2010年3月15日月曜日

自分内クリアリング その2





色々自分の考えや気持ちを整理して
だんだんシンプルになってきたのかな。


少し静かに自分を休ませる余白が必要だなと思っていたら
体内クリーニングにいたるプロセスで
自分の全体的なエネルギーの調整もはじまってた。



ただ何か外のものに耳を傾けるのではなく
自分のうちに心を気持ちを傾ける。

風邪を引いたこどものように休ませる。



そして、自分の内側に流れていることばを聴く。

自分の気持ちや考えのこともあれば
そのどれでもないようなメッセージもある。

自分に対するジャッジも批判もすべて手放す。
ただ自分が気づいたことだけを受け取る。



そうして出てきたのは
わたしは自分が有限だとわかっていなかったこと。

つまり、自分の持てるものは無限だから
惜しんではならないと無意識で思っていたこと。


自分というのを言い換えれば

 ・ 自分の時間
 ・ 労力
 ・ 体力
 ・ お金
 ・ 気持ち(気遣い)
 ・ 表現(ことば、声)
 ・ いのち
 ・ からだ
 ・ 知恵
 ・ 情報

なんていうのが思い浮かんでは来るけれど。


なんにしろ、無意識に無限(いつでも手に入るもの)だと思ってたら
その価値なんてよっぽどじゃないと感じられない。

それってまるで、水や空気や平和みたいなもの。
価値があるのに、当たり前すぎて気づけない。



だから、わたしは自分に価値を感じられなくて
全てを出し切ってしまって疲れちゃってたんだな。

そして、出し惜しみすると罪悪感と気持ち悪さばかりが残っていたんだな。



それじゃあ、何かを受け取ることなんてできない。
ほんとはそこにあっていい循環がなくていいことになってしまう。

よく考えてみたら、わたしは人間だ。
この時代の地球の日本人として生まれてきている。

それって、今の地球の日本の社会のシステムとも
協調していってないと生きていかれないということでもある。




わたしは、仙人でも妖精でも神さまでもない。
ふつうの人間だ。

それって、生きていくのにお金が必要だということ。

それって、生きていくためにお金をやり取りしてもいいということ。

それって、自分を生かしていくためのお金を受けとってもいいということ。


人間だということは、物理的な助けが実際に必要だということ。
そんなこと、本当にぴんときてなかった!






そういえば
わたしは子どものときから
世の中のシステムがよく理解できなかった。

しかも、フクザツなことじゃなくて
世の中の人にごくごく当たり前なことが。


時間ってなに? なんでみんな同じ時間なの?

右と左ってなに? 左が右じゃいけないの?

距離ってなに? 自分がいることろが動いているだけじゃないの?

名前ってなに? なんで同じ名前なのにちがうのがいるの?

学校ってなに? どうして勉強するの?

英語ってなに? なんではなすことばがちがうの?

仕事ってなに? どうしてそんなに苦しんではたらくの?

生きるってなに? どうしてこんなに苦しんでまで生きなきゃいけないの?




だから、ずっとちんぷんかんぷんで
小学生になったときが大変でした。




つづく