あたまをほぐすからだのレッスン
アレクサンダー・テクニークの Sudio Saltia* オカナオです。
東京での仕事(大学の授業)が無事終わり
ホッとしたのもつかの間、
大分で猫のみつと残って留守番としてくれている夫が
出会ってから3度目のぎっくり腰になりました。
正確にはぎっくり腰とは言わないのかもしれませんが、
彼の持病の腰椎ヘルニアの症状が再発しかけた
という状態です。
そんなわけで、予定を繰り上げて急遽帰宅しました。
(予定をキャンセルしてご迷惑をおかけしてしまった
みなさまには本当に申し訳ありませんでした。。)
わたしにとっては3度目の夫の介護であり
結婚前の家族の介護も入れると
またか・・・となりがちなところですが
何だか今回は観察しどこと満載で興味深いです。
わたし自身も骨折などの怪我をして
介護される立場になったことがあるのですが
介護される側も、する側も
心身ともに快適であるようにすることが
とても大切なんだなぁと改めて実感しています。
体を故障してしまった当事者は
自分を責めたり、状況を責めたりしてしまうと
自分の体を小さく縮めすぎたり、緊張させたりして
過度な負担を自分の心身にかけてしまいがちです。
同時に、ケアをする側も、介護しながら
相手の体勢に自分を合わせて食事をさせてあげたり
体の手当てをしてあげたり、介助をしたり
そのときに自分を屈めてしまいすぎて
体を痛めてしまって疲れさせてしまったり
その結果、心が疲労してしまうことがあったりします。
でも、そんなときにどちらの人にも
アレクサンダー・テクニークを使って欲しいのです。
どんな状況でも、わたしたち一人一人が
身体的にも、精神的にも
存在そのものとしての尊厳を
充分に尊重され、大切にされてよいのですね。
わたしもそのことを以前は知らなくて
介護される側のときも、介護する側のときも
自分を心身ともにいじめながらで毎日きつくて
なんで自分がこんな目に遭わなきゃいけないの?
と思っていました。
でも、アレクサンダー・テクニークを学んで
自分がただここに在るままで
こんなにも尊重されていいのだと
体と意識の拡がる感覚を味わう体験を重ねました。
今、教える側になってみて
以前のわたしに何が起こっていたのか
冷静に、でも温かく見つめられるように
だんだんとなってきています。
その中で、わたしが
アレクサンダー・テクニークを通して
本当に伝えていきたいことは
自分の一生のパートナーである自分自身を
心身ともに手を取り合っていかれるように
それぞれがなっていくことです。
どんなときも、自分を必要以上に責めないこと。
そうしたいときも、自分の体を小さくしなくていいこと。
自分に当たりたいほど辛いときも
それをすることは何の役にも立たないと知っておくこと。
相手や状況を責めたいときこそ
自分の体に戻ってきて、今の自分の体に気づくこと。
自分の体にしっかりと自分がつながって
今この自分と自分の感覚的気づきの体感とともに居られたら
落ち着いて、自分や相手や周りを尊重する余裕を
今までより少しずつ少しずつ持てるようになっていきます。
わたしたちの理想が高すぎて
「正しくあるべき」、「もっとがんばらなくては」、
「~しないと愛されない、充分ではない」と
自分を追い込んで、自分の思考の中の理想と一緒に居て
自分の体という実際の存在を置いてきぼりにすることが
多くの問題を生み出してしまいます。
だからこそ、本当の自分が存在する「我が家」である
自分の肉体に自分の意識を戻してあげたいのです。
そして、体に起こっていることに気がつくことが
「我が家」に明かりを灯すことになります。
今居る自分の「我が家」を愛して
居心地良くしてあげることほど
自分にとって快適なことは無いと思うのです。
だからこそ、自分の体ともっと出会うこと
忘れていたことを思い出したり、知ること
そういったことが大切なのだと思います。
介護をされる人も、する人も
自分の存在を忘れて、大切にしないでいるところから
ほんの少しだけでもいいので自分の体に気づいて
そっとやさしく自分をなでてあげたり
普段気にもかけなかった場所に触れてあげたり
自分のケアをしてあげたら変わるような気がします。
心身の状況が混乱のときこそ
自分の意識を自分に戻して
体にちょっと気づくことだけでも
アレクサンダー・テクニークの
原理をちょこっと使うことになります。
なんだか散らかった内容になってしまいましたが
どうぞ、それぞれの方が自分と仲良く
どんな状況も肯定的に味わいながら
無事に乗り越え、歩めますように。。
長い文章、読んでくださり
ありがとうございました。
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2011年1月23日日曜日
2011年1月8日土曜日
ホームページを新しくしました。
あたまをほぐすからだのレッスン
アレクサンダー・テクニークの Sudio Saltia* オカナオです。
ずっとずっと気になっていたホームページ
やっとやっと新しくしました。
http://www.saltia.jp/
とりあえず、やっつけだけど
新しいデザインでホームページをアップできて一安心。
崩れているところがあるけど、修正はまた後日に。
とりあえず、明日(あ、もう今日か!)に間に合ってよかった。。
タグも打ちながら、古いDreamweaverで作ってるからややこしや。
でも、ちょっとずつわかるようになってきた。よかったー(涙)。
できないと思っていたことが、できるようになるってうれしいね。
今回はデザインを全く新しく作り直すつもりで
暫定的にテンプレートを使ってみました。
それでいじってみたのだけれど、
まだスタイルシートまで手が回らず。。
でも、わかりやすく出来たことは大きな一歩。
今年は、シンプルにすなおに
自分にも相手にもわかりやすく
というのをテーマにしてます。
ホームページから始めて
仕事も日常生活も
自分のエネルギーの使い方も
みんなシンプルにすっきりと。
そうして、シンプルをこつこつ重ねて
積み上げていかれたらいいな、と思ってます。
それでは、おやすみなさい!
