2010年1月26日火曜日
自分のために書く
自分のために書く、ということ。
いってみれば、
こういう場でも自分への手紙のような文章を書いてさらすこと。
ということをしばらく忘れていた。
自分のために、誰かのために、何かのために、
大義名分みたいな、かさばる重さは置いておいて、
すなおに楽しんで書く、って大事だな。
どう見えるかとか、どんな風に思われるのかとか、
そういうのも超えて、
ただ気にしない≒気にならなくなってみる、
そんなゆるさで書くのをゆるす感覚。
と、ふたたびそんな思いをとりもどす。
「何か」にならなくていい。
それって努力するのをやめるとか、さぼることじゃなくて、
エネルギーを傾ける方向性を変えるということだな、
と気がついた。
わたしには、こうして表現することがやっぱり大切。
今の自分が求めているやり方で自分を表現することが
やっぱり必要。
わたしは「自分」のありのままに戻っていくことがこわい。
自分を知りたいけど、「自分」そのもの、
ありのままになることがこわい。
はだかになることがこわいように、そうあることがこわい。
と、今、
ほんとは気がつきたくなかったのに、という想いと一緒に
はたとそんなことに気がつきはじめてしまった。
これからどうしよう。
これからどうしたい。
これからどうする。
穏やかにそんなとまどいもある。
一体なんなんだろう、という水面下の揺れみたいなものと
抗いがたい
「ここまで来てしまったら、もう後戻りはできないよ~」
という腹の据わった感じ。
こりゃ、なんだ?なんだろねー?
何がしたいのか、どうしたいのか、
わかっているのにつかめていない。
近くにいて、何となーくすごく大まかな予想ができるのに、
布がかかっていて詳細がわからない、
ものすごくでっかすぎる何かがあるような。
今をジャッジなしに、今できることをしたら、
そのうち表われるのだろか。
吸ってー、吐いてー、吸ってー、吐いてー。
吐いてー、吸ってー、吐いてー、吸ってー。
掃いてー、掃いてー、きれいにしたいだけすっかり掃いてー。
磨ってー、磨ってー、もういらない威張った角ばりを磨ってー。
日々をそんな風に暮らして。
何の変哲もないことのしあわせ。
そして、そのむこうにやってくるもの。
何だろう。
何かしら。
わくわくととまどいの向こうがわへ