2010年3月15日月曜日

自分内クリアリング その3





そんなこどもではあったものの
だんだんと理解できることは増えていって
結局理解できずに残ってきたのが
時間とお金と自分の労力。

どうも、ずっと有限じゃないと思ってたんですね。
まさか他のだれも、そんなこと思いもしないかもしれない。

それで今までこんなに、お金についてわからなかったんだな。




3月になってから自分の価値を受け入れる、受けとめる
そんなテーマがやってきていた。

それにともなって、しごとの料金についての考え直しのチャレンジがやってきた。

自分の本心はどうなっていて、何を伝えて大切にしたいのか。
ごまかしていることがあるなら改めるいいチャンス。



自分をいちばん最後にしておきたい。
自分は後回しでいい。

そういう染み付いて同化していた考えが浮かんできた。



その半面で

もうこれじゃ動けなくなっちゃうよ。
このままじゃ何もできなくなっちゃうエネルギー切れだよ。

そんな心とからだの声が聴こえてきてた。





だから


もっともっと自分を大切にして。

ゆっくりして。

ちょっと休んで。

甘やかしていたわって。


そんな声が聴こえてきていた。




これまで何度も自分の理性(アタマ)のコントロールが強くて
自分に鞭打たなければならない!とがんばってきた。

そのたびに、病気になったり、ケガをしたり
痛い目に遭ってさんざん懲りてきた。

だから、今回はその学習を生かすチャンス。




はい、自分をいたわります。

慈しみます。

自分の気持ちを表現します。





今までは、わたし流で相手を大切にしすぎた。
そして、気がついてもらえないとこっそり内側で泣いていた。

そして、そんなことにすら気づいてすらいなかった。




でも、自分をしずかに、からっぽにしてみるとよくわかる。



何が自分の望むもので
何が自分の望まないものなのか。




それがわかったのに、ほったらかしてごまかすのは
また振り出しに戻ること。

一体何度それを繰り返してきたのだろう。

他の人のご機嫌をうかがい、状況にたいしていい顔をし
自分の本心や体調を無視することを。





その傾向は、以前のわたしに比べてかぎりなく小さくなって
今はほとんどいつも快適な状況を過ごしている。

それでも、まだまだ工夫する余地がある。
お手入れする余地がある。


より自分が本心で生きて、本心で感じて
ほんとうのことばとからだで表現するために。



他人にどう思われようと、自分の本心にひたむきであること。

自分の持てるすべて、いのちに従順であること。

今開いている可能性にすなおになり続けること。

そして、それを自分のことばでしっかりと表現すること。




一見、都合の悪い、バツの悪い状況もあるかもしれない。

でも、それは今は一見そう見えるだけ。
長い目で見れば、ほんとはどうかわかりはしない。


災い転じて福となす、その心さえあれば何とかなる。


恥も罪悪感も脱ぎ捨てて、本当の自由を自分にゆるすこと。

自分の美学、哲学、大らかさをいきること。