2010年5月20日木曜日

カナダ旅行へ

今月末から来月上旬、カナダに旅行しにいきます。行き先は、モントリオール、ケベック、ストラットフォードの予定。ケベックでの夫の研究発表にくっついて観光&遊学(?)してきます。


なにより、カナダは初訪問。初めてのところはドキドキします。じつはとても小心者なので、ワクワク♪よりドキドキ!が大きい!!

旅行に行くだけなのに、未知をこんなにも怖がるわたしって(笑)!!未知なことほど不安や心配を持ち出したがる過去のくせに気がつくほどに、そのこわがり方の一生懸命さが愛らしくて笑えてしまう。


20歳そこそこのころは、怖いものより好奇心が大きかったけど、もしも、わたしの中で年を重ねることが好奇心を小さくするものだとしたら、そんな年の重ね方はしたいと思ってないんだよ~~。。と自分に主張。

と、こんなことの中でも、自分のパターンがわかるから面白い。


さて、未知のおそれをわくわくに変容させるためには、その先で何をしたいかの望みを見つけることが重要!!

というわけで、ひとつは街の景観を眺めて歩くこと。もうひとつは、ストラットフォードで演劇祭を見ること。http://www.stratfordfestival.ca/OnStage/productions.aspx?id=9102&prodid=31464#nullそれから、アレクサンダー・テクニークのレッスンを受けてくること。なんていう目的を見つけてみました。


なのですが、それだと楽しみでもあるんだけど、若干喜びのパンチが足りていないような感覚が。。。

それなので、自分でも調べてはいるところなのですが、もしよろしければ、食事や観光、遊びのアクティビティなどの楽しみで、モントリオールやケベックでおすすめがありましたら、ぜひどうぞ教えてください :)

ふたりで楽しめるのと、ひとりでも楽しめるのと、どちらも歓迎しています♪


それにしても、ケベックはフランス語圏で英語は通じないそうな。どれだけ通じないか行ってみないことにはわかりませんが、通じない中でも、どれだけ通じるかを楽しんでみたいと思います。


ふむー、書いていて、より楽しみになってきた!!やっぱり自分の持ってるエネルギーを創造的=建設的に方向付けていってあげるって大事だな~。未知だったりして不安があっても、こうやって自分を楽しくしていく工夫をしていってあげよう。

旅のプロセスも自分の可能性を開いてあげるツールだなぁ。準備と旅行、どちらのプロセスも楽しみます!

2010年5月19日水曜日

「できる」と「できない」

このところ、「できる」と「できない」について気づくことが多いです。

自分が今できないことって、自分にはできないと思った結果なんだなって。自分が今できることは、自分にはできるかもと思ってやり続けてきた結果なんだなって。


当たり前のことに感じるかもしれないけれど、これってわたしには大きい気づき。なぜなら、過去の自分が自分の可能性を「できない」に方向付けてあきらめたり放棄した結果、今のわたしにはできないという現状が表れている。

だから、できるかできないかすら考えもせずやってきたことって、当たり前にみんなできていることがあるはず。たとえば、日本語(母国語)を話すとか、お箸や鉛筆を使うとか。(違う文化圏の人からしたら、未知で難しく思える。)



わたしは、じつは自転車に乗れません。なぜなら、こどものときに、わたしは自転車に乗れないんだって決めちゃったから。それで、乗る練習をある時期から放棄しちゃった。兄の友達が自転車で事故にあったりして、こわいなって思ったり、坂と車が多くて危ないし、運転が難しくてこわかったから。

その結果、今は移動のために自転車には乗れません。私にとっての自転車は、試しに乗って少し進みながら「ひゃー!こわいこわい!」って言うアトラクション(笑)。



もうひとつのたとえば、英語。ある人は意識することなく使える。ある人は「無理無理!」って見ただけでも拒絶。

でも、これも、無理だったんじゃなくて、やってみて面白いと思う機会がなかっただけなのかもしれない。得意と苦手の分かれ道って、そんなところにあるように思います。



それなら、自分がやりたいのにできないって思ってることや、今できないことは、これから先もできないとは限らない。ためしに興味のあることでやってみたら、できるようになるかもしれない。

できないと思ってやったら、うまくいかなかったときに「やっぱりね」って思う。はじめから、自分のことも、周りのことも信じることもないし、気持ちも身体も尻込みしてるから、いつでも逃げ腰。自分の中身が入ってなかったら、やっぱり頼りなくって間が抜けちゃう。


