2010年1月26日火曜日

あべこべ 発見



そこにあるものは確かに「ある」のに、

ないことにしていたこと。


今ここにないものを、「ある」ことにしていた。


ということに気がついた。





わー!なんて、あべこべっ!!!





気がつくたびに、毎度びっくりするのだけれど

今回も「また、おまえか!!」という心もち。




ここに「ある」ということを知るためには、

「ない」ということがどういうことと

体験的に出会うことが必要で、


それがあってはじめて、

「ある」ということが存在できる。





はー、だから昔のひとは「ありがたい」

ということばを感謝の意味にしたのかも。






「ない」があるから、「ある」がある。

「ある」があるから、「ない」がある。




「ある」があって、「ない」があって、

その「あいだ」もあって初めて

バリエーションという豊かさがうまれるんだな。





なんて思うと、

「ある」のも「ない」のも、その「あいだ」も

どれもとってもありがたい、と思えてきます。

2010年1月16日土曜日

焦点をしぼりつづけること



何かをしていると、焦点がずれていってしまうことがある

わたしのわるいくせのひとつ



目的のために装飾して武装してるうちに、わからないくなる

そんなのいらないのに



ほんとはね、大事なことだけできればいいんだよ

全部できなくてもいいんだよ


と、自分にいってあげよう



目的ができれば、形式なんてどうでもいいぞ

かっこわるくて見栄えがしなくても、それでもいいぞ

ありのままで燃えてる心だけ差し出そう



そこがずれると焦るのだ


焦点がずれると、焦る・・・


同じ漢字なのに、遣い方がちがうとこんなにもちがーう!



同じ労力使うなら、焦るかわりに、焦点しぼろう

2010年1月11日月曜日

芸術は「聖職者」によって



今日、TVで辻井伸行さんの特集を見ました。

その中で、メナヘム・プレスラー氏が話していた言葉が印象的でした。


テクニックを競うのはスポーツです。
音楽は芸術です。
芸術は「聖職者」によって表現されなければなりません。

コンサートホールというのは、演奏者にとって聖域たる場所であり、演奏者にとっての神は、モーツァルトやベートーベン、ブラームス、ショパン、リスト、ドビュッシーなどの作曲家たちであり、彼らの曲を美しく演奏するのが「聖職者」です。
「聖職者」は、これらの作品の価値や、生まれたときの衝撃を今に伝えるのです。




役者も、ダンサーも、同じだなと思いつつ、
これを書いていて、ふと気がつきました。

何かに情熱と身を捧げる人というのは誰であれ、それが何であれ、それをする空間、瞬間、体験そのものが聖なる質を帯びてくるもので、だからこそ職人芸と呼ばれるような人たちやその技、彼らの居る場所が美しいのだなぁ、と。

同じことを1万時間以上やり続けると、そのチカラが発揮されて世に出る、という理論もあるのも、こういうところから出てくるのだなと思いました。

わたしもまだまだ時間をかけて、彼の言うような「聖職者」のような職人になっていけたらと思います。

2010年1月6日水曜日

「そうするしかない」


ふとしたことで、石井ゆかりさん劇作家の阿藤智恵さんをインタビューした文章を読んだ。

そのなかの阿藤さんの語ったことばの一節にどきりとした。



役者というのは、上手か下手かではない、とそのとき思ったんです。

どんなに辛くても、疲れていても、舞台の上でお客さんを前にすると、

そこでどんどんチャージできるのが、役者なんです。

舞台があってお客さんがいる、というそのシチュエーションで光合成できる人、

というのがいて、それは私とは民族が違うんだ、種族が違うんだ、と思ったんです。





それを受けて、石井さんは自分の仕事に想いをはせていて、それがまた洞察にすぐれていてすごく面白いのだけれど、何よりこの部分に「こたえ」があったように感じました。

わたしが舞台を降りた理由もそんなところにあるような気がして。


わたしは物心ついたころから、舞台の作品を作り上げる生身の人間の真実が知りたくて、それを調べたくて今まで来ていて、それはシンプルにすれば、人間ってどんなものか知りたい、という好奇心に支配されているようなものです。

だから、演じる人間の舞台での真実が知りたくて体験するために舞台に立っていたけれど、それがある程度わかったら、舞台そのものにはあまり興味がなくなって、そこに立つ生身の人間がどうしたらより魅力的で活きてくるのか、そっちの方に意識が移ってしまった。

それで、わたしはアレクサンダー・テクニークの道に進んで、未知にたくさん出会いながらここまできちゃったわけですが、たしかに、これ以外しようがなかった、と言わざるを得ません。


