2010年4月2日金曜日

複雑なメカニズム





このところ、ちょっと気をつければ済んだのに

どうしようもなく救いようのない間違い
(と自分が思っている体験)や

どうしようもないそそっかしい失敗
(と自分がおそれている体験)を

繰り返してはものすごく落ち込んで
打ちひしがれるorzという体験がつづいてました。


それで、本当に今朝までものすごい凹んでいてorz
これからわたしはどうやって生きてったらいいんだろうか
と思うほど、自分を救いようのない奴だと責めて
どうやって贖罪しようかと思って落ち込んで
あまりにもどうしたらいいかわからなくなってしまった。

それで、悩むのをやめてふて寝をして
起きてまた何も考えずに運動をしてました。

運動しながら、アタマがからっぽになっていって
そのあとにただ日常のいろいろなことをやっている間
ぽかんと自分と対話していました。


失敗だと思うことに対して
失敗を隠そうとか、立ち直れなくなるほど責めてしまうとか
そういう反応をどうしてもしてしまうのはなぜだろう?

その体験という事実に対して
建設的にただ行動することもできるのに
なんでそんな自分にとってつらい反応の仕方しか
わたしはできないんだろう?

あ~、そうかー
これって、そんな自分でも
まずは責めずに愛してあげる練習なのか。

そっか、責めるのもひとつの反応だもんね。。




と思ったら、はっ!!と気がつきました。




あ!これが自分の今までやってきたパターンなのだ!
と。



わたしが今までやってきた習慣的な反応は

自分が失敗だと思うこと
(自分以外から見て非があると思われるだろうこと)に対して
自分の取った行動の軌道修正をして
ベストな選択肢にしていくのではなく

ものすごく恥ずかしいことだとみなす思考と感情が
自分を色んな物事から遠ざける行動
たとえば、失敗した事実を認めたくなくて
なかったことにしようとか

自分の取った行動を
「おまえが悪い!
 おまえのやったことは取り返しのつかないほど
 どうしようもない悪いことなのだ!
 だからおまえには罰をあたえるのだ!」
と言って自分を責めて責めてしまうとか

そんな破滅的なことをしていたんだー。。。
がびーん!と気がついてしまいました。
唖然。




そんなことに気がついてきたら
あれ?それって、何かに似ているぞ?と思って
気がついた。


政治家とか企業とか
不正事件として取り上げられていることと
それに対する当事者の反応や
それを受け取る世間の反応とか

親から子への虐待だったり
親子や夫婦の間での家庭内暴力だったり

そういうことにも通じてない??
と、思った。
わぁ、それすごい。。。



つまり、それって自分の内側で

自分に対して無視しつづけるよう巧妙な隠蔽工作とか
不正を暴いたら容赦なく叩いて制裁を与えるとか

自分に対してしつけと称した
内的暴行や虐待をしているとか

そういう状態だったんだ。。


ということに気がつきました。
ぅわー。。。。
そんなややこしいことが
自分のうちで行われていたとは!!



はぁー、でも、これで納得。。
だから、失敗や間違いだと思うことから
建設的な方向へ導くことができなくて
落ち込む方向にばかり行っていたのだなぁ。

これは、日本人のメンタリティとしての
「腹切り」とか「指詰め」みたいなこととかと通じるのかも。
自分を傷めて贖罪を乞うような。

思い返せば、わたしの家系的な思考の在り方とか
反応の仕方とかにもそれは多分に含まれていて
失敗とか間違いに対して無意識に過剰反応してしまって
自分や相手や状況を必要以上に責めたりしてしまって
結局みんな苦しくなっちゃう!!
ということってそういうメカニズムで起こってたんだなぁ。

うーむ、これは、わたしの内側や家系だけでじゃなくて
失敗経験に過剰反応してしまう人全員に起こってるパターンなのかも。

だとすれば、これはとても興味深い発見。


虐待する親になってしまう人の内側にも
バッシングしてしまう集団となる人それぞれの内側にも
必死に事実を隠してしまおうとする人の内側にも
そういうメカニズムがあるとして考えると
ものすごく理解ができる、というより共感だ。
だって、ものすごい苦しい。
そのエネルギーの行き場がないもの。

うーむ、これはすごいことだなぁ。
その人にとって刺激となるものに対する反応の仕方が
その人のうちにあるエネルギーの行き場を決めている。

ひゃー、体感がすごい自分の中心にあって
芯からぶるぶる震えがきて止まらない。
これって、ものすごい核心の真実を確信したサインかな。


そう考えると人間ってすごい。

ものすごい自分を複雑にしながら
許しという名の愛を乞いながら
罰という名の不毛の愛を貫こうとする。
ひゃー、こんがらがってる!!

本当は許されて、愛されて
あなたはそのままでOKですよって認められたい。

だけど、それをするには自分は取るに足らない。

取るに足らないから、それを隠して
愛して許され認められようと虚を生み出す。

本当はそれは空しいことだと知っているのに
それをしないと、許され愛され認められないと思ってる。

だから、苦しいし、苦しんでしまうんだな。



うーん、すごい。
人間ってすごい。

その複雑さに使ってこんがらがってるエネルギーを
シンプルに使えたら、どれだけ建設的なんだろう。

うーん、超アレクサンダー・テクニーク的思考だ。

さらに、昨日読んでたNEED 本当のあなたをさがす旅
にばっちりはまる。



おもしろい。
おもしろすぎる。。。


これは観察の余地ありです。