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やっとやっと新しくしました。
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とりあえず、やっつけだけど
新しいデザインでホームページをアップできて一安心。
崩れているところがあるけど、修正はまた後日に。
とりあえず、明日(あ、もう今日か!)に間に合ってよかった。。
タグも打ちながら、古いDreamweaverで作ってるからややこしや。
でも、ちょっとずつわかるようになってきた。よかったー(涙)。
できないと思っていたことが、できるようになるってうれしいね。
今回はデザインを全く新しく作り直すつもりで
暫定的にテンプレートを使ってみました。
それでいじってみたのだけれど、
まだスタイルシートまで手が回らず。。
でも、わかりやすく出来たことは大きな一歩。
今年は、シンプルにすなおに
自分にも相手にもわかりやすく
というのをテーマにしてます。
ホームページから始めて
仕事も日常生活も
自分のエネルギーの使い方も
みんなシンプルにすっきりと。
そうして、シンプルをこつこつ重ねて
積み上げていかれたらいいな、と思ってます。
それでは、おやすみなさい!
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2011年1月4日火曜日
新年のごあいさつ
あたまをほぐすからだのレッスン
アレクサンダー・テクニークの Sudio Saltia* オカナオです。
2011年おめでとうございます!
気持ちも新たな1年の幕開けですね。
昨年はたくさんの方にさまざまな形でご縁をいただき
多くのことを学ばせていただく幸運に恵まれました。。☆
年末年始に色々なことを振り返ってみて
何とまた濃い一年だったのだろうと
感覚的には数年分のような味わいをかみ締め
出会ってくださったおひとりおひとりに感謝です。。
ありがとうございました!
今年は昨年までの経験をふまえ
未知への学びと探求を深めつつ
よりわかりやすくて明確な
楽しいレッスンを心がけていきます。
本年もどうぞよろしくおねがいいたします。
さて、年明けはゆるゆると
1月8日(土)九州・大分でのワークショップから始まります。
http://www.alextech.net/modules/jats/index.php?content_id=405
その後、11日から25日までは、東京滞在の予定です。
15日(土)も西新宿にてワークショップを開催します。
http://www.alextech.net/modules/jats/index.php?content_id=406
どちらのワークショップも8名限定
パフォーマー向けの内容です。
大分での会場は、鏡張り&防音ですので
俳優、ダンサーの方、音楽家の方ともに大歓迎です。
もちろん、プロ、アマ、経験不問です。
東京の会場は、鏡張りです。
防音ではないので、思い切り音を出すことは出来ませんが
俳優、ダンサーの方、音楽家の方ともに大歓迎です。
こちらも、プロ、アマ、経験不問です。
そうそう!
昨年末、とても嬉しいニュースが舞い込みました。
日本大学芸術学部演劇学科で
演技に応用するアレクサンダー・テクニーク
という実習授業を担当しているのですが
そこに音楽学科から参加してくれていた丸田くんが
コンクールで最上位入賞の報告をしてくれました!
授業のときの実践編の応用実験で
バストロンボーンを吹いてくれたのですが
アレクサンダー・テクニーク使用前・後の変化が
とても鮮明で、印象的だったので
彼の入賞の報告はとてもうれしいお年玉になりました!
自分にとって慣れ親しんだものに
新鮮な喜びを吹き込むのが
アレクサンダー・テクニークの醍醐味。
まるで魔法のように音が変わり
感覚的な喜びと眠っていた才能が弾けます。
そんな体験を味わってみたい方は
入門としてまずはワークショップへどうぞ!
1月8日(土)九州・大分ワークショップ
http://www.alextech.net/modules/jats/index.php?content_id=405
15日(土)東京・西新宿ワークショップ
http://www.alextech.net/modules/jats/index.php?content_id=406
では、みなさまにとって
今年がさらなる新たなひろがりと
喜びに満ちた年となりますように!
☆☆☆
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2011年おめでとうございます!
気持ちも新たな1年の幕開けですね。
昨年はたくさんの方にさまざまな形でご縁をいただき
多くのことを学ばせていただく幸運に恵まれました。。☆
年末年始に色々なことを振り返ってみて
何とまた濃い一年だったのだろうと
感覚的には数年分のような味わいをかみ締め
出会ってくださったおひとりおひとりに感謝です。。
ありがとうございました!
