2010年8月27日金曜日

節度といううつくしさ

減食を始めて、なるほどな~とぼんやり思っていたことが
さっきシャワーを浴びていて、インパクトのある「なるほど!」になりました。


というのも、食べることに節度を持つということは
おいしいものを、おいしいと思ううちに、食べるのをやめること
なのだと気がついたからです。

わたしやまわりの多くの人たちが、今までよく
「おいしいからいっぱい食べちゃおう!」
というのは、実はおいしいと感じなくなってうんざりするほど食べてました。

でも、それって、じつは、
自分の体のことも、食べ物のことも、
食べ物に関わってくれた人(作ってくれた人、生産者の人、物流の人など)にも
どこにも意識がおかれていなくて、
自分の内にある欲望とイメージだけで食べてる。

だから、そういう意味で、実は味なんて味わっていないし
その食べ物のもってるほんとうの美味しさを味わってあげられていない。

そんなことに気づきました。


それに気づいたら、あれ?これっていろんなことに共通だなと気がついて、
人間関係とか、時間とか、場とか、機会とか、いろんな物事と自分がかかわっていくとき
どんな風にかかわっているのかがそんな風にして現れるのだと気づきました。

あたりまえだと思っていたり、もっともっとと欲張って力んでみたり
そんな中で起こるのが、本来のそこにあるものの姿と自分自身を見失うこと。

だから、アレクサンダー・テクニークでも、色んな物事の核心部分は
自分のしていることに気づきつづけて、
自分がすることに意識を払いつづけることなんですね。


節度や美学、うつくしさ、侘び寂びのようなものは
そんなところに通じているのだなと思いました。


**追記**

それにしても、やせがまんがうつくしさを生むって
そういうことだったのかとこれで納得。

ただのやせがまんってことじゃなくて
「理想」があってそこに近づくための必死の努力を生む心が
その人の努力する姿をうつくしく見せるものなんだな
とわかりました。

美学って、そういうことなのか。
改めて腑に落ちて、身体感覚的にやっと理解。。