2010年10月24日日曜日

新しい流れへのシフト

あたまをほぐすからだのレッスン
アレクサンダー・テクニークの Sudio Saltia* オカナオです。


この二日ほど、とても興味深い流れの中にいました。

昨日は、満月のせいなのか過去のネガティブ思考&感情をレビューした日。
今日は、自分が「こういうものだ」と思っていた過去の枠から外れた日。


今日は、ただ流れにまかせてついていっただけ。

なのだけど、代々木公園での青空ワークショップに
誰も来ないかと思ったら、ワンちゃん連れで参加してもらえたり(初!嬉!)

どんぐりスタンプラリーに参加できたり
シイの実をたくさん拾えたり(食べられる!滋味豊か!)

それで出会ったカワイイ大学生に誘ってもらって
すてきなピクニックに参加させてもらったり

アースガーデンで欲しかったものが買えたり
大好きな友だちにバッタリ会えたり

自分で許可したことに、現実が連動しだしたり。。。


なんだかほんとに
現実って自分が生み出しているんだなぁって
実感することとなった一日でした。


そして、昨日はほんとに、コントラストくっきり!
光と真っ暗闇くらい全く質の違う一日でした。

このところずっと、しあわせなことがどんどん増えていて
毎日もう、今死んじゃったとしても感謝できるくらい満足で
何しても「ありがたいありがたい」って言うおばあちゃん
みたいな心境&日常だったのです。

でも、昨日、ひっさびさに過去の自分の感情が出てきて
あまりのキツさに絶望感まっしぐらだったのですが、ふと
「うわ~、昔のわたしは毎日こんな状態でいたんだ~!」
と思い出して、その感情と今の日常のギャップにびっくり。

わたしもびっくりしながら
怖がる野生動物が落ち着くのを待つかのように
むかしのわたしを追体験しながら労っていました。


じつは、過去のわたしは
生きて死んでいたような状態。

物心ついた頃から無意識のうちに
環境や色々なまわりの大人たちとの関係の中で
自分をまわりの期待に合わせて行動する道具にして
いい子を演じるほど、いじめや事故、パワハラに遭って
学校でも家でも常に緊張している状態でした。

わたしを愛してくれた人はいたのに、それは部分的で
無意識にそれを感じていたわたしは
まるごと受けとめてもらえない=愛されていないのだと解釈して
孤独感と絶望感と疎外感でいっぱいになっていて
自分で自分を責めて、生き埋めにしていたんですね。

だから、ずっと生きていたくなかったし
死ぬほどの勇気も元気もなくて
自分が消えてなくなればいいのに
と、いつも思っていました。
(う~ん、切ない子どもだ。。)

その反面で
人はほんとうは幸せになるために生まれてきたはずで
どんな最悪に思える状態でも
すべてのバージョンの中で今の「これ」がベストだから
今起こってることが現実になってるんだ
という、根拠ない確信を持っていて
どうしたら生きやすくなるんだろう?
どうしたらしあわせになれるんだろう?
そう疑問を抱いて生きてきました。

だから、そのギャップを埋めるために
いつも空想ばっかりしている子どもでした。


思えば、そんな真っ暗ななかでも希望を持って
空想することと、ものを作ることだけが慰めで
そのおかげで創造性が鍛えられて
思考力と言語化での自己防衛が身について
今のしごとにとても役に立っている。。

つらい中を、喜びも見つけながら
ここまでいのちの無事をつなげてくれた
過去のわたしとすべての体験に
感謝と「愛してるよ、大丈夫」のハグをして
もう怖がらなくてもいいんだよって言ってあげられる。

大人になってみて
こんなに色んなものがゆるせるようになってきたよ
みんなそれぞれの精一杯の中で生きてきて
コミュニケーションがうまく行かなかったけど
そこにはちゃんと愛情ややさしさはあって
それがお互いに気持ちいいように表現できなかったんだよ
だから、もう悲しまなくても
自分やまわりを責めて絶望しなくても大丈夫だよ
ただそう伝えてあげられる。


それまで、どうしていいかわからなくて
そういうネガティブなパターンが出てきたとき
その暗さと重さに慌ててパニックになって
思いっきり感情が乱れて大変でしたが
じつはそれって過去のことなんですよね。

感情や思考は時空を超えてしまうので
過去の体験のものであったとしても
それが出てくると
それは今のことなんだ!と錯覚して
ものすごく不安になってしまう。

不安からまたパニックになって
どうしていいかわからなくてつらすぎて
どう表現していいかわからないまま人に当たってしまう。

それが、自分も、多くの人たちも
過去にずっとやってきて
世代を超えて連鎖してきてしまったパターン。


でも、そんなときに一呼吸して
それは過去のことであると気づいてあげることや
そのパターンをお客さんや子どものように客観視して
何も変えようとか、解決しようとせずに
言い分をひたすら聴くことでケアしてあげる
自分内カウンセリングに充分に時間をとってあげるだけで
変わってくる。。

自分のケアが充分じゃないと人のことができないし
自分のケアが不十分なときほど
自分の話や気持ちをただ受けとめてもらうことが必要。

ほんとうに深く癒すケアって
そういうところから始まるもの。。

そして、じつは
こうしてそれが理解できるようになってきたのも
すべては過去の体験があったおかげ。。。

つまり、それは関わってくれた人すべてのおかげでもある。。
そんな、おかげだなんて思えない奴もいっぱいいるよー!
っていうのも、ないとつまらい人生の景色かもしれない。

だれがいい人で、だれが意地悪だったとか
そんなことはどうでも良くて
物語のキャスティングのように
色んなキャラクターがいなければ
彩りに欠けてしまうのと同じことだったりする。

だから、にくたらしい~!嫌い!って思った相手も
実は、欠けてはいけないキャストだったりする。
わかっても、やっぱり苦手!って思うかもしれないけど(笑)
それは人間だから、その感情もスパイスみたいなもの。
ちょっとは刺激がないとつまらないかもしれない。


自分が本当に変わっていきたいとき
どうしても結果を目的にしがちだけど
結果は結果でしかなくて
ほんとの目的は、自分が自分の歩みを楽しむこと。

たとえば
感謝ができるようになることが大切なんじゃなくて
自然と感謝が湧いてくるようになるまで
自分を深くケアしてあげることが
自分の心のフィルターをお掃除することだし
掃除してきれいになるほど
喜びを見つけやすくなるから大切だということ。

そうやって、ご褒美をもらいながら
人はきっと成長していくんだろうな。
それはほんとに魔法みたいなプロセス。


今日のわたしに起こったことも
昨日のわたしが体験したことをただケアして
傷ついていた過去の自分がホッとできたからかもしれない。

内側からホッとくつろげたら
その分だけ新しい可能性を迎えてあげられる。

落ち着けば落ち着くほど
変化を迎える準備ができてくる。

そうやって、どんどん新陳代謝しながら
新しいおもしろい流れに乗っていけるようになっていく。

絶望のときにも、希望につながる道があるって思いたい。
今これからはそういう時代。

無意識に過去のなかに生きることから
クリエイティブに新しい流れとともに生きることへ。

もう間違いは責めなくていい。
失敗するほど賢くなって歩いていこう。
そんな強さを信じて歩もう。


今日も読んでくださりありがとうございました:)


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