今年は昨年までの経験をふまえ
未知への学びと探求を深めつつ
よりわかりやすくて明確な
楽しいレッスンを心がけていきます。
本年もどうぞよろしくおねがいいたします。
さて、年明けはゆるゆると
1月8日(土)九州・大分でのワークショップから始まります。
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その後、11日から25日までは、東京滞在の予定です。
15日(土)も西新宿にてワークショップを開催します。
http://www.alextech.net/modules/jats/index.php?content_id=406
どちらのワークショップも8名限定
パフォーマー向けの内容です。
大分での会場は、鏡張り&防音ですので
俳優、ダンサーの方、音楽家の方ともに大歓迎です。
もちろん、プロ、アマ、経験不問です。
東京の会場は、鏡張りです。
防音ではないので、思い切り音を出すことは出来ませんが
俳優、ダンサーの方、音楽家の方ともに大歓迎です。
こちらも、プロ、アマ、経験不問です。
そうそう!
昨年末、とても嬉しいニュースが舞い込みました。
日本大学芸術学部演劇学科で
演技に応用するアレクサンダー・テクニーク
という実習授業を担当しているのですが
そこに音楽学科から参加してくれていた丸田くんが
コンクールで最上位入賞の報告をしてくれました!
授業のときの実践編の応用実験で
バストロンボーンを吹いてくれたのですが
アレクサンダー・テクニーク使用前・後の変化が
とても鮮明で、印象的だったので
彼の入賞の報告はとてもうれしいお年玉になりました!
自分にとって慣れ親しんだものに
新鮮な喜びを吹き込むのが
アレクサンダー・テクニークの醍醐味。
まるで魔法のように音が変わり
感覚的な喜びと眠っていた才能が弾けます。
そんな体験を味わってみたい方は
入門としてまずはワークショップへどうぞ!
1月8日(土)九州・大分ワークショップ
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15日(土)東京・西新宿ワークショップ
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では、みなさまにとって
今年がさらなる新たなひろがりと
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2010年12月16日木曜日
大分から
あたまをほぐすからだのレッスン
アレクサンダー・テクニークの Sudio Saltia* オカナオです。
大分に帰ってきて、6日経ちました。
こんなに大分でゆっくりするのは11月の連休の時期ぶりです。
そして、今は少しほっとしたのか風邪を引いています。
風邪の引き始めは、いつも呼吸器にくるのですが今回も肺に。
肺は悲しみや失望を受けとめてくれる臓器だと聞くので
風邪と一緒に肺の中にたまった不要なものがきれいになるといいな
と思って、やさしく養生しています。
ほんとは今日は、別府の劇団「まぜくる」の稽古に参加する予定だったけど
大事を取ってお休みです、とっても残念。。
「まぜくる」は、老若男女、障害者の人も、外国の人も
垣根を超えて「まぜくる」になって表現してみようという集団。
http://jiritsu.junglekouen.com/c15729.html
実際に参加してみると
すべてのことにおいて垣根があるのは
自分の外ではなく内側なのだな
みんな何も変わらない同じ心の通った人間なんだなと
実感できて、すてきだなと感じます。
それから今週末の土曜日は、大分でワークショップです。
http://www.alextech.net/modules/jats/index.php?content_id=395
それまでに、風邪が抜けてくれますように、と祈りながら
体調を観察しながら、色々な養生の実験をしています。
来週はまた東京に出て、火曜日は大学で補講なので
風邪が、のんびり休養を自分に許可してくれたようで
なんだかとても面白いです。
無理しすぎずに、今必要なことだけおやりなさい。
そう体から語りかけられているようで
忙しさの中から、ふと我に帰る体験です。
みなさんも、どうぞ心身ともに温かく
元気に毎日を過ごせますように
大切になさってくださいね。
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大分に帰ってきて、6日経ちました。
こんなに大分でゆっくりするのは11月の連休の時期ぶりです。
そして、今は少しほっとしたのか風邪を引いています。
風邪の引き始めは、いつも呼吸器にくるのですが今回も肺に。
肺は悲しみや失望を受けとめてくれる臓器だと聞くので
風邪と一緒に肺の中にたまった不要なものがきれいになるといいな
と思って、やさしく養生しています。
ほんとは今日は、別府の劇団「まぜくる」の稽古に参加する予定だったけど
大事を取ってお休みです、とっても残念。。
「まぜくる」は、老若男女、障害者の人も、外国の人も
垣根を超えて「まぜくる」になって表現してみようという集団。
http://jiritsu.junglekouen.com/c15729.html
実際に参加してみると
すべてのことにおいて垣根があるのは
自分の外ではなく内側なのだな
みんな何も変わらない同じ心の通った人間なんだなと
実感できて、すてきだなと感じます。
それから今週末の土曜日は、大分でワークショップです。
http://www.alextech.net/modules/jats/index.php?content_id=395
