新しい一年のはじまり、おめでとうございます。
だれかの書き込みで
「なぜ、新年の挨拶は、あけましておめでとうなのか?」という疑問が書かれていて
「あけまして、おめでとう。って言う気持ちになれない」とあったのが、
わたしにヒントを与えてくれました。
実はわたしもまったく同様に感じていたところがあって
なんで「おめでとう」なのかな?
とハテナを持ってしばらく過ごしていました。
それで、ふと気がついたのですが
「年が明けました」という結果があってからの「おめでとう」なのではなくて、
「新しい年」を「おめでとう」で始めることで、そのエネルギーをチャージする
っていうことなのか、と。。。
(39年生きてきて、初めて身を持って気がついた~~~!!!)
これと同じことがたぶん、お誕生日や誕生にまつわる儀式にも言えること
なのだということにも気がついて
例えばイエス・キリストの生まれた日に三賢人が贈り物を持ってやってくるとか
お食い初めや一升餅背負う儀式とか、
多くはみんな、お祝いであり、願いや祈りを込めたもの
ということを想い出して、なるほど~と。。
わたしはクリスチャンではないけれど、キリスト教系の学校で育ったので
そういう物語を6年間繰り返し学んできて知っているわけなのですが
イエス様の言って行っていたと書かれていたことも、たしかにほぼ
結果の前に「起こることを決める」ことで、その結果(いわゆる奇跡)を起こしていた
ということだったと思い出しました。
それって、アレクサンダーが言って/行っていた
発見→観察→分析→選択→決断→実験
というプロセスと同じではないか!という発見。
教師養成トレーニング生時代にも、これに気がついて
へぇぇぇぇ!面白い!ってなってたのだけど、改めて思い出して、なるほど~!となる。
それでもって、なぜ奇跡なのか?と疑問を持つと、それって
奇跡=本人や周りが起こるとは信じていない結果
っていうことになる。
(裏を返せば、奇跡が起こせるっていうのは、
それは意識にのぼらないほど当たり前になっている
つまり、否定や疑問の入る余地がない、ということ。)
それで、はじめの「なぜ新年は、あけましておめでとう、なのか?」
という疑問に戻ると、
新しい年を漫然と始めて、そこそこの年にするのではなくて
新しい年をおめでたい年にします!という選択を「意識的にする=決断する」
ということなのか!と。
ふああ!びっくり!!すごいな、先人の賢人たちの智恵!!
というわけで、新しい年をおめでとう!で安心して始められそうです。(やったー!!)
皆さまにとっても、今年がおめでとう!な日々でいっぱいになりますように!!
新年あけましておめでとうございます☆
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