2014年7月18日金曜日

学ぶことは気がつくこと

昨日書くはずが、一日あいてしまった、前回の続き。




前回は、アレクサンダーテクニークのレッスンで起こっている


「何をしたの!?」 と、思わず言ってしまいたくなる変化は


じつは 「何をするのをやめたか」 によって起こっている。


というお話でした。




そこで、それをもう少しだけ掘り下げてみます。



まず、「不必要な事をやめる」 には、


「不必要な事とは何なのか?」 ということを知る必要があります。




そして、同時に、それが何なのか、正体が分かったときに、


自分の中で無意識に起こっている反応に気がついて、


ただ、その、「どんなふうに反応してるか」 を知る必要があります。




つまりは、たくさんの「気がつく」というフィルターを通して、

自分を純化していくのですね。


そして、それが学びであるとも言えます。





なぜなら、

本当は「不必要な事」も、自分の一部だと思っている、


よく言われる、「自己同一化」 ということが、ここで起こっているので


「それは、自分がやっていることだから、やめることもできるのだ」


ということを、自分に気づかせてあげるのですね。




簡単な例をあげるなら、腰が痛い、という話。


わたしは腰が痛い。

わたしは腰痛持ちだ。



となると、ここで、わたしを認識する一部に、腰痛という要素が入っている。

わたしを構成する、ひとつの要素が腰痛、ということ。

つまり、わたし=腰痛のある人



でも、ここで、アレクサンダーのレッスンの認識の仕方に変えてみると、


じつは、わたしは腰痛になる自分のつかい方をしているらしい。

わたしは本来は腰痛がないのに、使い方の誤用で腰痛になっている。



わたし + 自分の使い方の誤用 = 腰痛のあるわたし

腰痛のあるわたし ー 自分の使い方の誤用 = 本来のわたし



つまり、問題(=腰痛)を自分と同一化していないので、解決することができる。




そのことを、言葉を介さずに、体感から認識することが、

アレクサンダーのレッスンでの学びの醍醐味といえるでしょうか。



次回は、どうやってそれを学ぶのかについて、です。



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