それまでに、風邪が抜けてくれますように、と祈りながら
体調を観察しながら、色々な養生の実験をしています。
来週はまた東京に出て、火曜日は大学で補講なので
風邪が、のんびり休養を自分に許可してくれたようで
なんだかとても面白いです。
無理しすぎずに、今必要なことだけおやりなさい。
そう体から語りかけられているようで
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みなさんも、どうぞ心身ともに温かく
元気に毎日を過ごせますように
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2010年12月6日月曜日
果樹ある生活を夢見る
行き詰ったり、落ち込んだときに
そのことばっかり考えてると余計に落ち込んじゃうから
現実逃避かもしれないけど、果樹ある生活のことを考えます。
庭があって、果樹があって、野菜やハーブも植えて
うじゃうじゃにして雑草とも共生しつつ土壌も豊かにして
コンポストも作って、虫や鳥とも共生しつつ
日々のお手入れや、四季の移り変わりを愛でる。。
広すぎたら手が回らないかもしれないけど
普通に家の庭だったら
広いくらいでちょうどいいのかもしれないし。
いちじくやベリー、柿や杏や梅がなったら
ジャムやドライフルーツやお菓子やパンを作ろう。
軒先を眺めながら、お茶をしておやつを食べたり
のんびりおしゃべりしたり、ぼーっとしたり。
雨の降る日も、晴れる日も木々が生きてるのを感じながら
一日一日を過ごせたら、なんだか元気になれそう。
想像だけでもしあわせになれる。
しあわせになれるなら
いくらでも想像をふくらませよう。
パンを焼いたり、パン用に酵母を起こしてみたり
酵母でケーキやお菓子も作ってみたり
みそや香辛料なんかの調味料もつくってみたり
ちょこっと楽しむための果実酒や
薬草茶をつくってみたり。
自然の恵みを存分に感謝とともにいただいて
いのちをつなぐために生かせたらいいな。
心身の養生も、喜びも自然のなかから。
そういうぜいたくをたくさん味わいたい。
手間ひまかける豊かな味わいをいっぱい楽しみたい。
都市にはない喜びを、たくましくなりながら身につけたら
きっと都市に出てきても揺るがなくて楽なのかもしれない。
それが、本来の人間の姿なのかもしれない。
テクノロジーや通信手段も上手に使って
自分の生活の基盤はアナログに保てたら
ずっと心地いいかもしれないな。
ちょっとほころびがあっても
工夫次第で味わいに変えられる
そんな生活を大いに楽しむような
大らかな暮らしを。
土と植物と動物と人間と
それぞれが心地よく居られる暮らしを。
想像するだけで元気になれる。
それが日常になることを夢見ながら
今の自分の手足を動かそう。
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そのことばっかり考えてると余計に落ち込んじゃうから
現実逃避かもしれないけど、果樹ある生活のことを考えます。
庭があって、果樹があって、野菜やハーブも植えて
うじゃうじゃにして雑草とも共生しつつ土壌も豊かにして
コンポストも作って、虫や鳥とも共生しつつ
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広すぎたら手が回らないかもしれないけど
普通に家の庭だったら
広いくらいでちょうどいいのかもしれないし。
いちじくやベリー、柿や杏や梅がなったら
ジャムやドライフルーツやお菓子やパンを作ろう。
軒先を眺めながら、お茶をしておやつを食べたり
のんびりおしゃべりしたり、ぼーっとしたり。
雨の降る日も、晴れる日も木々が生きてるのを感じながら
一日一日を過ごせたら、なんだか元気になれそう。
想像だけでもしあわせになれる。
しあわせになれるなら
いくらでも想像をふくらませよう。
パンを焼いたり、パン用に酵母を起こしてみたり
酵母でケーキやお菓子も作ってみたり
みそや香辛料なんかの調味料もつくってみたり
ちょこっと楽しむための果実酒や
薬草茶をつくってみたり。
自然の恵みを存分に感謝とともにいただいて
いのちをつなぐために生かせたらいいな。
心身の養生も、喜びも自然のなかから。
そういうぜいたくをたくさん味わいたい。
手間ひまかける豊かな味わいをいっぱい楽しみたい。
都市にはない喜びを、たくましくなりながら身につけたら
きっと都市に出てきても揺るがなくて楽なのかもしれない。
それが、本来の人間の姿なのかもしれない。
テクノロジーや通信手段も上手に使って
自分の生活の基盤はアナログに保てたら
ずっと心地いいかもしれないな。
ちょっとほころびがあっても
工夫次第で味わいに変えられる
そんな生活を大いに楽しむような
大らかな暮らしを。
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想像するだけで元気になれる。
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2010年12月4日土曜日
体験から学ぶことは、自分を癒すこと
どこかで自分を責めている自分がいる。
他者という目線が入ると、とたんにその自分が現れる。
いえいえ、わたしはそんな良いものではありません。
いえいえ、わたしはこんなダメなところばっかりなんです。
いえいえ、わたしは何にもできないんです。
いえいえ、わたしはとんでもなく無能なんです。
そうやって挙げ連ねればきりがないほど、