でも、よくよく考えてみたら、未経験や経験途上の場合ってうまくいかなくても仕方ない。体験することでデータを集めて、次はどうしたらいいかなって材料にできる。だから、うまくいかなくても、何も落ち込んで自分や状況を責める必要なんてない。ただ、次に向かって、何がうまく行かないところで、どうしていきたいか、それがわかるように見直してあげたらそれだけでも勉強になる。だから、なんであっても落ち込む必要なんてないんだよね、本当は。ただ、建設的に「今回のことをふまえたら、次にはどんなことができるか」それだけを考えて準備したらいいだけ。


だとしたら、はじめから結果を限定して「できる」とか「できない」とか「失敗」とか「成功」とか考えて、自分や起こる出来事を狭めなくてもいい。ただやってみて、それが人と違う方法でも、状況でも今できることから始めたらいいだけ。どれだけの時間や労力がかかるかなんてわからないけれど希望を思い出して、ただやってみたらいいだけのこと。



だから、現状を見て「できない」とか「失敗」だとか思ったりあきらめてしまう必要はなくて、自分の希望に従ったほうがいい。そうして、いっぱい経験を積んで、これは自分にとってOKで、これは自分にとってはNGなんだな、っていうことを理解できたらいい。それが人とまったく同じになる必要なんてないし、特別に違っている必要もない。自分の素直なところを、自分が理解して行動に反映してあげられたらいいだけ。

ただ、これ!と希望の方向性を決めたら進んでみること。それが自分を「できる」に導いてくれる道しるべだなってこのごろ思って、今ちょうど新たな実験をしています。

その実験のことは、また後日。

2010年5月13日木曜日

身体に生かされているわたし

先日やけどをしてから、2週間くらいたちました :)

沸かしたての熱湯をかぶった皮膚はやけどとなったのだけれど、やけどや日焼けをするといつも皮膚がちぢむので、お肉と同じように、皮膚もたんぱく質でできてることを実感します。笑


今回、皮膚がめくれ上がったり、水ぶくれになったところにホメオパシーのの蜜蝋クリームを塗ってガーゼと包帯で養生しているうちに、下からだんだんと新しい皮膚が出来上がってキレイに回復しつつあります。(使っていたのはこれ↓)
スパジリックビーCクリーム


怪我をすることは身体の一時的不自由を伴うのですが、せっかくの怪我なのでどうやって回復していくかの過程を観察して寄り添うことで、いつも何の気なしに使っている自分の身体がどれだけ働き者だったか、自分の意思と寄り添っていても、自分の意思と関係ないところでも、いつも休まずに働いてくれてることに改めて感心&感謝。。。

今回の怪我が、皮膚という自分からも見える場所だったので、皮膚が日に日に再生していく様子を観察できたから、そんなことを想ったのかもしれません。もし、これが骨だったり内臓だったりして感じることはできても見えない場所だったら、また違ったことを観察していたのかもしれません。

こうやって回復の過程を身体から見せてもらうことで、今のこの機会が自分の身体への信頼関係を深めるためにあるんだと思えたら、なんだか自分の身体がいじらしくて可愛いパートナーだって思えるから不思議です。。

いつもはまったく気にもとめていないけれど、ほんとうに自分はいつでも身体に生かされている。なんて身体は賢いんだろう。わたしは身体に色んなことを教えてもらおう。

アレクサンダー・テクニークで骨のマッピングをするけれど、痛みがある場所は『そこを意識の中に入れて大切にしてあげて!』というサインなので、それを受け取って活かしてあげながら日ごろから身体への気づきを拡げていってあげたら、自分の全体がもっとうまく機能してくれるようになりそうです。

骨のマッピング、内臓のマッピング、筋肉のマッピング以外に皮膚のマッピングもしてあげると役に立ちそうですね。

これを機に、観察をつづけてみます。

2010年5月8日土曜日

今日の「ねがいのオーダー ワークショップ」

今日の「ねがいのオーダー ワークショップ」
本当に特別な楽しい時間となりました。



心躍るって、そうそうそう!こんな気持ちだった!
って、制限なしに自分の可能性を解き放てた時間でした。



わたしたち誰もが、本当はねがいを叶えることが上手な魔法使いなのに
ほとんどの人がそのことに気づいていないのが、面白いところ。

気づいた人からいち早く楽しんで使いこなして
魔法の使い方を伝えていきましょう :)



今までと、3日前に浮かんでいたイメージと理解が
それぞれこのためにあったのかと腑に落ちるできごとも!