みんな「そうするしかない」人なのであって、他のことは、できそうでもできないのだ。

という石井さんのことばは言いえている。


「そうするしかない」自分を受けとめて、それを楽しんでいく生き方をしていかれたら。

きっとシンプルで面白くて奥深いのだろうな、と思いました。

2010年1月5日火曜日

今年の抱負に方向性


今年の抱負は、

自分が心から楽しいと感じられること、
面白いと惹かれることだけをすること、

そして、やると決めたことは心から楽しんですること


と思っていたら、ネットでこんなカードが出た。







3. 創造性

創造性とは、自分がしている行動にあなたがもたらす質だ。それはひとつの態度、内なるアプローチだ―あなたがものごとをどう見るかという・・・。誰もが画家になれるわけではない―また、その必要もない。誰もが画家だったら、世界はひじょうに醜いものになるだろう。生きることなどむずかしくなる。そして、誰もがダンサーになれるわけでもない。その必要はない。だが、創造主(クリエイター) には誰でもなれる。
なにをしようとも、あなたがそれを喜んでやったら、愛にあふれてやったら、もし、やるというあなたの行動がたんに経済的なものにとどまらなかったら、そうであったら、それは創造性にあふれている。もしあなたの内側になにかが、そこから成長するなにかがあったら、もしそれがあなたに成長をもたらしたら、それはスピリチュアルなものだ。創造性にあふれ、神性を帯びている。
創造性が増すにつれて、あなたはもっと神性を帯びるようになる。世界の宗教は口を揃えて、神は創造主だ、と言っている。私は神が創造主なのかどうか知らないが、ひとつだけ知っていることがある―創造性が豊かになればなるほど、あなたは神々しくなる。あなたの創造性がそのクライマックスに達すると、あなたの生全体が創造性にあふれるようになると、あなたは神のなかで生きている。だから、神は創造主に違いないのだろう。創造的な人びとは、これまでもっとも神に近かったのだから。
自分のすることを愛するがいい。それをしているあいだは、瞑想的であるがいい―それがなんであろうとも!


解説:

上から差し込む神の光の下にある火と水のアルケミーによって、このカードの人物は創造力に文字通り「乗っ取られ」ています。事実、創造性を体験することは、神秘へと入ることです。テクニック、熟練、知識は、ただの道具にすぎません。鍵は、万物の誕生を活気づけるエネルギーに自分をゆだねることです。このエネルギーには形も構造もありませんが、それでも、すべての形と構造がそのエネルギーから生じます。あなたの創造性がどんな形を取ろうとも、違いはありません―絵を描いたり歌ったり、庭に木を植えたり料理したりすることかもしれません。大切なのは、自分を通して表現されたがっているものに対して開いていることです。私たちは、自分が創造したものを自分のものとして所有することはない、ということを覚えておきましょう。それらは私たちのものではありません。ほんとうの創造性は、神性なるもの、神秘なるもの、そして知ることのできないものとひとつに結ばれることから湧き起こってきます。その時こそ、それは創造する者にとっての喜びであると同時に、ほかの人たちにとっての祝福でもあるのです。





あまりにも解説のことばが美しいので、書き残し。

『大切なのは、自分を通して表現されたがっているものに対して開いていることです。』

なんて、いちばん大事なことだなぁと思います。

あぁ、今年はそういうものにオープンで素直=あえて阿呆でいよう!!

2010年1月4日月曜日

抱負におせちに元旦お菓子


年末から今までのことを振り返る時間を過ごしていました。

そこで感じたことは、今年は自分が心から楽しいと感じられること、面白いと惹かれることだけをすること、そして、やると決めたことは心から楽しんですること。

今まで経験してきたなかで、自分が喜んでできないことをすることは、自分にとってだけではなく、周りにとってもマイナスが多くなって、お互いに満足のいく結果を生み出せないということ、逆に自分が喜んで期待なしに夢中になってやったことは、結果に関わらず全体にプラスを生み出していることを、やっと認められるようになりました。

そんなわけで、今年の抱負が出てきたのでした。



1年前や2年前、どう過ごしていたか、何を考えていたかなどを振り返ると、自分自身やまわりの環境がどれだけ変化したのか実感します。

2008年末から2009年のはじまりは、まだホノルルに住んでいて、親戚(日系2世、3世の)の集まる新年パーティーに餃子とミニどら焼きを作って持って行ったことを思い出しました。


今年は大分でお正月を迎える!ということで、はりきっておせちを作りました。

ハワイでは日本の食材は手に入るけど、やっぱり日本、とくに魚や野菜や果物が豊富で美味しい九州にはかないません。

というわけで、「自分の家庭を持って、おせちを手作りする」という夢を叶えることができました。





作ったメニューは

 伊達巻、錦卵、長老喜(梅しそ酢漬け)、たいの昆布締め、
 えびのうま煮、黒豆、豆栗きんとん、お煮しめ、なます、
 たたきごぼう、昆布巻き、明太大根巻き、田作り、
 ゆずのはちみつ漬け、くわいの黄金煮、
 きゅうりとセロリと大根菜のピクルス(ディル風味)


作るのは数日がかりで全体がどんなバランスになるか、ぴんときていませんでしたが薄めの味付けが日を置くことでなじんでとても美味しく食べることができました。

こんなに満足して、毎食美味しいと楽しめたおせちは初めてかもしれません :-)


お雑煮も、1回目はハマグリ潮風味、2回目はえび出汁+白味噌+えそつみれ、3回目は関東風しょうゆだし+鶏、と種類を変えて満喫しました。






さらに、大分の竹田にある但馬屋の和菓子で、元旦にお茶の時間も。




(左上が竹、右上が武家屋敷、中央は梅、左下は松、右下は九重(ここのえ)です。)

松、梅はねりきりにこしあん、竹はようかんに白あん。
九重はあわゆきにゆずがかかっていて、中は抹茶あん。
そして、武家屋敷は蒸し菓子。

ねりきりやあんこはとてもしっとりやわらかで上品な甘さでしあわせ~ :-)
これだけの美味しさでひとつ税込み250円は良心的。

大分でお茶を点てるときのお菓子には、但馬屋に注目です。



今年は「楽しめるかどうか」を基準に、くらしにしごと、
いろんなことに取り組んでみたいと思います。

* 謹賀新年 *

あけましておめでとうございます。

昨年もいろんな方にお世話になって、
さりげない気遣いやたくさんのご縁に感謝することしきりでした。。

この場をお借りして、ありがとうございます。


今年は、オープンにすなおな気持ちで、
ゆっくりと自分をあきらめずにじ~っくりと
亀のように、牛歩のように、猫の忍び足のように進めたらと思います。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。