どれだけ自分を貶め、辱め、批判し、強要してきたことだろうか。
それが、過去の記憶に基づく信念体型から
始まってしまっている習慣的&自動的反応パターン。
だんだん、これをやってる最中に
自分でやってることを意識できるようになってきた分
あー、こんなに自分で自分に無能さを強要してたんだ
と気がついてびっくりします。
「今年の汚れ、今年のうちに」って
どこかの洗剤のキャッチコピーじゃないけれど
自分の習慣的パターンも、今そうやってクリーニング中で
新しい自分になる準備をしているんですね。
ほんとに、びっくりするくらい
自分のもう繰り返したくないパターンがデフォルメされて
日常で日々起こっている。
もうイヤー!!!ってならないと
そこから脱するシフトができないから
強烈に自分にショックを与えてくれてる。
もう、ほんと、笑っちゃうくらい。
こないだは、大分の家で
東京に来る前夜食べた水炊きの鍋の残りを出しっぱなしで
そのまま東京に来てしまって腐らせてしまって
当然、夫に電話でめちゃめちゃ怒られてしまった。
それで、あんまりにも自分が情けなくて
ホントだめだなぁとか、どれだけ自分を責めてるか
どれだけ自分を虐げて罰してるか
そんなことに深々と気づいてしまって
そのあまりのインパクトにたくさんの感情が一気に動いて
気がついたらこれでもかと涙が出てきて泣いてました。
リズ・ブルボーの「5つの傷」を読むとわかるのだけど
わたしには「侮辱」の傷があり、自分を侮辱し、相手を不快にさせるような体験を招き
夫には「不正」の傷があり、相手を責め、自分を責めるような体験を招き
そうやってお互いに自分の傷を浮かび上がらせて
それを癒す必要があるんですよと教えあい、学びあっている。
それもわかってきたら、ありがたくて、これまた泣けて
もう色んな思いと感情がごっちゃになって
泣けて泣けて仕方なくて
久々にポロポロ泣いてしまいました。
こういうのも、過去の記憶のクリーニングなんだなぁと
思えるようになってきたのもありがたいこと。。
ホ・オポノポノの考えとしてのクリーニングは
そういう面で、とても理に適っているなと感心しきり。
常に人には救いの道が用意されているのだけど
それを見つけられるよう、目をふさいでいるものをとりのぞく
それがどれだけ大切なことか実感します。
わたしはヒーラーでもなく、セラピストでもなく
(そう感じたり、思ってくださっている方もいらっしゃると思うし
わたしもそうなりたいと思っていた時期もあるのですが)
アレクサンダー・テクニークを学んできた
ティーチャー(伝え教える人)だから
習慣の認識から誤用をやめて改善していくこと
として認識してしまうのだけど
そのことと自体が生きるうえでの学習であり
自分を癒すことにつながるのだなと感じます。
やっぱり身を持って、痛かったり、ショックも味わいつつ
その経験から実践し、実験し、学んできたことでしか
人に伝えることができないし、説得力をもたないのだと
痛切に感じながら、時間がかかる過程を自分にゆるしています。
同時に、わたしはやっぱり自分を強張らせて
大人のふりをして生きることが出来ない人間だなと
ドロップアウトすることを改めてゆるす許可を出しています。
自分の中に、習慣的に「他の人と同じようであれ」という
社会教育(奴隷教育)が染み付いているので
そのループから抜け落ちないように
社会から「不完全」で「欠陥している」とされないように
自分に強要し、強制しようとするのが
自分のパターンとして強いからです。
だから、何度でも、いつでも、意識的に
それを外していいんだよとじぶんをゆるすことは
大いに必要で、自分に力とバランスを取り戻させることなのです。
自分のどこかで
「わたしには力が無い」
と無力感や失望を感じるとしたら
本心で望まないことを努力するのに
相当のエネルギーが必要で
生きることにもエネルギーが枯渇する事態が発生します。
だからこそ、現代は病気になる人が多い。
それは、病気になる人がおかしいのではなくて
病気にならざるを得ない社会という集合意識があるから。
だから、一生懸命やっていて病気になってしまったら
自分を責めなくてもいいのだと、わたしは伝えたい。
けれども、それは、病気になった社会が悪い
自分以外のものや環境が悪いのだと責めるのも
何の役にも立たないのだ、ということも伝えたい。
責めることは、力を回復する役には立たない。
自分に力(生命力、可能性、バランス、調和)を回復するには
自分を見つめて、習慣的&自動的パターンを知る必要がある。
そこで、役に立っていない、不快を生み出すパターンを見つけ
やめていくと同時に、快を生み出す新しい在り方を身につける。
それを練習していくことでしか、本当の力は回復しないし
時間をかけ、労力をかけて、それをするのがいちばんの近道。
解決方法は、未知に飛び込むことだったり
いちばん不可解なことをうけいれることだったりする。
でも、それが、学ぶということ。
学ぶことは、不可知のカオスに飛び込むことでしか得られない。
そこに飛び込み、混乱と不確かさにまみれて初めて
発見という喜びと、癒しという学習が起こる。
だから、あきらめないで
途方に暮れたときほど、未知に飛び込んでみる。
わけのわからなくなる混乱ほど
コントロールという緊張を手放すいいチャンスはない。
手放した途端、着地してる。
安定するのは、不安定になることをゆるしたときだけ。
不安定をゆるさないかぎり、安定することはありえない。
そう、体の構造も、心も教えてくれてるのを
そろそろ思考もコントロールしたがりをあきらめて
手放してみたらどうなのだろう。
そうやって、それぞれがほどけてくることができたら。。
