わたしの素は、わがままだ。
そして、自分勝手で自己中心的だ。
それに、エゴイスティックで、サディスティックだ。
だから、ときに意地悪ぶりが出てしまう。
どれも重なっている意味にも思えるけど
わたしにはちょっとずつカラーがちがって
そのどれもがあって、自分の傲慢さをつくりだしてる。
それに、忍耐だって、そんなものはわたしにはない。
思いやりだって、そんなのほんとはどうだかわからんて!
どうしようもないくらいに考えなしだし
理性も常識も経験もないんだわさ。
やさしいなんて言われたって、きっとほんの気まぐれだし
わたしはものすごい気分屋のいい加減なやつなのだ。
そんなの、ずっと認めたくなかった。
そんなこと、ずっと認められなかった。
でも、実際そうなんだもの。
それがわたし。
ごまかしてつくろってみたってしかたない。
しっぽがでててばれてるよ。
今までずっと罰して退治しようとしてきた
わたしの一部の好きになれなかったところ。
憎むべきもので、ゆるすべきものではない
そうずっと思って敵対してきた。
でも、じつは大事なことを伝えたり体験させたりしてくれて
そういう自分が居ること自体がわるいんじゃないってわかってきた。
うーん、頭で知ってたけど
わぁ、そういうことか~!って体で理解できたというか
今の自分にしっくり馴染めるようになってきたというか。
いや、わかってたんだけど、ひっかかってたというか。
ゆるしちゃいかん!みたいな変な意地というかこだわりというか
そんなのがずっとしこっていたんだね。
変わってしまったらバランスが崩れて今までと違ってしまうから。
未知はこわい、死んでしまう!ってね。
でも、よく考えてみたら
悪いとこ、まったくないひとなんていないしね。
悪いと思っちゃうとこあっても、悪いって思える良心あるから
そういう風に思えるんだし、それって客観だよねぇ。
いいひとだって、悪いことぐらい考えちゃうこともあるだろう。
ただそれを表に現さないのが上手なだけかもしれない。
演技のできるパフォーマーは
失敗してもそう見せないワザに長けているのと同じだね。
今、完璧じゃなくていいのにね。
しみ一つない完璧をめざしてもきりがない。
ほんとはそうじゃないのに
そういうふりするのはもう疲れちゃうよ。
そもそも、そうじゃないんだから
ずっこけてるくらいで等身大。
自分も楽で、まわりも楽で
楽しみながら喜びを生み出せたらどんなにいいか!
そういえば、することによってひとは評価されるから
より多くのことをしなきゃいけないんだ!
って背負ってたけど
それ、下ろしちゃっていいんじゃない。
もっと楽しみながら
夢中でやっちゃうことに飛び込もうよ。
もっと楽しくて、もっと愉快で
もっと自由で、もっと愛と笑顔に満ちあふれてる
そういうところを求めてたんだったな。
深刻さ、真剣さはもう充分足りてます。
だから、遊び心と取り組もう。
道化が知恵の一番すぐれた人
というのはシェイクスピアのはなしの世界。
わたしは、それをめざしてたんじゃなかったっけ?
人間として、道化のように知恵を笑いと喜びに包んで出す。
まじめにふざけるー!!
ふざけるのにだけはまじめなんだから!!
そう言われてしまいましょう。
喜劇のこつは、真剣に馬鹿になりきること。
大まじめに阿呆であること。
それが好きだったのにね。
がんばりすぎて、忘れてた!
ちょっと寄り道のつもりでまっすぐ来すぎた。
もっとくねくね、ふざけていこう!
大まじめにいい加減に!
まずは、毎日、尻もじから!!
阿呆すぎて感激されるくらいのばあちゃんめざして。