2010年1月27日水曜日

NO-THINGNESS



みたび、OSHOカードから。





ノー・シングネス(無)

仏陀は、ほんとうに潜在能力の高い言葉のひとつを選んだ――シュニヤータ。英語、それに相当する英語"ナッシングネスn o t h i n g n e s s "は、それほど美しい言葉ではない。私がそれを"ノー・シングネスn o - t h i n g n e s s "としたいのは、そのためだ――。というのも、無というナッシングは、ただのナッシングではないからだ。それはすべてだ。
あらゆる可能性で脈打っている。それは潜在能力、絶対的な潜在能力だ。それはまだ顕現していない。だが、すべてを含んでいる。初めに自然があり、終わりに自然がある。だとしたら、なぜ、その真ん中でそんなに大騒ぎするのかね?なぜ、その中間で、そんなに心配し、そんなに気をもみ、そんなに野心を抱くのかね? なぜ、それほどの絶望をつくりだすのかね?
無から無へ、それが旅のすべてだ。


解説:

「隙間のなかに」在ると、方向を見失い、怖くなることすらあります。しがみつくものはなにひとつなく、方向感覚もなく、この先にどのような選択と可能性が待ち受けているのか、そのヒントすらつかめません。しかし、宇宙が創造される以前から存在していたのは、まさに純粋な潜在能力という、この状態だったのです。今あなたにできることは、この無のなかへとリラックスしていくことだけです……言葉と言葉のあいだにある、この沈黙のなかへと落ちること……出ていく息と入ってくる息の中間にある、この隙間を見守ることです。そして、その体験の空っぽの瞬間を、ひとつひとつ大切にしましょう。神聖ななにかが、まさに生まれようとしています。






no-thingness(無)に安らぐことが、アレクでいうNon-doingなんだなぁと納得。

今、ここ、ただそれだけ。