まずは自分からそれをはじめようと思い、実験しています。
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他者という目線が入ると、とたんにその自分が現れる。
いえいえ、わたしはそんな良いものではありません。
いえいえ、わたしはこんなダメなところばっかりなんです。
いえいえ、わたしは何にもできないんです。
いえいえ、わたしはとんでもなく無能なんです。
そうやって挙げ連ねればきりがないほど、
どれだけ自分を貶め、辱め、批判し、強要してきたことだろうか。
それが、過去の記憶に基づく信念体型から
始まってしまっている習慣的&自動的反応パターン。
だんだん、これをやってる最中に
自分でやってることを意識できるようになってきた分
あー、こんなに自分で自分に無能さを強要してたんだ
と気がついてびっくりします。
「今年の汚れ、今年のうちに」って
どこかの洗剤のキャッチコピーじゃないけれど
自分の習慣的パターンも、今そうやってクリーニング中で
新しい自分になる準備をしているんですね。
ほんとに、びっくりするくらい
自分のもう繰り返したくないパターンがデフォルメされて
日常で日々起こっている。
もうイヤー!!!ってならないと
そこから脱するシフトができないから
強烈に自分にショックを与えてくれてる。
もう、ほんと、笑っちゃうくらい。
こないだは、大分の家で
東京に来る前夜食べた水炊きの鍋の残りを出しっぱなしで
そのまま東京に来てしまって腐らせてしまって
当然、夫に電話でめちゃめちゃ怒られてしまった。
それで、あんまりにも自分が情けなくて
ホントだめだなぁとか、どれだけ自分を責めてるか
どれだけ自分を虐げて罰してるか
そんなことに深々と気づいてしまって
そのあまりのインパクトにたくさんの感情が一気に動いて
気がついたらこれでもかと涙が出てきて泣いてました。
リズ・ブルボーの「5つの傷」を読むとわかるのだけど
わたしには「侮辱」の傷があり、自分を侮辱し、相手を不快にさせるような体験を招き
夫には「不正」の傷があり、相手を責め、自分を責めるような体験を招き
そうやってお互いに自分の傷を浮かび上がらせて
それを癒す必要があるんですよと教えあい、学びあっている。
それもわかってきたら、ありがたくて、これまた泣けて
もう色んな思いと感情がごっちゃになって
泣けて泣けて仕方なくて
久々にポロポロ泣いてしまいました。
こういうのも、過去の記憶のクリーニングなんだなぁと
思えるようになってきたのもありがたいこと。。
ホ・オポノポノの考えとしてのクリーニングは
そういう面で、とても理に適っているなと感心しきり。
常に人には救いの道が用意されているのだけど
それを見つけられるよう、目をふさいでいるものをとりのぞく
それがどれだけ大切なことか実感します。
わたしはヒーラーでもなく、セラピストでもなく
(そう感じたり、思ってくださっている方もいらっしゃると思うし
わたしもそうなりたいと思っていた時期もあるのですが)
アレクサンダー・テクニークを学んできた
ティーチャー(伝え教える人)だから
習慣の認識から誤用をやめて改善していくこと
として認識してしまうのだけど
そのことと自体が生きるうえでの学習であり
自分を癒すことにつながるのだなと感じます。
やっぱり身を持って、痛かったり、ショックも味わいつつ
その経験から実践し、実験し、学んできたことでしか
人に伝えることができないし、説得力をもたないのだと
痛切に感じながら、時間がかかる過程を自分にゆるしています。
同時に、わたしはやっぱり自分を強張らせて
大人のふりをして生きることが出来ない人間だなと
ドロップアウトすることを改めてゆるす許可を出しています。
自分の中に、習慣的に「他の人と同じようであれ」という
社会教育(奴隷教育)が染み付いているので
そのループから抜け落ちないように
社会から「不完全」で「欠陥している」とされないように
自分に強要し、強制しようとするのが
自分のパターンとして強いからです。
だから、何度でも、いつでも、意識的に
それを外していいんだよとじぶんをゆるすことは
大いに必要で、自分に力とバランスを取り戻させることなのです。
自分のどこかで
「わたしには力が無い」
と無力感や失望を感じるとしたら
本心で望まないことを努力するのに
相当のエネルギーが必要で
生きることにもエネルギーが枯渇する事態が発生します。
だからこそ、現代は病気になる人が多い。
それは、病気になる人がおかしいのではなくて
病気にならざるを得ない社会という集合意識があるから。
だから、一生懸命やっていて病気になってしまったら
自分を責めなくてもいいのだと、わたしは伝えたい。
けれども、それは、病気になった社会が悪い
自分以外のものや環境が悪いのだと責めるのも
何の役にも立たないのだ、ということも伝えたい。
責めることは、力を回復する役には立たない。
自分に力(生命力、可能性、バランス、調和)を回復するには
自分を見つめて、習慣的&自動的パターンを知る必要がある。
そこで、役に立っていない、不快を生み出すパターンを見つけ
やめていくと同時に、快を生み出す新しい在り方を身につける。
それを練習していくことでしか、本当の力は回復しないし
時間をかけ、労力をかけて、それをするのがいちばんの近道。
解決方法は、未知に飛び込むことだったり
いちばん不可解なことをうけいれることだったりする。
でも、それが、学ぶということ。
学ぶことは、不可知のカオスに飛び込むことでしか得られない。
そこに飛び込み、混乱と不確かさにまみれて初めて
発見という喜びと、癒しという学習が起こる。