自分の直感と肉体とエネルギーや想念の使い方も
今回のワークショップではクリアにしていくようになってるし
楽しみや喜びの笑い満載ですごく愉快!



今日は、そのポイントを一緒に学んで
宇宙とつながる人間の意識のしくみも押さえられたし
ねがいをオーダーする準備は完璧!!

これからどうなっていくのでしょう!
すごくすごく楽しみです。



水曜コースは12日からスタート!
http://www.saltia.jp/set_workshop.htm

2010年5月7日金曜日

Twitterやってます

このところ、ツイッターを楽しんでいます。
http://twitter.com/naooka
携帯からつぶやけること、140字の手軽さがいいなと思います。

文章を書くことと同時に
思考の整理をつぶやきながらしています。


ツイッターは
すてきな友だちとのコミュニケーションから
新たな考えや在り方に触れることができる
新しい可能性です。

実際のともだちとは
身体を伴った実際のコミュニケーションを下地にして
バーチャルコミュニケーションで
時間や場所を越えてつながることができる。

まだ見ぬ人とは垣根を越え
バーチャルのやり取りがきっかけとなって
身体を伴い実際に赴いて出会ったり
新しい体験の可能性をひらくことができる。


新しい時代は、これまでの概念をびゅんびゅん飛び越える。
縦横無尽に制限から自由になっていく可能性。

けれども、わたしたちが人間である限り
身体は置き去りにしてしまうことはできない。

テクノロジーの進化ぶりと
人間の肉体というアナログさの不変ぶり。
それがこの時代を生きていることの面白さなのかもしれない。

このギャップを楽しみながら
自分を通して体験できることを味わっていこう。

2010年5月1日土曜日

わたしの素は

わたしの素は、わがままだ。
そして、自分勝手で自己中心的だ。

それに、エゴイスティックで、サディスティックだ。

だから、ときに意地悪ぶりが出てしまう。


どれも重なっている意味にも思えるけど
わたしにはちょっとずつカラーがちがって
そのどれもがあって、自分の傲慢さをつくりだしてる。



それに、忍耐だって、そんなものはわたしにはない。
思いやりだって、そんなのほんとはどうだかわからんて!

どうしようもないくらいに考えなしだし
理性も常識も経験もないんだわさ。

やさしいなんて言われたって、きっとほんの気まぐれだし
わたしはものすごい気分屋のいい加減なやつなのだ。



そんなの、ずっと認めたくなかった。
そんなこと、ずっと認められなかった。


でも、実際そうなんだもの。

それがわたし。
ごまかしてつくろってみたってしかたない。
しっぽがでててばれてるよ。



今までずっと罰して退治しようとしてきた
わたしの一部の好きになれなかったところ。

憎むべきもので、ゆるすべきものではない
そうずっと思って敵対してきた。

でも、じつは大事なことを伝えたり体験させたりしてくれて
そういう自分が居ること自体がわるいんじゃないってわかってきた。

うーん、頭で知ってたけど
わぁ、そういうことか~!って体で理解できたというか
今の自分にしっくり馴染めるようになってきたというか。

いや、わかってたんだけど、ひっかかってたというか。

ゆるしちゃいかん!みたいな変な意地というかこだわりというか
そんなのがずっとしこっていたんだね。

変わってしまったらバランスが崩れて今までと違ってしまうから。
未知はこわい、死んでしまう!ってね。



でも、よく考えてみたら
悪いとこ、まったくないひとなんていないしね。

悪いと思っちゃうとこあっても、悪いって思える良心あるから
そういう風に思えるんだし、それって客観だよねぇ。

いいひとだって、悪いことぐらい考えちゃうこともあるだろう。
ただそれを表に現さないのが上手なだけかもしれない。

演技のできるパフォーマーは
失敗してもそう見せないワザに長けているのと同じだね。



今、完璧じゃなくていいのにね。
しみ一つない完璧をめざしてもきりがない。

ほんとはそうじゃないのに
そういうふりするのはもう疲れちゃうよ。

そもそも、そうじゃないんだから
ずっこけてるくらいで等身大。

自分も楽で、まわりも楽で
楽しみながら喜びを生み出せたらどんなにいいか!



