2010年1月27日水曜日

さっそくこたえがやってきた



一つ前の「自分のために書く」

を書いて、それからキッチンで料理をしていたら、


あ~れれ、なーんだ!
わたしは鏡に映っている何かが、だれかわからなくてこわかったのかー。

こわいと思っていた鏡をみたら、ただ何のことはない自分が映ってたのか~。

なーんだ、欠点もいいとこもいろいろあるだけで、こわいものじゃないじゃん。
なーんだ、わたしって自分のありのまま丸ごと受けるとめるのがこわかっただけか~!



と、わかりました。




あー、納得。
なーんだ!わっはっは。



わたしは、どれだけ自分を何者かにしようとしていたんだか!

オズの魔法使いのオズじゃあるまいし~。




はー、すっきりしたー。
安心した~!




わからないとか、こわいとか、そういうのって
思いきって中身がなんなのか見ちゃうと、ものすごい簡単だ!

と、思えるくらい、思えばずいぶん成長したもんだ。
たいしたもんだ、自分!!




こわがりのあわてんぼうなちっぽけな自分も、
肝の据わって大らかなでっかい自分も、
どれもあってもいいんでした。




バランス取れてなくても、不完全でも、いぶかしがられてもいいじゃない。
自分でOKだしたらいいし、いつでも、今できる分の最善をつくしたらいいんだしね。



気にしないには、気にすることをやめるだけでいい、ってわかって、
そしたら気にならないもんだー!って感覚がからだでわかってスッキリー!!




あ~!ごほうびに今夜はゆっくりお風呂にはーいろっと。






という日記を書き終わってから、
なんとはなしにOSHOカードをひいてみたら、こんな。





再誕生

禅では、あなたはどこからも来ていないし、どこにも行かない。あなたはまさに今、ここに在る。来ることもなければ、行くこともない。あらゆることが、あなたのそばを通りすぎていく。あなたの意識はそれを映しだす、が、それと一体化することはない。
ライオンが鏡の前で吠えると、その鏡も吠えると思うかね?あるいは、そのライオンが行ってしまい、子どもが踊りながらやって来ると、鏡はライオンのことなどすっかり忘れて、その子といっしょに踊りだす――鏡は子どもといっしょに踊る、そう思うかね? 鏡はなにもしない、ただ映しだすだけだ。
あなたの意識は鏡にすぎない。
あなたは来ることもなければ、行くこともない。
ものごとは来ては去っていく。
あなたは若さを迎え、年を取る。あなたは生き、死んでしまう。
こうした状態はすべて、意識の永遠のプールに映しだされたものにすぎない。


解説:

このカードは、フリードリッヒ・ニーチェが『ツァラトゥストラはかく語りき』で述べている意識の進化を表わしています。彼は駱駝(らくだ)、ライオン、子どもという三つのレベルを語っています。駱駝は眠たげで、怠惰で、自己満足しています。自分はお山の大将だと考えて妄想の世界で生きていますが、実は、あまりにも他人の意見を気にしすぎて、自分自身のエネルギーはほとんどありません。その駱駝から現われ出るのがライオンです。これまでずっと生を見逃してきていたことがわかったとき、私たちは他人の要求に対して「ノー」と言いはじめます。集団から抜け出し、独りで、誇り高く、自分たちの真理をうなりをあげて吠えるのです。しかし、これで終わりではありません。最後には、おとなしく従うこともなければ反逆することもなく、それでいて無垢で、自発的で、自分自身の実存に真実である子どもが現われ出ます。まさに今、あなたがどのようなスペースにいようとも――眠くて憂欝であろうと、あるいは吠えながら反逆していようと――それを許しさえすれば、それはなにか新しいものへと進化していくのだということに気づいていましょう。





うーん、さすがすごーい!
おもしろーい!!