だから、あきらめないで
途方に暮れたときほど、未知に飛び込んでみる。
わけのわからなくなる混乱ほど
コントロールという緊張を手放すいいチャンスはない。
手放した途端、着地してる。
安定するのは、不安定になることをゆるしたときだけ。
不安定をゆるさないかぎり、安定することはありえない。
そう、体の構造も、心も教えてくれてるのを
そろそろ思考もコントロールしたがりをあきらめて
手放してみたらどうなのだろう。
そうやって、それぞれがほどけてくることができたら。。
まずは自分からそれをはじめようと思い、実験しています。
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2010年12月3日金曜日
とことん放牧
まだ自分にゆるせてないことがいっぱいあるなぁと感じる。
わたしはどこまで自分をゆるす気なのだろう。
あまりにも膨大すぎて途方に暮れることもある。
でも、それも今の自分の決めたこと。
途方に暮れてる暇は無い。
自分をゆるすことは、誰かをゆるすことでもある。
それは、同時に過去をゆるすことでもある。
血色がなくなるほどぎゅっと力いっぱい掴んでいた手を離して
手の中に血流が戻ってくると同時に、空という自由を手に触れるような
そんな作業をくりかえしている。
今までどれだけのことにこだわってきたことだろう。
今までどれだけの思いに縛られてきたことだろう。
今までどれだけのルールに囚われてきたことだろう。
今までどれだけ苦しんできたことだろう。
自分をできなくさせてきたのは、自分だ。
自分を無力にしてきたのも、自分だ。
自分を憎み憎まれるように仕組んできたのも、自分だ。
だからこそ、性も根も尽き果ててしまってきたんだね。
そんなに握り締めるためにエネルギーを使ってきたなんて
そりゃ疲れないほうがおかしいっていうもんさ。
だから、からだにそれが出ていた。
かつてあった、めまい、吐き気、頭痛、耳鳴り、痛み、強張り、緊張、凝り。
それは、みんな自分でつくりだしていたもの。
ゆがみも、症状も、苦痛もみんなそう。
もう充分味わいすぎるほど味わってきたから、もういいね。
若いのに、いつも青白い顔して、具合悪くて、倒れていたけど
もう、そんなところからは、もう何も受け取れるものはないよ。
今、ただできることは
残っている痛みや強張りから
メッセージを受け取ること。
そして、手放して見送ること。
心の痛みは、体の痛み。
心のゆがみは、からだのゆがみ。
そんなの偏見だって
ずっと避けて聞きたくなかったけど
実感してみて、ほんとだなぁって今は思える。
すべては自分の傲慢さが生んでいた幻想。
それを信じて酔っていたのがわたしの現実。
もうこれからは、目を覚ましてよく見ていこう。
見たくなかったものも、受け入れたくなかったものも
よく見てみるうちに可愛く思えてくるかもしれない。
最近、虫を可愛く思えるようになったように
見えるものへの感じ方が変わって来るかもしれない。
欲張るのは、自分への愛が足りていなかったからだった。
だから、そんな色んなことが起きていたんだね。
ごめんよ、わたし。
見捨てておいた、わたしが間違ってたよ。
ゆるしておくれ。
それでも、こうしてそばにいてくれた
自分のからだはえらくて、ありがたい。
こんなに愛してくれる存在が居たのに
いつも忘れてしまうのが、傲慢さ。。
からだが自分を愛してくれるように、自分を愛そう。
からだが寄り添ってくれるように、自分に寄り添おう。
そうして、自分全部と愛し、愛されて
トラのバターみたいに、とろけて交じり合って
いっしょくたになれたら
新しい自分が始まるんだろうな。
小競り合いじゃなくて、すなおなやりとりを。
批判的な目線じゃなくて、愛のある見守りを。
自分とそうやって重ねていけたら
きっと世界が変わってくる。
できない、こわいと避けてきたことを
そうやって、ちょっとずつ取り組んでいけばいい。
誰かのやっているように、誰かのような速さで
わたしはやることができないからこそ
ほかの誰でもない自分ができるように
自分のできるやり方とペースを贈り物にして
とことん自分にやらせてあげよう。
それしかできないの?とか
まだそんなことやってるの?とか
外側からの目線はもう気にしなくていい。
それを気にすることは、何の役にも立たない。
ゼロから始める、幼稚なくらいのところからやりなおす。
それができることは、自分へのものすごい贈りものだ。
ただすなおに、自分にできないことを認めながら
そこまで戻っちゃったら戻りすぎじゃない?と思えるくらい
根本の根本まで戻るほど、後の変化はきっと大きい。
その可能性は未知だけど、信じて歩めば
必ず道がひらけるから。
外側をつくることは、早くて立派に思えるけれど
ほんとは、内側からできあがってくるのを待つ方が
ずっとずっとパワフルで可能性が無限大。
信じて待つのは、骨が折れるし、心もくじけそうになる。
でも、そこをこらえて、じっと待つほど素晴らしいものが出来上がる。
生命は、そうやっていつも育まれて生まれてくるのだから。
特別なものほど時間と労力がかかるから
自分にそれをゆるしてみよう。
自分には、そんな価値も時間も労力ない、と思うとしたら
それでは何も成長せず進歩しないことや
既存の型で済ませようと望んでいるのと同じこと。
ままならない現状に引きずられ
コントロールされているところから抜けるには
いったん止まって戻ってみることがいちばんの近道。
馬鹿だと笑われても、阿呆だとののしられても
みんなと信じてるもの、見えてるものが違うのだから
風当たり強くても仕方ない。
大量生産されたひとつとして生きたいのではなく
