2010年3月20日土曜日

所有から分かち合いへ





昨日いちにち、「所有」ということについて
考えをめぐらせていました。



お金を所有する。

土地を所有する。

車を所有する。

パスポートを所有する。

権利を所有する。

資格を所有する。

財産を所有する。






それで、所有することとコントロールとが
深く結びついていることや

所有することと執着することが
深く絡み合ってること

そんなことに気がつきました。



そして

所有とコントロール、そして執着
それが結びついたとき

あらゆることが複雑化して
問題が生成されてしまう

ということにも。




それが、顕著に現れるのは愛情
つまりは人間関係。

その人がものごとをどう考えているのか
その在り方が最も出るのが
人間対人間のコミュニケーションなんだなって。




わたしが20歳くらいのころ、NHKの番組で
タイの母と息子のドキュメンタリーを見ました。

仏門に入り、僧侶になる息子と
その母のはなし。

その母である彼女は息子に対して

 「わたしはあの子を生んだ母親であるけれど
  あの子は自分のものではなく
  神さまからの預かり物だと思っている。」

と語っていたのが印象的でした。




日本やヨーロッパなど世界の歴史の古い文化では古い慣習として

 「子は親の所有物」
 「子供は父親の所有物」

という概念があったようだし


シェイクスピアの戯曲や色々な昔の物語で
よくそういった政略結婚などの展開が見受けられる。



現代の日本はその頃よりもずっと変わってきたけれど
人や世代によって根深い意識の中に
そういった概念が幅をきかせているかもしれない。


そうしてコントロールや執着と共に育つと

 「愛情とは、所有関係によって成り立つ」

と思ってしまう場合が往々にしてあるんじゃないかな。



たとえば、「彼女はオレのもの」とか
「彼はあたしのものよ」とか。

恋愛、親子関係、友情、そのほか色々な関係で
所有権争いをしてしまうのは、こういった考え方が原因。


もし、「所有」についての問題で
自分は苦しめられていると感じていたら

それに気づかずに同じことをくりかえし
苦しみつづけることもできるけれど

「所有」という概念を見直すことで
だんだんとその苦しみのループから抜け出ることも
できるのかもしれない。

少なくとも、わたしはそうだと思ってる。




現代のテクノロジーは、以前の所有することから
わたしたちを少しずつ解放してくれている面もある。

例えば、音楽はレコードやCDなどの媒体を必要とせず
音楽データをダウンロードすることで
持ち歩くことも可能にしてくれる。

また、本ならば、重く分厚い本のデータも
コンピューターなどに取り込めば
いつでも取り出すことができるし
データだけで利用するなら
印刷する紙のために森林資源を伐採する
自然破壊からも解放してくれる。


でも、アナログに、媒体を通しての手触りや匂いなどの五感で
ここにあるという安心感を味わえるのも事実。


それぞれに、良いところと惜しいところがあるとはいえ
所有から解放されることによって
自由が獲得されるのも事実。


これは、ものの片づけにも同じことが言えるかもしれない。

所有によって自分を満足させていくのか、どうか。




今、地球の環境や経済状況などから

 「自分が何を所有することを望むのか」
 「何を所有しないで分かち合うことを望むのか」

そういうことをだんだんと考える時代になってきているんだな
と感じる。

たとえば、カーシェアリングとかね。




きっとだんだんと分かち合うことがメインとなって
所有するのは一部の良く使うものだけ
なんていう風になっていくのかもしれない。

これまでが「所有」で奪い合う時代なら
これからは「分かち合い」の時代なのかな。

未来がそんな風に豊かに拡がっていくといいな。






41. 参加

あなたは、夜が去っていくのを見たことがあるかね? 毎日起こっているものごとにさえ気づく人びとは、ごくわずかしかいない。あなたは夕闇がやって来るのを見たことがあるかね? 真夜中とその歌を? 日の出とその美しさを? 私たちはほとんど目が見えない人たちのように振るまっている。こんなに美しい世界にいながら、私たちは自分たちの惨めさという小さな池で生きている。その池にはなじみがある。だから、誰かがあなたを引き上げたいと思っても、あなたは逆らう。あなたは自分の惨めさから、自分の苦しみから引き出されたくないのだ。さもなければ、まわりじゅうにひじょうに多くの喜びがある。あなたはただそれに気づき、観客ではなく参加者になればいいだけだ。
哲学は空論、禅は参加することだ。夜が去っていくのに参加するがいい、夕闇がやって来るのに参加するがいい、星たちに参加し、雲たちに参加するがいい。参加することをあなたのライフスタイルにすれば、全存在が素晴らしい喜び、素晴らしいエクスタシーになる。
より良い宇宙など、あなたは夢にも思っていなかったはずだ。


解説:

このマンダラの人物はそれぞれ左の手のひらを受け取る姿勢で上に向け、右の手のひらを与える姿勢で下に向けています。このサークル全体が途方もないエネルギー・フィールドを創りだし、二重の"ドルジェ"、稲妻を表わすチベットのシンボルの形を取っています。マンダラは、ブッダのまわりに形づくられるエネルギー・フィールドにあるような質をもっています。そのエネルギー・フィールドでは、統合され活気に満ちた全体を創造するために、サークルの一端を担っている個人全員が、それぞれ独自な貢献をしています。それは、花の各部分を合わせたよりも花全体のほうがさらに美しいと同時に、個々の花びらの美しさをも強めている、そういう花に似ています。ほかの人たちといっしょに参加し、個人それぞれが独りで成し遂げられるものよりもっと大きく、もっと美しいなにかを創造することに貢献する機会が、今あなたに訪れています。あなたが参加すれば、それはあなた自身をはぐくむだけでなく、全体に対して貴重ななにかを貢献することにもなるのです。