2010年5月19日水曜日

「できる」と「できない」

このところ、「できる」と「できない」について気づくことが多いです。

自分が今できないことって、自分にはできないと思った結果なんだなって。自分が今できることは、自分にはできるかもと思ってやり続けてきた結果なんだなって。


当たり前のことに感じるかもしれないけれど、これってわたしには大きい気づき。なぜなら、過去の自分が自分の可能性を「できない」に方向付けてあきらめたり放棄した結果、今のわたしにはできないという現状が表れている。

だから、できるかできないかすら考えもせずやってきたことって、当たり前にみんなできていることがあるはず。たとえば、日本語(母国語)を話すとか、お箸や鉛筆を使うとか。(違う文化圏の人からしたら、未知で難しく思える。)



わたしは、じつは自転車に乗れません。なぜなら、こどものときに、わたしは自転車に乗れないんだって決めちゃったから。それで、乗る練習をある時期から放棄しちゃった。兄の友達が自転車で事故にあったりして、こわいなって思ったり、坂と車が多くて危ないし、運転が難しくてこわかったから。

その結果、今は移動のために自転車には乗れません。私にとっての自転車は、試しに乗って少し進みながら「ひゃー!こわいこわい!」って言うアトラクション(笑)。



もうひとつのたとえば、英語。ある人は意識することなく使える。ある人は「無理無理!」って見ただけでも拒絶。

でも、これも、無理だったんじゃなくて、やってみて面白いと思う機会がなかっただけなのかもしれない。得意と苦手の分かれ道って、そんなところにあるように思います。



それなら、自分がやりたいのにできないって思ってることや、今できないことは、これから先もできないとは限らない。ためしに興味のあることでやってみたら、できるようになるかもしれない。

できないと思ってやったら、うまくいかなかったときに「やっぱりね」って思う。はじめから、自分のことも、周りのことも信じることもないし、気持ちも身体も尻込みしてるから、いつでも逃げ腰。自分の中身が入ってなかったら、やっぱり頼りなくって間が抜けちゃう。


でも、よくよく考えてみたら、未経験や経験途上の場合ってうまくいかなくても仕方ない。体験することでデータを集めて、次はどうしたらいいかなって材料にできる。だから、うまくいかなくても、何も落ち込んで自分や状況を責める必要なんてない。ただ、次に向かって、何がうまく行かないところで、どうしていきたいか、それがわかるように見直してあげたらそれだけでも勉強になる。だから、なんであっても落ち込む必要なんてないんだよね、本当は。ただ、建設的に「今回のことをふまえたら、次にはどんなことができるか」それだけを考えて準備したらいいだけ。


だとしたら、はじめから結果を限定して「できる」とか「できない」とか「失敗」とか「成功」とか考えて、自分や起こる出来事を狭めなくてもいい。ただやってみて、それが人と違う方法でも、状況でも今できることから始めたらいいだけ。どれだけの時間や労力がかかるかなんてわからないけれど希望を思い出して、ただやってみたらいいだけのこと。



だから、現状を見て「できない」とか「失敗」だとか思ったりあきらめてしまう必要はなくて、自分の希望に従ったほうがいい。そうして、いっぱい経験を積んで、これは自分にとってOKで、これは自分にとってはNGなんだな、っていうことを理解できたらいい。それが人とまったく同じになる必要なんてないし、特別に違っている必要もない。自分の素直なところを、自分が理解して行動に反映してあげられたらいいだけ。

ただ、これ!と希望の方向性を決めたら進んでみること。それが自分を「できる」に導いてくれる道しるべだなってこのごろ思って、今ちょうど新たな実験をしています。

その実験のことは、また後日。