世界に一人しかいない自分をありのまま生きたいなら
なおさらのこと。
あきらめたら、そこでの進化はもう生まれない。
だからこそ、とことんまでに、自分にやさしく。
外がどんな天気でも、内に秘めてたものを放牧してみる。
時には逃げながら、時にはかわしながら
自分の大切なものをとことんやさしく可愛がろう。
わたしはどこまで自分をゆるす気なのだろう。
あまりにも膨大すぎて途方に暮れることもある。
でも、それも今の自分の決めたこと。
途方に暮れてる暇は無い。
自分をゆるすことは、誰かをゆるすことでもある。
それは、同時に過去をゆるすことでもある。
血色がなくなるほどぎゅっと力いっぱい掴んでいた手を離して
手の中に血流が戻ってくると同時に、空という自由を手に触れるような
そんな作業をくりかえしている。
今までどれだけのことにこだわってきたことだろう。
今までどれだけの思いに縛られてきたことだろう。
今までどれだけのルールに囚われてきたことだろう。
今までどれだけ苦しんできたことだろう。
自分をできなくさせてきたのは、自分だ。
自分を無力にしてきたのも、自分だ。
自分を憎み憎まれるように仕組んできたのも、自分だ。
だからこそ、性も根も尽き果ててしまってきたんだね。
そんなに握り締めるためにエネルギーを使ってきたなんて
そりゃ疲れないほうがおかしいっていうもんさ。
だから、からだにそれが出ていた。
かつてあった、めまい、吐き気、頭痛、耳鳴り、痛み、強張り、緊張、凝り。
それは、みんな自分でつくりだしていたもの。
ゆがみも、症状も、苦痛もみんなそう。
もう充分味わいすぎるほど味わってきたから、もういいね。
若いのに、いつも青白い顔して、具合悪くて、倒れていたけど
もう、そんなところからは、もう何も受け取れるものはないよ。
今、ただできることは
残っている痛みや強張りから
メッセージを受け取ること。
そして、手放して見送ること。
心の痛みは、体の痛み。
心のゆがみは、からだのゆがみ。
そんなの偏見だって
ずっと避けて聞きたくなかったけど
実感してみて、ほんとだなぁって今は思える。
すべては自分の傲慢さが生んでいた幻想。
それを信じて酔っていたのがわたしの現実。
もうこれからは、目を覚ましてよく見ていこう。
見たくなかったものも、受け入れたくなかったものも
よく見てみるうちに可愛く思えてくるかもしれない。
最近、虫を可愛く思えるようになったように
見えるものへの感じ方が変わって来るかもしれない。
欲張るのは、自分への愛が足りていなかったからだった。
だから、そんな色んなことが起きていたんだね。
ごめんよ、わたし。
見捨てておいた、わたしが間違ってたよ。
ゆるしておくれ。
それでも、こうしてそばにいてくれた
自分のからだはえらくて、ありがたい。
こんなに愛してくれる存在が居たのに
いつも忘れてしまうのが、傲慢さ。。
からだが自分を愛してくれるように、自分を愛そう。
からだが寄り添ってくれるように、自分に寄り添おう。
そうして、自分全部と愛し、愛されて
トラのバターみたいに、とろけて交じり合って
いっしょくたになれたら
新しい自分が始まるんだろうな。
小競り合いじゃなくて、すなおなやりとりを。
批判的な目線じゃなくて、愛のある見守りを。
自分とそうやって重ねていけたら
きっと世界が変わってくる。
できない、こわいと避けてきたことを
そうやって、ちょっとずつ取り組んでいけばいい。
誰かのやっているように、誰かのような速さで
わたしはやることができないからこそ
ほかの誰でもない自分ができるように
自分のできるやり方とペースを贈り物にして
とことん自分にやらせてあげよう。
それしかできないの?とか
まだそんなことやってるの?とか
外側からの目線はもう気にしなくていい。
それを気にすることは、何の役にも立たない。
ゼロから始める、幼稚なくらいのところからやりなおす。
それができることは、自分へのものすごい贈りものだ。
ただすなおに、自分にできないことを認めながら
そこまで戻っちゃったら戻りすぎじゃない?と思えるくらい
根本の根本まで戻るほど、後の変化はきっと大きい。
その可能性は未知だけど、信じて歩めば
必ず道がひらけるから。
外側をつくることは、早くて立派に思えるけれど
ほんとは、内側からできあがってくるのを待つ方が
ずっとずっとパワフルで可能性が無限大。
信じて待つのは、骨が折れるし、心もくじけそうになる。
でも、そこをこらえて、じっと待つほど素晴らしいものが出来上がる。
生命は、そうやっていつも育まれて生まれてくるのだから。
特別なものほど時間と労力がかかるから
自分にそれをゆるしてみよう。
自分には、そんな価値も時間も労力ない、と思うとしたら
それでは何も成長せず進歩しないことや
既存の型で済ませようと望んでいるのと同じこと。
ままならない現状に引きずられ
コントロールされているところから抜けるには
いったん止まって戻ってみることがいちばんの近道。
馬鹿だと笑われても、阿呆だとののしられても
みんなと信じてるもの、見えてるものが違うのだから
風当たり強くても仕方ない。
大量生産されたひとつとして生きたいのではなく
世界に一人しかいない自分をありのまま生きたいなら
なおさらのこと。
あきらめたら、そこでの進化はもう生まれない。
だからこそ、とことんまでに、自分にやさしく。
外がどんな天気でも、内に秘めてたものを放牧してみる。
時には逃げながら、時にはかわしながら
自分の大切なものをとことんやさしく可愛がろう。
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