分を観察しつづけ、多くの人を教えてきた結果、

何かを「するぞ」と思った瞬間に、筋肉が縮まる(力む) ということに気がついたから。




もし、うまくいっている場合は、「余計な力み」が入っていないということ。

( 「問題」 が、ない。)



もし、うまくいっていない場合は、余計な力みが入っているということ。

( 「問題」 が、ある。)



そして、そのときの 「問題」 とは、

「余計な力み」 と、「しようとしていること」 が同一化している、ということ。



だから、うまくいかなくなっちゃってるだけで、

そこを整理して、必要な力みだけにしてあげると、うまくいくのですね。



そんなことを、アレクサンダーテクニークのレッスンでは、

身体の感覚のスイッチをONにして、自分で気がつけるようになる

つまりは、力みに気がついて、やめていくことができるようになって

同時に、必要な力みだけに集中していかれるようになる練習をしています。



と、書いてみると、すごいですね、アレクサンダーテクニーク。


解説してないで、自分でもっと色んなことに使ってみようと思ってしまいます。。



次回は、なぜ先生に教わるのか、ということを書いてみたいと思います。


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2014年7月18日金曜日

学ぶことは気がつくこと

昨日書くはずが、一日あいてしまった、前回の続き。




前回は、アレクサンダーテクニークのレッスンで起こっている


「何をしたの!?」 と、思わず言ってしまいたくなる変化は


じつは 「何をするのをやめたか」 によって起こっている。


というお話でした。




そこで、それをもう少しだけ掘り下げてみます。



まず、「不必要な事をやめる」 には、


「不必要な事とは何なのか?」 ということを知る必要があります。




そして、同時に、それが何なのか、正体が分かったときに、


自分の中で無意識に起こっている反応に気がついて、


ただ、その、「どんなふうに反応してるか」 を知る必要があります。




つまりは、たくさんの「気がつく」というフィルターを通して、

自分を純化していくのですね。


そして、それが学びであるとも言えます。





なぜなら、

本当は「不必要な事」も、自分の一部だと思っている、


よく言われる、「自己同一化」 ということが、ここで起こっているので


「それは、自分がやっていることだから、やめることもできるのだ」


ということを、自分に気づかせてあげるのですね。




簡単な例をあげるなら、腰が痛い、という話。


わたしは腰が痛い。

わたしは腰痛持ちだ。



となると、ここで、わたしを認識する一部に、腰痛という要素が入っている。

わたしを構成する、ひとつの要素が腰痛、ということ。

つまり、わたし=腰痛のある人



でも、ここで、アレクサンダーのレッスンの認識の仕方に変えてみると、


じつは、わたしは腰痛になる自分のつかい方をしているらしい。

わたしは本来は腰痛がないのに、使い方の誤用で腰痛になっている。



わたし + 自分の使い方の誤用 = 腰痛のあるわたし

腰痛のあるわたし ー 自分の使い方の誤用 = 本来のわたし



つまり、問題(=腰痛)を自分と同一化していないので、解決することができる。




そのことを、言葉を介さずに、体感から認識することが、

アレクサンダーのレッスンでの学びの醍醐味といえるでしょうか。



次回は、どうやってそれを学ぶのかについて、です。



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2014年7月16日水曜日

今あるところからはじめる




ずーっとくりかえしてきてるのに、何度でも、忘れちゃうこと。


それは、「今あるところからしかはじめられない」 ということ。



今あるところからしか始められないし、始まらないのに、

それをすっとばして先に行こうとする。

そういう癖が、無意識の行動 = 習慣になってしまっている。



アレクサンダーテクニークでは、そういうのを、

エンドゲイニング(End Gaining)なんて呼んでいて、

和訳すれば、結論を勝ち取ること、ですが、

ニュアンスとして、結果を急ぐという感じでしょうか。



End ①終わり、最後 ②端 ③境界 ④結末
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/ej3/27892/m0u/end/

Gain ①…を勝ち取る ②…を説得する ③…を増す
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/ej3/34643/m0u/




なんでも、今ここにある足もとのことを忘れて、目先に飛び込もうとする。

そういう風になってるとき、たいてい、


・ 首をすくめて

・ 肩は上がり

・ 呼吸は浅くなり

・ 筋肉を必要以上に収縮させて

・ 心身ともに、力み過ぎている


ということが起こっていたりします。




そして、それが、多くの場合、

混乱やうまくいかない結果を生み出してしまうのですね。





では、それを超えて、すっきりうまくいく!にするには、どうしたらいいのか。




それは、


「自分の足もと、手もとにあるものがどうなっているか」


「今、自分自身と周りにあるものがどうなってるか」


ということを、「思い出す = 気がつく 」 だけで


さっきとはまったくちがう結果が展開されていったりします。





ただ、「今」 の 「自分」 と 「ここ」 にあるものに


意識を向けた」 だけ!


なのに。





もう、それは、するするする~~~っ と簡単に起こるので、

アレクサンダーテクニークのレッスンを受けている方は、面白いほどみな口を揃えて


「魔法みたい!!」、「今、何をしたんですか!?」


と言われます。


(わたしもよくそう言ってトレーニングしていました!)




でも、レッスンを教える側は、じつは特別なとこはなにもしていなくて、

していることは、ただ、


「不必要なことをやめて、自分を思い出すだけ。」


なのです。




おそらく、アレクサンダーの先生方は、みなこれをしています。


だから、ほんとうは、


「何をしたの!?」ではなくて、


「何をするのをやめたの!?」


なのですね。




明日は、このことを、もう少し掘り下げて書いてみたいと思います。




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2014年7月15日火曜日

学ぶこと

久しぶりのブログです。

今日は学ぶことと、そのプロセスについて書いてみようかと思います。



いろんな場面で、学びが内側から起こったとき、

それは、同時に、内側での崩壊が起こっているとき、でもあります。



アレクサンダーの恩師たちはよく、「学びには混乱がつきもの」

と言っていましたっけ。




それは、なぜか。

「学び = 新しいものに出会うこと」

であるからこそかもしれません。




アレクサンダーテクニークのレッスンでは、それが

「からだの中の感覚」でおこなわれます。



それは、今まで使っていた神経回路を経るのをやめて、

新しい、「まだ使ったことのない神経回路に踏み出す」からです。




だから、「なんか、へんな感じ!」というのがやってきます。

慣れていない感覚の「居心地の悪さ」から、

感覚的な評価が、誤作動してるように思うのですね。




だから、アレクサンダーテクニークで「へんな感じ!」に出会ったら、

「今は新しいことを学んでいる証拠!」

ということになります。




もしかしたら、日常でも「へんな感じ!」に思えるできごとに出会って混乱していたら、

何か新しいことを学んでいる最中かもしれませんね。




自分が今どんな状況にあるかがわかれば、もうそれは混乱ではなくなり、

「新しいことを学んでいるのだ」ということを学んだことになる。




うーん、かくも神経回路はフクザツなり??




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