そういえば、することによってひとは評価されるから
より多くのことをしなきゃいけないんだ!
って背負ってたけど
それ、下ろしちゃっていいんじゃない。

もっと楽しみながら
夢中でやっちゃうことに飛び込もうよ。



もっと楽しくて、もっと愉快で
もっと自由で、もっと愛と笑顔に満ちあふれてる
そういうところを求めてたんだったな。

深刻さ、真剣さはもう充分足りてます。

だから、遊び心と取り組もう。


道化が知恵の一番すぐれた人
というのはシェイクスピアのはなしの世界。

わたしは、それをめざしてたんじゃなかったっけ?

人間として、道化のように知恵を笑いと喜びに包んで出す。


まじめにふざけるー!!
ふざけるのにだけはまじめなんだから!!

そう言われてしまいましょう。


喜劇のこつは、真剣に馬鹿になりきること。
大まじめに阿呆であること。

それが好きだったのにね。



がんばりすぎて、忘れてた!
ちょっと寄り道のつもりでまっすぐ来すぎた。

もっとくねくね、ふざけていこう!
大まじめにいい加減に!

まずは、毎日、尻もじから!!


阿呆すぎて感激されるくらいのばあちゃんめざして。

自分に甘くやさしくね

数日前、やっぱりそうですか~。。な怪我をしました。


久しぶりのガツンと来た出来事からのメッセージ。
またもこんなに痛いの来たか!な中くらいサイズのやけど。
って言っても、5センチほどの円形にべろんと皮がむけて
10センチくらい周りが赤く水ぶくれに晴れ上がったくらいですんで良かった。
(最悪を免れたら、それだけでもうラッキー。。。!)


たまたまカップにお湯を足そうとした旦那ちゃんが
水筒を傾けたら鉄砲水のように熱湯が飛びだして
なんとノートPCとわたしの左ひじに直撃。

こういうときって、瞬時には起こったことを理解できなくて
あれ?おかしいな?ってだんだん思えてくると
状況の理解と痛みなんかの不快な情報がじわりとやってくる。


で、そこからがパニック。



きゃー!いたいよう!
袖脱げないからハサミで切って!
はやく!はやく!
えーーーん!!
いたいよー!あついよー!



という具合で。
(って書いてたら、戦火に焼かれた人の辛さに少しだけ想像が。。
苦しみと痛みから昇華されて魂が光に帰っていかれますように。。。)


パニックだから、旦那ちゃんに「うぎゃー!」って怒って
ホメオパシーのレメディー!とか叫んで
うーうーいいながら、アーニカのレメディを取って。

旦那ちゃんもネットで調べてくれて(ありがとう)
カンサリスが火傷にいいということで切り替えて
少し落ち着いたら、カレンデュラのビーワックスを塗って
ラップを貼ってテープで止めてもらって。
(↑ホメオパシーの火傷処置+湿潤療法)


ひりつきがおさまらないので
未開封のこんにゃくを患部にあてて
ゆっくりしていました。



それにしても、なんでこんなことが起きたかなぁと思ってみたら

もっとゆっくりしてのんびり自分を大事にしてもいいのに
何もないと用事を詰め込んだり、何かしなきゃいけない!
って潜在的に思ってる無意識の「くせ」に支配されてたから
怪我でもしないと、こいつ(←わたし自身)、だいじなこと理解できないな・・・
という自分への反省とともに

まぁ、そう慌てずに、のんびり休んで
何もしてない自分にも甘くやさしくしてあげなさい

と言われちゃってるんだ
とわかって、がーん。。



まだまだもっと自分に課していた変な思い込みややり方なんかの
制約になってるもの外しちゃっていいんだ!

わぁぁ、まだまだですかい、びっくりだ。



がんばるという概念とか、今までの思い込みややり方を
ほんとにフィットして感じられるように書き換えるんだな。。
ひょえーーー。




というわけで、自分に甘くやさしくね、のメッセージを
半ば強制的に実践させてもらうこととなりました。。

おかげで、お姫様なみの待遇です!!
やった~~~!笑


これからまたじっくりマイペースな快適さを受け入れていくのが
楽しみな未知の冒険。


痛いのは嫌だけど、やってきてくれた体験は歓迎しよう。
火傷の治癒と一緒にしばらくの間、必要なことを受け取れますように。

:)

大分より

東京から25日に無事、大分へと戻りました。

東京でお会いできたみなさまに、感謝しております!
ありがとうございました!

大分へ戻って数日たちましたが、実は、ただ今ケガをしております。
というわけで、GWはおとなしく養生期間となってしまいました。。
それも、またよし!

しばらくネットにつなげずブログのアップも滞りがちだったので
これから遅れてアップすることがたくさんです。

連休中に全部書けるかな??